発売前先読み!『風と共にゆとりぬ』朝井リョウ――「対決! レンタル彼氏」(3)

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対決! レンタル彼氏(2)より続く

「ダ・ヴィンチ」BOOK OF THE YEAR 2015 1位(エッセイ・ノンフィクション部門)! 『時をかけるゆとり』に続く朝井リョウエッセイ集、第2弾が6月30日に発売されます。刊行を記念して、本書の一部を特別公開。別人格になりきるために、その道のプロであるレンタル業者を利用することに決めた朝井さん。その覚悟の先にあるものとは?

◆◆◆

■対決! レンタル彼氏(3)

「お待たせしてすみません」

 横にスライドしたドアの向こう側に、スーツ姿の男性が立っている。

 M氏だ。

「はじめまして、Mです」

 M氏はいかにもサラリーマン風なカバンをそばに置くと、にこやかにほほ笑みながら椅子に腰を下ろした。「ごめん、ちょっと遅れて」Uさんに話しかけるその横顔はどこからどう見ても彼氏そのものであり、「あ、全然。私たちも今来たばっかりだから」とM氏に向かってドリンクメニューを差し出すUさんも、どこからどう見てもM氏の彼女そのものだった。

?

 おそろしい子……!

 

 本物の実力を目の当たりにした途端、私の中にあったらしい月影千草的スイッチがバチコンと押されてしまった。「爆笑ヒットパレード」での藤井隆さんを観たときに感じたあの衝動と似ている。それはつまり、なりきり能力の高い人への強烈な嫉妬だ。

「すいません忙しいのにわざわざ来てもらっちゃって、なんか親が姉貴のこと心配しすぎててうるさくって……ほんとすんません」

 一言話し出せば、さっきまで手先が冷たくなっていたことなど嘘のように、ぽろぽろと言葉が零れ出てきた。

「いやーでもほんとびっくりですよ、こんなちゃんとした彼氏ができてたなんて〜! もう父ちゃんも母ちゃんも喜びますよ〜」

?

 おそろしく楽……!

?

 私は雷に打たれたようにそう思った。全員がウソをついているって、なんて楽なんだろう。誰も本当の自分を差し出していないので、心が擦り減るようなタイミングが一切ないのだ。人間関係が時にとても疲れるのは、みんな、きちんと本物同士で関わり合っているからなのだろう。架空の人物同士で会話をしている今ならば、実は顔が大きいの気にしてるんでしょ、なんてデリケートゾーンを突如攻撃されたとしてもイラつかないかもしれない。

 こちらの口数が増えれば、相手の口数も増えていく。私はいろんな質問をしながら、相手の出方をうかがうことにした。

 デートとかどこ行ってんすか、こんなの(※姉貴を指しながら)(←やんちゃな弟演出)と、と訊けば、

「最近は……どこだったかな、イチゴ狩りに行ったかな。そんなに休みも合わないんでなかなか遠くへも行けないんですけどね」

 Uさんと打ち合わせしていたのだろう内容が、M氏の口からぽんぽん出てくる。隣でUさんも、さもその思い出を共有しているかのように頷いている。っは〜白々しい。

「仕事内容ですか? そうすね、素材関係なんで、あんまり話してもわかんないかもしれないんですけど、カメラとかの部品になるようなところの素材を扱う会社ですね」

 このような逃げ方もさすがにうまい。素材関係、という、一般的によく知られていない業界を差し出すことで、こっちが「あー、それって××ですよね」等と話に踏み込んでいくことを拒否しているのだ。ふわっと仕事内容を話すだけで、社名は絶対に口にしない。おそろしいM……!

「職場? 職場はえーっと……品川のほうですね。自宅からはまあ、三十分くらいかな? 近い方なので助かりますよ」

 だが、時間が経つにつれて、少しずつ少しずつ、職場は品川、とか、そこから三十分くらいの場所に自宅がある、とか、おそらくM氏にとっては明かしたくない具体的な情報が見え隠れしてきた。これも全てウソかもしれないが、ウソであったとしても、品川、という具体的な地名を出してしまったことはM氏にとって誤算だっただろう。

 私はそこを攻めることにした。

「あ、そっちのほうなんですか? うわーボク仕事でよくそのあたり行くんですけど、なんかいい感じでランチとか打ち合わせとかできる店がなかなか見つからないんですよね、どこかいいとこ知ってますか?」

 さあ、どう答えるのかしら、マヤ――。

 見えない緊張感が、個室の中を埋め尽くす。

「あー……ちょっと駅から遠いんで、僕のおすすめは参考にならないかもしれないですね」

 すぐに、上手にかわされる。なるほど、そんなカンタンに尻尾はつかませないってことですか―いつしか私は、心の中に月影千草を飼う赤メガネのひょうきんな弟、といういよいよ複雑すぎる人格になりきっていた。

 お酒がまわってきた(振りをしつつ本当は全員ギンギンに頭が冴えている)ところで、もう少しプライベートなことを聞いてみたりもする。

「姉貴、Mさんのためだったら料理とか作ったりするんですかあ?」

「ちょっともう、何聞いてんのやめてよ」

 こんなふうにすぐに対応するUさんもなかなかのマヤである。油断ならない。

「あー、作ってくれたりしますよ。家庭料理的なものを」

「へー! 実家にいたときは全然そんなことしなかったくせに……ねえ!?」

 心の中の月影千草を飼いならし始めた私は、なぜか、結託していたはずのUさんに対してもトラップを仕掛けるようになっていた。打ち合わせしていないディテールを突如ふっかけるのである。

「Mさんってお酒はよく飲まれるんですか? へ〜それならうちの親父が喜びますね〜……ねえ姉貴!?」

「あ、そーいえば動物大丈夫ですか? うち実家でペット飼ってて……ねえ姉貴!? 犬だよねえ!?」

 突如始まった設定増し増し祭りにより、私とUさんはなりきり能力のレベルをガンガン上げていった。少年漫画によくある、「こいつ……試合中に強くなってやがる……!」である。

 だが、本命マヤであるM氏も負けていない。あらかじめ決めておいた二つの申し出を繰り出してみるが、まるで歯が立たなかったのだ。「両親が見たがっている」と写真を頼んでも、「今日はお酒を飲んで顔も赤いし、格好も適当だから、御両親に見せるならばもっとちゃんとしたときに」と自然にかわされる。「これからも仲良くしたいので連絡先を知りたい」と申し出ても、さりげなく「あ、じゃあU、あとで俺の連絡先伝えといて」とその場では交換しなくてもいいような空気を作る。そう言われてしまうと、無理に「今、写真撮らせろよ!」「今、連絡先教えろよ!」と主張するほうが変な感じになってしまうのである。さすがだ。この部屋はもうマヤだらけである。

「ごめん、ちょっとお手洗い行ってきます」

 二時間ほどが経過したころ、Uさんが不意に席を立った。「不意に」と書いたが、もちろんこれも計画のうちのひとつである。お互いに必ず一度はお手洗いに行き、それぞれがM氏と二人きりになる空間を作り出すことを事前に約束していたのだ。

 Uさんが個室を出ると、当たり前だが、個室の中はM氏と私だけになった。

?スーツのよく似合う爽やかな青年は、なんてことないといった表情で、お酒を飲んでいる。顔は少しだけ赤くなっており、お箸の使い方がうまい。

 この人、誰なんだろう。

 郵便物の封を開けるように、私は思った。今目の前にいるこの男の人は、一体どこの誰なのだろうか。この不思議な感覚は、なんと表現すれば伝わるのかいまだによくわからないのだが、小さな個室の中に、この個室いっぱいに広がる世界が二つ存在しているような、とにかく不気味に計算が合わない感覚だった。

 これで最後にしよう。私は口を開く。

対決! レンタル彼氏(最終回)に続く

(朝井 リョウ)

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