「当時は1分も無駄にしないよう必死」押切もえ(42)、蛯原友里(43)、山田優(38)…「CanCamモデル」それぞれのいま

「当時は1分も無駄にしないよう必死」押切もえ(42)、蛯原友里(43)、山田優(38)…「CanCamモデル」それぞれのいま

当時の『CanCam』

「私は10代のモデルさんも多い中、20代の遅いスタートでした。だからずっと不安でしたし、危機感も持っていた。それで見聞を広めるために、待ち時間が少しでもあれば本を読んだり、海外ロケの合間に美術館に行ったり。1分も無駄にしないよう必死でしたね」

 そう振り返るのは、モデルの押切もえ(42)だ。

◆ ◆ ◆

■一世を風靡した3人のCanCamモデル

 2000年代半ばに一世を風靡したファッション誌『CanCam』(小学館)。大ブームの牽引役が、押切、蛯原友里(43)、山田優(38)の3人だ。当時の編集長・大西豊氏が証言する。

「ライバルのJJは60万部でしたが、CanCamは30万部を切っていました。そこでまず2人のモデルを軸にしようと思った。1人が山田優。顔の小ささも体のバランスも抜群で、持って生まれたスター性がありました。もう1人が、伸び悩んでいた押切です。けれど、彼女は誰にも負けない努力家だった。髪型、メイク、スタイリングを全部変えて誌面に出した。すると02年8月号が完売し、一気に人気モデルへ躍り出ました」

 そして03年、彗星の如く現れたのが、蛯原だった。

「エビちゃんは宮崎出身の普通の女の子で、最初は全然ピンとこなかった。ところが、メイクでぐっと魅力が出てくるタイプ。誌面に登場させたら、読者アンケートで恐ろしいほど大きな反響がありました。実売は80万部。姉妹誌『AneCan』時代まで、毎号のように完売してきましたね」

 以来、20年近く。3人はどんな人生を歩んだのか。

「山田は12年、俳優の小栗旬と結婚し、4人の子供がいます。今もモデル活動をしている。蛯原は09年にRIP SLYMEのILMARIと結婚し、2児のママ。彼女も“ママモデル”として活躍中です」(業界関係者)

■小説家デビューを果たした押切もえの転機

 最も幅広く活動をしてきたのが、押切だ。13年に小説家デビューを果たすと、16年の『永遠とは違う一日』(新潮社)は山本周五郎賞候補に。押切が言う。

「元々太宰治が好きで、エッセイを書いたりしていたのですが、新潮の編集の方と『いつか小説を』という話をしていました。ある時、その新潮の方と、TVの情報番組でご一緒していた阿川佐和子さんとお食事をする機会があって。ずっと尊敬していた阿川さんから『とにかくやってみたら?』と言われ、書き始めたんです。ただ……当然なんですが、大好きな作家の方々との差を感じ、『どうして書けると思っちゃったんだろう』とネガティブにもなりました」

 そこで、励ましの声をかけてくれたのが、

「瀬戸内寂聴さんです。瀬戸内さんとお会いした時に『あなたにしか書けないものがあるから、それを書けばいいのよ』と言われて。その時、素晴らしい先生方と比較するのもおこがましいし、自分だけの経験や想いを掘り出してやってみようと思えました。本当に人に助けられてばかりの芸能生活です(笑)」(同前)

 押切は、絵画の世界でも活躍。15年から3年連続で「二科展」に入選した。

「昔から絵は大好きでしたが、08年に描いた絵をオークションで売って、途上国に学校を建てるという企画がありました。絵で誰かの役に立てるのが凄く嬉しくて、以来、描き続けたという感じです」(同前)

 さらに、マンションのプロデュースも手掛けている。

「12年頃から始め、今年9棟目が完成しました。外観から内装の壁材、床材など何百もの項目を設計士さんと決めていく。周りの地域もリサーチしたり、最近は木のぬくもりのデザインを増やしたり。やりがいのある仕事です」(同前)

 16年に、プロ野球選手の涌井秀章と結婚。4歳の長男と1歳の長女がいる。

「毎日3~4食作って、気付けば自分が食べる暇もなく、1日中台所にいることもあります。上の子とは野球の練習をしたり、日々子育てに全力投球です。優ちゃんや友里ちゃんに出会えたことは、私にとって大きな宝。特に優とは今も育児や仕事の相談をしたり、以前と変わらずずっと笑い合ったりしています」(同前)

 次は3人で『MamaCan』?

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年1月5日・12日号)

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