斉藤和義が気になってしまう理由は“茶目っ気”にあり――近田春夫の考えるヒット

斉藤和義が気になってしまう理由は“茶目っ気”にあり――近田春夫の考えるヒット

絵=安斎肇

『アレ』(斉藤和義)/『さよならごっこ』(amazarashi)

 基本的に“上から目線”をモットー(笑)にやってきた俺であるが、自分より全然若い人のなかにも気になる音楽家はちゃんといる。その一人に斉藤和義の名を挙げようか。

 といって作品をそこまで愛聴してきた訳でもない。それは、斉藤和義に限らず、自分より下のひとたち一般の作るものに関しても事情は同じだ。一種偏見というか――上手く説明出来ないのだが――バックグラウンドやルーツみたいなもの、或いは美学/こだわりといい換えても構わないが、子供の頃一体何を聴いて育ってきたのか、誰に強く影響を受けてこの道に入ってきたのかといった部分での、価値観的共通認識のようなものが持ちづらい。そんなことをどうしても楽曲/表現から汲み取ってしまうのである。すなわち、いってみれば、jpop(定義にもよるが)は68歳の俺の“感性”には、どこか馴染めぬところもある音楽なのだね。ま、それはともかく……。

 例えば、斉藤和義でいうところの『歩いて帰ろう』のあの『You can't hurry love』風なビートだが、俺たちの世代の人間には、なんだか、聴き飽きちゃった感なきにしもあらず! だったりして、請け負い仕事の戦略とかならいざ知らず、自身の楽曲となると嬉々として導入するにはいささか勇気がいる。ちょいと“ベタ過ぎ”なのである。

 ただ勿論、そのことと楽曲の持つ魅力は別のもので、俺もあの曲は好きだよ。いずれにせよ、述べてきたような世代間での齟齬の問題と、才能そのものへの言及は、一緒くたにすべきではないだろう。

 今回の『アレ』の映像付きでまず心に残ったのが、冒頭から流れる、かなり昔に作られたリズムマシーンと安物のシンセサイザーを作動させている光景で、そこからは、それら機材が今回楽曲の制作で重要な意味/役割を務めるのだろうということが読める。また、ところどころに登場するお絵描きやオブジェもきっと本人作に違いないと踏んだ。

 そうした動画の展開から、ここでの斉藤和義は、いわゆる作詞作曲歌唱以外の要素も含めての、いってみれば総合的かつ独自な表現をしようとしているのがよく伝わってくるのだが、たしかに今回の新曲では、さきに述べたシンセサイザーやリズムマシーンが、サウンドの面白みに大きく貢献していて、独特なギターの奏法ともあいまって、普通のjpopではなかなか味わえぬ、ちょいと変な雰囲気を醸し出すことに成功しているのだ。

 そしてその作業の根底にあるものを茶目っ気/ユーモアといってよいのなら、私がついつい斉藤和義が気になってしまうのは、どこかにいつもそれを忍ばせながら音作りをしてくれているからなのかも。今回の映像に、あらためてその思いを強く持った次第だ。

 amazarashi。

 公式映像ののっけ27秒までが、えらくスリリングなSF的な音で、こりゃかっこいい! とか思ってたら、急に素朴なフォークソングの曲調に変わって、ビックリだぁ!

(近田 春夫/週刊文春 2019年3月14日号)

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