「拾われた男」松尾諭 #3 「北青山のアパートで同居人のピロートークに悶絶した日」

「拾われた男」松尾諭 #3 「北青山のアパートで同居人のピロートークに悶絶した日」

(c)NHK

 上京する半年前、家探しも兼ねて初めて東京の地を踏んだのが1999年の夏、大阪でよく遊んだ自称ファッションモデルの杉田を訪ねると、彼は尼崎出身のパンチのある女と北青山のボロいのに家賃12万もするアパートで同棲していた。役者を志し、半年後に上京する旨を伝えると、二人は僕を応援してくれ、三人で一緒に暮らそうと言ってくれた。どこかで聴いた誰かの歌のような展開だと思いきや、数ヶ月後に杉田から連絡があり、彼女と別れて、それまで折半していた家賃の支払いが大変だから少しでも早く上京してくれとの事。予定より早く上京し、予定よりひと月分多く、予定より2万円高い家賃を払うことになり、雀の涙のような貯金は瞬く間に底をついたが、北青山と言うおしゃれな土地に家賃6万というのはとても好条件だった。

 かくして金欠な男二人の共同生活が幕を開ける。杉田はオシャレで楽しい男だった。共通の趣味も多く、彼との生活はちっとも苦にならないはずだったが、ふた月もするとお互いの嫌な部分が見えてくる。杉田は小言を言うようになり、言い返そうにも家を追い出される訳にはいかないのでグッとこらえる。そんな先行きが不安な二人暮らしは、春の訪れとともに終わりを迎える。

 杉田の高校時代の友人塚本は映画監督を志し、四国からやってきた。映画好きの心優しい塚本の同居は渡りに船だった。家事も、杉田の小言も分散され、そして何より家賃が4万円になる。塚本が加わった三人暮らしは、小言を言う人、言われる人、茶々を入れる人、はたまた文句を言う人、愚痴を言う人、愚痴を聞いてやる人、と柔軟に関係を変化させ、それはまさに完璧な共同生活だった。あのグループも三人の方がいい曲多かったよねと実感できる様なその関係に亀裂が入りだしたのは、梅雨が明ける頃だっただろうか。

■杉田に女ができた、塚本が恋をした

 杉田にA子という女ができた。まるで人形のようなとても可愛らしい女子短大生で、前の女とは真逆の可憐な娘だった。杉田は実家暮らしの彼女をよく家に泊めた。そんな日は、僕と塚本は暗黙の了解で数時間外出を強いられ、コトが終わったのを見計らって部屋に戻る。杉田は自他ともに認める性豪で彼女が我が家で朝を迎える頻度は高かった。それなら彼女も家賃払ってくれないかな、と思うほどに。

 そんな最中、塚本が恋をした。女性に対して奥手な彼の、とても清々しい恋を皆応援した。杉田もA子も応援した、よく遊びに来る杉田の親友、赤江も応援した。赤江という男は陽気かつ知的、そして杉田も認める性豪で、とにかく女にモテる。そして赤江は応援した舌の根が乾かぬうちに、塚本の好きな女を寝取った。失意の塚本は、誰にも怒りをぶつけることなく、散りゆく落ち葉のように静かに部屋を去った。

■延々と続く真綿で首を絞めるような会話 

 塚本が出ていき家賃が再び6万円となったにも関わらず、A子の半同棲化はすすむ。恋人たちの季節は独り身の貧乏男には厳しい。バイトが終わって家に帰ると待ち受ける、幸福な二人のピロートークはもはや拷問だった。二人が初めて迎えるバレンタインデー、そんな日はもちろんバイトのシフトを遅番にして、深夜に部屋に帰った。二人はすでに寝ているようだったので、起こさないようにそっと僕も布団に入った。しばらくすると小声の会話が聞こえてきた。内容は、杉田が他所でもらってきたチョコレートをどうするのかと言う話だった。

「あのチョコどうするの」

「食べるよ」

「食べるんだ」

「一緒に食べようか」

「食べるわけないでしょ」

 A子は泣き始める。

「ごめんね、じゃあ捨てるよ」

「もったいないでしょ」

 聞きたくもないのに聞こえてくる他愛のないやりとりで寝るに寝られず、延々と続く真綿で首を絞めるような会話のせいで、僕は生まれて初めてストレス性の胃炎になった。結局そのチョコ論争は、杉田の「まっちゃんにあげよう」と言う言葉をもって落着する。そして翌朝、何も知らなかったかのように僕は大喜びでチョコをほおばった。胃が痛かった。

 程なくして、杉田にさらにB子という新しい女ができた。まるで人形のようなとても可愛らしい女子高生で、ポカリのCMに出てきそうな溌剌とした娘だった。ちなみにA子との関係は持続したままである。それは決して二股ではない、と杉田は言う。B子と付き合うことになったから、A子には時期が来たら別れを告げると言うのだ。そして二人の女が入れ替わり出入りするようになって半月あまり経った頃、時期が来たのか飽きが来たのか分からないが、杉田はA子に別れを告げに行った。帰って来た杉田は号泣し、A子がいかに素晴らしい女だったかを僕に話した。胃が痛かった。

■はじめて消費者金融のお世話になった、静かな引っ越し

 それからしばらくして、杉田から申し出があった。5月になったら、短大生となったB子と、この部屋で一緒に暮らしたいと言う。それまで何度となくB子は泊まっているし、一緒にいても楽しい娘だったので、僕はその申し出を快諾した。しかし杉田の態度がおかしい、何かを言い出せずにいるようだった。その様子を見て、まさか、と思うことがあった。そのまさかの先は決して聞きたくなかったが、二人の間に生まれた妙な沈黙に耐えきれず、聞いた。

「まさか二人で暮らしたいから出てってくれってこと」

「平たく言えばそういうことやな」

 じわじわと込み上げてくる怒りに似た感情をグッとこらえ、その日のうちに新しい部屋を探し、生まれて初めて消費者金融のお世話になり、数日後、杉田のいない時間を見計らって、静かに引っ越しをした。その晩、驚いた杉田から連絡があった。春までは一緒に暮らしたかった、寂しいなと彼は言ったが、その腹はB子が入居するまで家賃を折半したかっただけである。ざまあみろ。

 そして一日で運良く見つかった、家賃5万円で27平米もある築十年の物件が実は事故物件で、二階建ての二階の部屋なのに天井から夜な夜な足音が聞こえて来て恐怖に怯える日々を送る事になるのだが、それはまた別のお話で。

まつお・さとる/俳優。1975年兵庫県生まれ。映画・ドラマで存在感ある脇役として活躍中。出演映画作品に『テルマエ・ロマエ』『シン・ゴジラ』、ドラマ作品に『最後から二番目の恋』『デート』『ひよっこ』など多数。

(松尾 諭)

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