史上最高のイノベーターは同性愛者で、菜食主義者で、左利きの「メモ魔」だった

史上最高のイノベーターは同性愛者で、菜食主義者で、左利きの「メモ魔」だった

現存する最古のスケッチ。アルノ渓谷の風景、1473年

Appleの創始者を書いた、評伝 『スティーブ・ジョブズ』 は世界的ベストセラーとなった。その著者が次の題材に選んだのはレオナルド・ダ・ヴィンチ。なぜ、いまダ・ヴィンチなのか、そして彼はいかなる人物だったのか。この決定版 『レオナルド・ダ・ヴィンチ』 は遺された7200枚の全自筆ノートを基に書かれているが、実際のノートはその4倍あったとされる。恐るべき「メモ魔」だったダ・ヴィンチに迫る。※『レオナルド・ダ・ヴィンチ』上巻・5章「生涯を通じて、記録魔だった」より転載

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■アイデア、スケッチ、リスト、なんでも記録

 何世代も続く公証人の家系に生まれたためか、レオナルドには事細かに記録を残そうとする習性があった。観察したもの、さまざまなリスト、アイデア、スケッチを日常的にノートに書き込む習慣は、ミラノに到着してまもなく1480年代初頭に始まり、生涯にわたって続いた。タブロイド紙ほどの大きさの紙に書いたものもあれば、ペーパーバック本ほどの大きさの革表紙のついたノートを使うこともあった。後者は常に持ち歩き、見聞きしたことを書き留めた。

■「よく観察し、記録し、吟味する」

 ノートを持ち歩く目的の一つは、興味を引いた光景を記録するためだ。特に注目したのは人間とその感情である。「町を歩くときには人々の会話、口論、笑い、殴り合いといった場面や行動をよく観察し、記録し、吟味すること」という記述がある。レオナルドの腰のベルトには、いつも小さなノートがぶらさがっていた。父親がレオナルドと知り合いだった詩人のジョヴァンニ・バッティスタ・ギラルディは、こう書いている。

《レオナルドは人物を描こうとするとき、まずどのような社会的立場や感情を表現するかを考えた。高貴な人か平民か、陽気なのかまじめなのか、動揺しているのか落ち着いているのか、老いているのか若いのか、怒っているのか冷静なのか、善良なのか邪悪なのか。それが決まると、そういう人間が集まる場所に出かけていき、表情、立ち居振る舞い、身なり、しぐさを観察した。目当てのものが見つかると、いつもベルトに付けていたノートを取り出して記録した。》

■ノートは多種多様な興味やこだわりを映す鏡

 ベルトに付けた小さなノートと、工房で使った大判の紙は、多種多様な興味やこだわりを映す鏡である。1枚の紙に雑多なアイデアが無秩序に詰め込まれている。技術者として知識を磨くため、偶然見かけた、あるいは頭に浮かんだ装置を描く。芸術家として、アイデアをスケッチしたり下絵を描いたりする。宮廷の余興の演出家として、衣装、舞台装置、上演する物語、気の利いたセリフなどを書き留める。余白にはやることリスト、出費の記録、興味を引かれた人々のスケッチなどの走り書きがある。科学の研究に熱が入るにつれて、飛行、水、解剖、芸術、馬、機械、地質といったテーマに関する論文の構想や文案も増えていく。

 ただ一つ抜け落ちているのは、個人的な心情や色恋にかかわる記述である。つまり、レオナルドのノートはアウグスティヌスの『告白』とは違う。おそろしく好奇心旺盛な探求者が、自らをとりまく世界の魅力を書き綴った記録である。

■500年前のノートが7200ページも残っていた

 ルネサンス期のイタリアでは「ジバルドーネ」と呼ばれる雑記帳を持ち歩くのが流行していた。レオナルドもそれに倣ったわけだが、その内容は類例のないものだった。「人間の観察力と想像力のすさまじさを見せつける比類なき記録」という評価にふさわしい。

 現存する7200ページ以上のノートは、おそらくレオナルドが実際に書いたものの4分の1程度だろう。それでも作成されて500年も経っていることを思えば、良く残っているほうだ。私がスティーブ・ジョブズの評伝を書いたとき、ジョブズと2人でかき集めることのできた1990年代のメールやデジタル文書の割合より高い。レオナルドのクリエイティビティの生きた記録がこれほど残っているのは、まさに僥倖と言える。

■死後、バラバラにされたノート

 ただいかにもレオナルドらしく、ノートは謎に満ちている。レオナルド自身が日付を書き込むことはめったになく、しかも順序はわからなくなってしまった。レオナルドの死後、ノートの多くはバラバラにされ、興味深いページだけ売られたり、さまざまな収集家がとりまとめたりした。収集家として最も有名なのが、1533年に生まれた彫刻家ポンペオ・レオーニである。

■ノートの持ち主にはビル・ゲイツも

 ノートのコレクションの一つが、現在ミラノのアンブロジアーナ図書館が所蔵している「アトランティコ手稿」である。これはレオナルドが1480年代から1518年にかけて執筆したさまざまなノートから、レオーニが集めた2238ページから成る。大英図書館が所蔵する「アランデル手稿」には、17世紀の収集家が集めたとされる同じ時期のノートが570ページ含まれている。一方「レスター手稿」は、主に地質学と水に関する研究をまとめた72ページの文書で、これは1508年から10年にかけてレオナルドが書いたときのままのかたちで残っている。現在はビル・ゲイツが所有している。このように今わかっているものとして、イタリア、フランス、イギリス、スペイン、アメリカにレオナルドのノートを集めたコレクションは25ある。カルロ・ペドレッティをはじめ多くの研究者が、各ページの書かれた順序や日付を解明しようとしているが、レオナルドは昔書いたページの余白に後から書き込みをしたり、しまっておいたノートを引っ張り出してメモを追加したりしているので、なかなか難しい。

■1487年頃の「パリ手稿B」には潜水艦らしきものも

 習慣的にノートを書きはじめた頃、レオナルドは芸術や技術の探究に役立つと思ったアイデアだけを記録していた。たとえば1487年頃に使いはじめた「パリ手稿B」と呼ばれるノートには、潜水艦らしきもの、黒い帆を張ったステルス艦、蒸気砲、さらに教会や理想都市の設計図などが含まれている。一方、後年のノートは好奇心の赴くままに書かれており、そこからは科学的探究心の深さがうかがえる。物事が「どのように」動いているかだけでなく、「なぜそうなのか」を突き止めようとしているのだ。

■「荒野の聖ヒエロニムス」の変遷

 質の良い紙は高価だったため、レオナルドは1枚1枚をめいっぱい使った。1枚の紙にできるだけ多く、さまざまな分野の情報をでたらめに詰め込んでいるように見える。最初に書いてから何カ月、ときには何年も経ってから特定のページに戻ることも珍しくなかった。『荒野の聖ヒエロニムス』をはじめ多くの絵画でそうしたように、自らが成熟して知識が深まると、昔のノートに戻ってその内容を洗練させていった。

■芸術と科学の垣根を越える

 ノートにはさまざまな情報がでたらめに並んでいるようだ。レオナルドの意識とペンは、機械学に関する気づき、巻き毛や水の渦、顔のスケッチ、独創的な装置、解剖図へと次々に飛んでいき、それぞれに鏡文字でメモや考察が付けられている。それでも、このでたらめな羅列を眺めているとワクワクしてくる。万能の天才が芸術と科学の垣根を越えて自由奔放に駆けまわり、それを通じて宇宙の一貫性を感じているさまが伝わってくるからだ。レオナルドは自然を観察することで、一見無関係なもののあいだに共通するパターンを見いだした。彼のノートを見ることで、われわれにも同じパターンが見えてくる。

■ノートの良さとダ・ヴィンチの難点

 ノートの良さは、ちょっとした思いつき、生煮えのアイデア、粗いスケッチ、論文の草稿など、これから磨いていくべき原石を仮置きできることだ。これも発想が次々と飛躍するレオナルドには都合がよかった。彼の天才的なひらめきには、地道な努力や自己規律といった歯止めがかからないという難点がある。ノートの走り書きを整理し、磨きあげて出版するという意思をなんどか表明しているが、結局実現できなかった。芸術作品を完成できないのと同じように。絵画同様、書きはじめた論文もときどき修正や改良を加えたりするが、完成品として発表するところまではいかなかった。

■「テーマ・シート」を楽しむ

 レオナルドのノートを楽しむ方法の1つは、特定のページに集中してみることだ。1490年頃に書かれた、30センチ×4五センチの少し大きめの1枚を見てみよう。ペドレッティはこれを「テーマ・シート」と名づけた。(下図)レオナルドが関心を持った多くのテーマが詰まっているためだ(ここからは「テーマ・シート」を見ながら読みすすめてほしい)。

 紙の中央からやや左寄りに、レオナルドがよく落書きで描いた人物像がある。勇者のような高い鼻と突きでた顎を持つ、いかつい顔の老人だ。トーガをまとった姿は高貴でありながら、どこか滑稽だ。1482年に作成した、ミラノに持ってきた財産の目録にも「巨大な顎を持つ老人の頭部」のスケッチという項目がある。これから見ていくとおり、このいかつい人物のバリエーションはノートに繰り返し登場する。

 老人のすぐ下には、木の幹と葉っぱのない枝が描かれている。老人のトーガ(古代ローマの外衣)に溶け込んでおり、それらが老人の大動脈と動脈を表していることがわかる。レオナルドはアナロジーを自然の一貫性を理解する手がかりと考え、さまざまな類似形を探した。その1つが、樹木、人間の血管システム、川の本流と支流などに見られる枝分かれのパターンだ。枝の太さは木の幹、大動脈、川の本流の太さとどのような関係にあるのかなど、分岐システムをつかさどる法則性をレオナルドは熱心に研究した。ノートのこのページでは、人間と植物の分岐システムのあいだに類似性があることを示唆している。

 老人の背中からは円錐形の物体が出ており、そのなかに正三角形など幾何学模様が描かれている。レオナルドはこの頃、「円積問題」と呼ばれる古代の幾何学者が定式化した問題に取り組みはじめていた。コンパスと定規だけを使って、与えられた円と同じ面積を持つ正方形を作図するという問題だ。代数はおろか算術すら苦手なレオナルドだったが、幾何学の勘はすぐれており、面積を変えずにある図形を別の図形に変形させるのは得意だった。このページのあちこちには幾何学的な図形が描かれ、同じ面積の部分に斜線をかけている。

 老人の背中にくっついた円錐形は丘のように見えるので、そこからつながるように山並みが描かれている。レオナルドのなかで幾何学と自然がシームレスにつながっていること、また彼がどのような空間的思考をしたかがうかがえる。

 この部分の流れを右から左へ(レオナルドが描いた方向)追っていくと、明確なテーマが浮かびあがってくる。まず葉のない木があり、それが老人の体となり、円錐の幾何学模様に変わり、最後に山の風景になる。4つはもともと独立した要素として描きはじめたものだろう。だが最終的に融合し、レオナルドの芸術と科学を貫く基本テーマを体現している。自然の一体感、そこに見られるパターンの一貫性、人体と自然の類似性といったものだ。

 そのすぐ下にあるものは、わかりやすい。ルドヴィーコ・スフォルツァのための騎馬像が簡単に、それでいて生き生きと描かれている。わずかな筆遣いで、絵に動きと生命力を与えている。さらに下には、重そうな機械装置が2つある。説明書きはないが、騎馬像を鋳造するための道具かもしれない。少し右側にはほとんど見えないぐらい薄く、馬の歩く姿が小さく描かれている。

■ルーブル美術館の所蔵する『岩窟の聖母』

 ページの下の折り目部分には、葉っぱの付いた茎が2本。植物学的な特性が精緻に描かれており、直接観察しながら写生したようだ。ヴァザーリはレオナルドが植物のデッサンに真剣に取り組んだと書いており、現存する絵はその観察力の鋭さを物語る。植物を正確に描くことへのこだわりが最も顕著に表れているのは、ルーブル美術館の所蔵する『岩窟の聖母』である。自然のパターンと幾何学の融合というテーマはここにも見られ、茎の根元部分から曲線的に伸びた葉は、コンパスで描かれた正確な半円と重なっている。

 ページの右端には、ふわふわとした積雲のデッサンがあり、それぞれの雲に異なる光や影がかかっている。その下には滝のように流れ落ちる水と、それによって穏やかな水面に広がる波紋を描いている。これはレオナルドが晩年まで描きつづけたテーマだ。他にもページのところどころに、教会の鐘楼、巻き毛、揺らめく葉っぱ、芝生からすっと伸びるユリの花など、レオナルドが繰り返し描いた図柄が見られる。

■レオナルドには珍しいプライベートな書き込み?

 このページには、他の要素とは一切関係のなさそうなメモ書きがある。髪をダークブロンドに染める方法だ。「髪を褐色にするには、まず木の実を灰汁で茹でる。そこに櫛を浸して髪をとき、太陽に当てて乾かす」。宮廷で見せる宗教劇の準備かもしれない。だが私には、レオナルドには珍しいプライベートな書き込みに思える。すでに30代も終わりに近づいていたこの時期、白髪対策に頭を悩ませていたのかもしれない。

(「文春オンライン」編集部)

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