「どういうつもりだバカヤロー!」挨拶を忘れてしまい大激怒…テツandトモ(52)が凍りついた談志師匠の“衝撃の一言”

「どういうつもりだバカヤロー!」挨拶を忘れてしまい大激怒…テツandトモ(52)が凍りついた談志師匠の“衝撃の一言”

テツandトモの2人が凍りついた「立川談志師匠の一言」とは? ©文藝春秋

「『毒がなくて面白くない』と散々言われましたね」それでもテツandトモ(52)が25年生き残れた「スゴい理由」 から続く

 コンビ結成25年のテツandトモ。デビュー当初から目をかけてくれた恩師は、2011年に旅立った落語家・立川談志師匠(享年75)だ。もし、解散したくなったら「絶対に阻止する」と言われ、自信をなくしかけた時には、師匠の「やり続ければいい」という言葉に支えられた。

 厳しさの裏で愛情たっぷりだった談志師匠。テツとトモが今でも胸に留め、大切にしている師匠の“教え”を明かした。(全3回の3回目/ #1 、 #2 を読む)

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――談志師匠との最初の出会いは、師匠が特別審査員を務めたNHK『爆笑オンエアバトル 第1回チャンピオン大会』(1999年)に出場し、準優勝した時でした。師匠の第一印象を覚えていますか?

トモ テレビで見た通りの「厳しい人」という印象しかなかったので、とにかく怖かったです。出演前、お手洗いでご一緒させていただいた時も緊張していて、話しかけてくださったのに何も覚えてない。

テツ 決勝戦で何を言われたかも……本当に覚えてないですね。

■会場が凍りついた「お前らはもういい」発言の真意

――その後、2002年に『M-1グランプリ』出場。審査員の師匠からは「お前らここに出てくるやつらじゃないよ、もういいよ」と言われました。当時の心境や、その場の雰囲気はどうでしたか?

トモ 95点で「ここに出てくるやつらじゃねえ」と言われたら、褒め言葉かなと素直に思えるのですが、師匠の点数は70点(笑)。

 また、『オンバト』後は寄席に呼んでくださるなど関係性が少しできていたし、そこでは褒めてくださってもいたんです。だから、一瞬意味がわからなくなりましたね。

テツ 会場の人たちは僕たちが完全に突き放されたと思って、一瞬にしてシーンと凍りつきました。師匠もそれを感じたんでしょうね。すぐ「俺は褒めてるんだぜ」ってフォローしてくれたんですけど、僕たちはパニックになってるし、司会の西川きよし師匠も「師匠どうすんですか、こんな空気にしてしもて!」みたいな感じでオチをつけようとしていて。

トモ 番組が終わってすぐ師匠の楽屋にご挨拶に行ったら、「伝えたかったこと、分かってるよな」って。「はい、ありがとうございます」「じゃあいいや」でおしまい。正直、全然わかんなかったんですけど(笑)。

――とりあえず、本気で「怒られた」わけではなかったと。

テツ 実は褒め言葉だったんです。その後も、舞台や寄席に呼んでいただいたり、飲みに連れて行っていただいたり。地方では、師匠の部屋で朝まで飲ませていただくこともありました。

トモ 悩んだ時は「やり続ければいい」と僕たちの自信に繋がる言葉をかけてくださるなど、とにかくお世話になりましたね。

■テツandトモが凍りついた一言

――可愛がってもらう一方で、師匠から注意された、叱られたといったことはありましたか?

トモ 立川流の寄席へ、ゲストで呼んでくださった時のことです。僕たちは出番が終わった後、袖に残って、次の出演者を見ていたんです。暫くするとお弟子さんがいらして、「家元がお呼びです」と言う。何かと思って向かったら、「おいコノヤロー、人の舞台出て、挨拶もねえのか!」って雷を落とされました。

 すぐに謝ったのですが「ふざけんじゃねえぞ! どういうつもりだバカヤロー!」「何考えてるんだ!!」って、怒りが収まらないんです。

テツ もう、2人とも涙をボロボロ流すほど泣いてしまって。 

トモ 僕たちがすみませんでした、と涙を流した後、師匠は一転して「おい、わかったか?」と穏やかな口調でおっしゃいました。そして「今みたいなことを言うやつがいるかもしれないから、気をつけなさい」と。それでまた涙が……。

――2回も泣かされたんですね。

トモ そんなに泣くと思っていなかったから、オチをつけてくださったのかもしれません。あの頃、挨拶という基本的なこともできてなかったんです。弟子でもない私たちに礼儀やたくさんのことを教えてくださり、心から感謝の気持ちでいっぱいです。

 そうだ、怒られたこと、もう一個思い出しました。2003年の紅白歌合戦、私たちは白組歌手枠で出演させてもらいました。その時に歌った「なんでだろう」の楽曲紹介のために、談志師匠がNHKホールに来てくださったんです。その出番直前に、しみじみ「お前太ったなあ」って。「突然売れ始めて、ぶくぶく太ることほどみっともないことはない!」と怒られました(笑)。

――実際太ってたんですか、昔に比べて。

テツ 太ってた! めっちゃ太ってた(笑)。

トモ 夜中にラーメンを食べるような不摂生な食生活や、車移動で歩かなくなって、確かに太ったんです。まさかの体型にダメ出しをされ、複雑な心境のまま本番に向かいました(笑)。でも、それからは本当にダイエットしましたよ。

■師匠へのギャラは「500円の佃煮」

――コンビ結成10周年記念ライブ(2008年)では、ゲスト出演してくださったとのことですね。

トモ 師匠自ら、出てくださると。しかも「ギャラはいらない、500円の佃煮でいい」と仰られたので、お言葉通り控え室に佃煮を用意しました。しかし流石にそれだけというわけにもいかないので後日師匠に電話をして、何か食べたいものはないですか?と伺ったんです。

テツ お肉が食べたいとのことで、デパートにトモとマネージャーと3人で買いに行きました。ご自宅にお届けした後、師匠の家でお話したのも懐かしい思い出です。

――師匠から、テツandトモはこういうところがいいという具体的なお話をされたことはありましたか?

テツ 談志師匠の番組に呼んでいただいた時、番組側から自分たちのキャッチフレーズを作ってほしいと言われたんです。それで「コミカルソングの~」とか、「歌って踊って陽気な~」とか、いろいろ考えたんですけど、師匠からは「テツandトモはテツandトモ。それでいいんだよ」と言っていただきました。

「お前たちはお前たちでいいんだ」って、その一言がすごく嬉しかったですね。

――唯一無二だと。そんな師匠が詞を提供した楽曲「立川談志 作詞楽曲」の歌詞には、〈夢を持とう〉〈夢よみよう〉など、「夢」というワードが頻出します。師匠と夢について語り合ったことは?

トモ 実際は……現実のことばかりですね。一緒にネタを考えてくださったりして。夢については、あまり語ったことがないかもしれません。

テツ ブレイクが落ち着いた時は、「コンビを解散したくなったら来なさい。私が全力で阻止します」と言ってくださいました。本当に嬉しいお言葉でした。夢というよりは、未来についてお話をさせていただいた気がします。テツandトモがこれからどうしたらいいか考えようぜって、飲みに連れて行ってくれたりもしました。

トモ あと、歌については「ネタとは別の、笑いのない自分たちの歌を歌ったら?」とよく言ってくださっていましたね。

――テツandトモさんが歌を歌うことが、談志師匠の「夢」なのかもしれませんね。そのほかに、談志師匠から言われた言葉で、胸に留めているものはありますか?

■「人生には3回チャンスがある」

トモ 「人生には3回チャンスがある。それをつかめるかどうかだ」。そして、チャンスをつかむためには、まわりをしっかり見て、アンテナを張っておかなければいけないという話をされたことがあります。

 同時に、一生食べていくためには、1回ではなく、2回チャンスをつかむ必要があるというアドバイスもいただきました。1つは「なんでだろう」でいい。だからもう1つ見つけなさい、と。

テツ 僕たちはネタと歌の二刀流というか、お笑いと歌で喜んでもらえるようになりたいんですけど、歌でヒット曲を出すのは本当に難しいことだと思います。しかし「歌手」としても、目標に向かって進んでいきたいです。コンビを組んで、あっという間に25年が経ちました。

――最後に2023年、チャレンジしたいことはありますか?

トモ ひとつは、コンビ結成25周年ライブ。もうひとつは、新曲(『愛しい人よ』)を出したので、歌手として2回目の紅白歌合戦に出場したいです。

テツ 紅白出場、僕は前回冗談半分でしたけど、今回は本気です!!

(吉河 未布)

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