東出昌大が語る司馬遼太郎の魅力――人生を変えた司馬文学

東出昌大が語る司馬遼太郎の魅力――人生を変えた司馬文学

東出昌大 ©志水隆/文藝春秋

■「父のことを知るために」―司馬遼太郎作品との出会い

 司馬遼太郎さんの作品を手に取ると、いつでも父との思い出が蘇ってきます。実家にある父の本棚には、司馬さんの作品が並んでいました。父は同じ本を何度も読み返すタイプで、本棚の歴史小説をひっぱり出しては読んでいる姿が、印象に残っています。

 今から考えると恥ずかしいのですが、子供の頃の私は学校の授業で、歴史科目が大嫌いでした。ある時、歴史好きの父に「日本史や世界史なんか勉強してなんになるの」と、言ったことがあります。すると父に「それはお前がわかってないだけだよ。多くの先人たちから学ぶべきことはたくさんあるんだぞ」と諭すように返されたのです。

 そんな私が、司馬遼太郎さんの作品に出会ったのは、十九歳の時です。その年、父ががんで余命半年と宣告されました。その時になって初めて「父のことを何も知らない」と愕然としました。どうすれば、父のことがもっとわかるようになるのだろう、とずいぶん悩みました。

 私は、父の本棚にずらっと並べられた本の背表紙を思い出しました。『酔って候』、『馬上少年過ぐ』といった読み方すらわからないこの本たちこそが、父を形作ってきたものではないだろうか……。この司馬遼太郎という人の本を読めば、父のことを少しでも理解できるに違いない。そう考えたのです。

「歴史小説を読んでみようと思うけれど、読みやすいのはどれかな」と病床の父に尋ねました。すると「初めて読むなら、これがちょうどいいよ」と言いながら『峠』を勧めてくれました。

■“司馬ファン”になるきっかけ―『峠』に酔いしれた

『峠』は幕末の長岡藩で家老を務めた河井継之助が主人公の小説です。世の中が明治新政府中心に変っていく中で、それを良しとせず、最後は旧幕府側として戦い亡くなるまでを描いています。

 負けるとわかりながらも、自分の信念を貫いた河井のような生き方をした人が、今から百数十年前に実際にいたことにまず衝撃を受けました。

『峠』に出てくる河井の性格を表すエピソードも印象的で心に残りました。まだ書生だった頃の河井が、江戸の町を歩いていると吉原の方向で、鐘を鳴らす音が聞こえてきた。河井は瞬時にその方向へ走り出し、馴染みの女性の元へと駆けつけます。司馬さんは、このエピソードを単に女性を心配した姿だけを描くのではなく、河井の行動力の源が陽明学にあることの証明として書いています。

「考えるより先に行動に出る」という河井の性格は、藩政に関わるようになってからも変わりません。お家の危機になると、早駕籠に飛び乗り、徒歩だと六日かかる行程をたった二日で移動してしまいます。

 当時の早駕籠は、わたしが想像していたような楽な乗り物ではありませんでした。

 駕籠の中のひもにぶら下がり中腰になり、全身を揺すられ続け、吐き気を押さえながら、乗り続けなければいけない。常人だと到底堪えられない。ところが河井は、江戸に着いたら休む間もなく、政務にとりかかるという超人的な行動力をみせます。長岡藩牧野家の家訓は「常在戦場」で、常に戦に臨むような緊張感を持って生きていたそうです。河井もまた、精神的にも肉体的にも限界まで努力を尽くします。

 河井の人物像に酔いしれた私でしたが、何より「この司馬遼太郎という作家の小説は面白い」と、考えるようになりました。その後は、父に「読みやすい司馬さんの作品を教えて欲しい」と頼み、次々に読むべき作品へ手を伸ばしました。新選組の土方歳三を描いた『燃えよ剣』や坂本竜馬が主人公の『竜馬がゆく』といった作品を読み終えた頃には、すっかり司馬さんのファンになっていました。

 司馬さんに教えられたのは、歴史を多角的に見る必要性です。たとえば、『峠』は旧幕府側からの視点で読めますが、『竜馬がゆく』は倒幕派の視点がわかる。相対する立場の人が、それぞれどのような想いで生きようとしたのかをさまざまな角度から知ることができる。

 幕末は髷を結って刀をぶら下げていた武士たちが、外国の脅威を目の当たりにして、大きな危機意識をもった時代です。単純にどちらがいいとか悪いとかではない、そういった見方があることを教えてくれたのが司馬さんの幕末小説でした。

■NHK大河ドラマ役作りの参考に

 NHK大河ドラマの「花燃ゆ」では、井上真央さん演じる文の夫・久坂玄瑞を演じました。久坂は長州藩出身の志士で、松下村塾で知られる吉田松陰の弟子であり、義弟でもあります。

 司馬作品にも、幕末の長州藩を舞台にした小説があります。兵学者・大村益次郎が主人公の『花神』や架空の武士・天堂晋助を中心にした『十一番目の志士』などがありますが、特に好きなのは『世に棲む日日』です。吉田松陰と高杉晋作が主人公で、久坂も重要人物として登場します。

 今回の役作りでは、久坂や幕末の資料をいろいろと読みながら、自分自身の久坂玄瑞を作り上げていきました。

 まず私は、当時の等身大の若者像を想像してみました。もちろん立身出世は大事にしていたでしょう。でも、それ以上に、連綿と続いた封建制度をぶち壊してしまおうという強い決意があったのではないだろうかと考えました。久坂は吉田松陰を慕い、「自分たちが頑張らなければ、この国は亡くなってしまう」と心から思っていた。すると、妻の文さんをほったらかして、国事に奔走したことの意味も理解できます。

 吉田松陰は、久坂に、小事のために死ぬのは間違っていて、生きて大事をなすべきだと教えています。あの時代の志士と呼ばれる人の多くには、共通してそういった気持ちがあったのではないか、と考えています。

 ともすれば、私のような若い世代は「武士道」を大きく誤解をしていて、腹切りに代表されるように無謀で命知らずといったイメージを抱きがちです。しかし、久坂にしても松陰にしても、志なかばで亡くなりましたが、そこに至る過程で、一人の人間として苦しみ悩み、決して命を無駄にはしません。彼らに共通していたのは、「自分ひとりのためではなく、皆のために何かをしなければならない」という思いだったのではないでしょうか。

 実は、久坂を演じるにあたって、改めて『世に棲む日日』を読み返しました。一人ひとりの出自だとか歴史上の役割などが違った形で頭に入ってきて、人物が立体的に見えてくる。

 役作りの仕上げに参考になった部分があります。それは、武士の感情表現に関してです。幕末の志士たちは、毎晩のようにお酒を飲んで、語り合い時にワンワン泣いたりして、感情表現が豊かです。常に毅然としていて、黙って涙をこらえるというステレオタイプな武士像しか知らない自分だと恥をかくと思いました。読み返すたびに新鮮な発見があるのが、司馬作品の大きな特徴かもしれません。

■東出昌大のオススメ―現代に通じる司馬作品

 ここからは、いくつかの小説を挙げながら、私なりの司馬作品の楽しみ方を紹介していきたいと思います。

『竜馬がゆく』はできるだけ若い時に読んで欲しい作品です。十九歳のときに『竜馬がゆく』に出会った私は、こんなにスケールの大きな日本人がいたんだ、と度肝を抜かれました。『竜馬がゆく』を読んでいて驚くのは、教科書にも出てこないような無名の人々が、志を持って、自分とその周りの幸せを願って生きていたという事実です。読み進めていると次第に自分がそんな英雄たちの一人だったようにも思えてきます。私たちの世代はもの心ついた時から不況だといわれて育ってきました。そんな閉塞感のある時代だからこそ、同じような閉塞感のあった江戸時代を壊した坂本竜馬を知って欲しいと思います。

 個人的には、小さい頃から剣道をやっていたので、幕末の動乱が始まる前の剣術修行をする姿は青春劇として楽しく読めました。

 逆に社会人として第一線で働いている人に読んで欲しいのは、『菜の花の沖』です。江戸時代の箱館の商人だった高田屋嘉兵衛は、当時、太平洋側に進出を始めたロシアによって抑留されてしまいます。しかし、持ち前の明るさで人々の心を掴み、遂には帰国するという物語です。

 司馬さんご自身も嘉兵衛がお好きだったそうですが、彼のように破天荒かつ明るくて、人々のためを思った人がいたことは勇気づけられます。偉い大名ではなく商人の嘉兵衛が主人公であるからこそ、自分に引き寄せて読みやすい。現代社会だからこそ、彼の生き方は共感をもって読めるし、心を動かされると思います。

■信長を演じてみたい―戦国時代の魅力が詰まった作品たち

「司馬さんの作品が映像化されるとしたら、どういった人を演じたいですか」と聞かれることがありますが、戦国を舞台にするならば織田信長に挑戦したいと思います。中でも『国盗り物語』の信長は、いままで幾度となく映像化されているとはいえ、演じてみたい人物です。この作品は、斎藤道三と信長、明智光秀という不思議な“師弟関係”を描いていて「戦国」を知りたい人にうってつけです。

 信長を知れば豊臣秀吉の『新史太閤記』を読みたくなるはずです。秀吉の人間味がこれでもかというほど詰まっています。

 戦国時代は、司馬さんの手によって多く書かれていますが、大河ドラマにもなった『功名が辻』の山内一豊と千代夫妻は、現代のサラリーマンにも通じます。戦国の女性は、細川ガラシャやお市の方など、戦乱の中で悲劇的な最期を遂げた人が、有名です。しかし、戦乱の世の中で、内助の功を発揮し、夫婦二人三脚で出世の道をひた走る姿には、興味を持つ人が多いのではないでしょうか。

 天下分け目の合戦をダイナミックに描いた『関ヶ原』には、私が大好きな武将・大谷吉継が登場します。河井継之助にも通じる「義の武将」で、秀吉が「百万の軍勢の指揮を取らせてみたい」と語った才人です。

 東軍の徳川家康と親交がありながら、親友の石田三成との信義を優先して西軍についた。その清廉潔白な姿に同じく「義の武将」である上杉謙信と共に憧れます。

■語り尽くせぬ『坂の上の雲』の魅力

 少し時代がさかのぼりますが、『空海の風景』も外すことはできません。父の実家が和歌山県だったので、高野山は目と鼻の先。「空海は凄い人なんだ」と言われて育ったそうです。父から私もまったく同じように育てられたのですが、空海の人間離れした力を子供心に理解できなかった。ところが『空海の風景』を読むと、平安時代に中国大陸に渡ることの難しさや最先端の思想を短期間で学びきってしまい「もう教えることはない」と言われてしまうほどの天才だったことがわかる。全国に空海ゆかりの地が存在しますが、人びとが空海を信仰したわけがやっとわかりました。

 中国を舞台にした、壮大なストーリーの作品も挙げたいと思います。『項羽と劉邦』は古代中国を舞台にしていますが、現代にも通じる人間のあり方を知ることができます。楚を率いた軍事の天才項羽と漢王朝を起こした劉邦という二人のライバルの物語。『三国志』や『水滸伝』は日本でも人気がありますが、それに匹敵する壮大なストーリーが魅力です。私はよく電車の中で本を読むのですが、『項羽と劉邦』を読んでいた時は、車内とまったく別の世界に連れて行ってもらう爽快感を楽しみました。

 壮大なストーリーといえば、『坂の上の雲』を忘れてはいけません。日露戦争を勝利に導いた軍人・秋山好古、真之兄弟と幼馴染である正岡子規の青春が書かれています。伊予松山の名もない若者たちが、国家存亡の危機に、苦渋の決断をしていく姿には感動を覚えます。

 国を良い方向にもっていこうとする決断の積み重ねが、日露戦争という大きなプロジェクトを動かす原動力になる。この物語には多くの成功と失敗が書かれていて、学ぶところが多いのです。これから社会に出るような人が読むと「仕事はこういった気構えでやった方がいい」と思えるに違いありません。

 登場人物も魅力的です。秋山兄弟の写真が残っていますが、二人とも聡明なところが伝わってきます。好古は、当時の外国の観戦武官たちが、「日本の騎兵を教えているのは外国人だ」と言った風貌の持ち主でした。ものすごく豪胆で、その性格があったからこそ、ロシア軍にひけをとらない戦いができたのでしょう。

 一方、弟の真之は、『坂の上の雲』に描かれるエピソードの一つ一つが、身近に感じるものばかりで面白い。故郷の母から送られてくる炒った空豆をポッケにいれていつでもポリポリ食べていたそうです。

 司馬さんが冒頭で書いておられるように「明治日本」が真の主人公です。特殊な生まれの人だけを堅苦しく描いているのではなく、市井にいそうな人を中心にすることで、歴史への理解を深めさせてくれています。

 歴史の薀蓄も見逃せません。後半は日本海海戦などの戦争の描写が中心ですが、日本が開発して絶大な効果をあげた「下瀬火薬」の話とか、「奇跡の勝利」のためにどのような戦略を巡らせたかが余すことなく描かれています。

 満洲軍の参謀だった児玉源太郎は、どんな状況になっても細々した身支度も部下に任せず自分できちんとやるような男です。お天道さまに手を合わせて、一度決めたようなことでも、状況が変われば臨機応変に対応し次々とロシア軍を破っていく。

 日本海海戦で指揮をとった東郷平八郎の人間の大きさも忘れられません。海戦時には、艦橋に立って、波しぶきを被ろうとも、近くで爆弾が炸裂しようとも、一歩も動くことがなかった。東郷が立っていたところは、濡れず足の跡がそのまま残っていたそうです。こんな逸話を盛り込みながら物語が進んでいきますから、人物がたくさん出てきても頭の中で整理がしやすいのです。

 最近、『坂の上の雲』で描かれた人物像とまったく違う、新資料が発見されたというニュースを目にしました。日本海海戦で日本海軍の前に立ちはだかったロシア海軍のロジェストウェンスキー中将は、癇癪持ちとされていますが、実際の彼は、家族にも部下にも愛されていた人物だったそうなのです。私は、こういった司馬さんの作った人物像を壊すような資料の発見をむしろ嬉しく思います。

 新資料によって司馬さんの作品の素晴らしさが薄れるわけではなく、ますます物語の世界が広がっていきます。そもそもロジェストウェンスキー中将など『坂の上の雲』を読むまで知らなかったし、興味も持ちませんでした。多くの読者もそうだったはずです。司馬さんの作品があったからこそ、話題として取り上げられ、新資料の発見が大きく扱われたのです。もし司馬さんがご存命だったら、こういった新しい発見をお喜びになったのではないか、と想像しています。

 幾つかのお勧め作品を紹介してきましたが、女性には是非、『燃えよ剣』を読んでもらいたいと思います。現代に生きる多くの女性をもその生き方で虜にする新選組ですが、この本を読めばその理由、男も惚れる気骨が感じられると思います。私はいつのまにかかつての父のように司馬作品を、人に勧めるような人間になっていて、撮影の現場でも、興味を持ってくれた人には、手持ちの文庫をあげてしまうことがよくあります。

■「焦りのような感情が生まれる」―どうしても紹介したい作品

 大阪の司馬遼太郎記念館にも、以前足を運びました。静謐な庭に面した司馬さんの書斎は、仕事場の様をそのままに残し、一ファンとして胸が高鳴る思いでした。また館内には蔵書がずらっと並べられているのですが、数階建ての建物の、吹き抜けの天井まであるその量に圧倒され、言葉が出ませんでした。

 小説のテーマが決まると神保町の古本屋から関連書が消えたという逸話を聞いたことがありますが、記念館にいくとその理由がよくわかります。私の目に留まったのは私の出身地の埼玉の本。『この国のかたち』で、地元の隣町のことが書かれたことがありましたから、「こういった本を読んで書かれたのかな」と想像をしました。

 司馬さんは小説だけではなく、土地に注目した紀行文『街道をゆく』を書いています。地方に撮影で出かけるときには、その土地を扱った巻がないかを調べます。いま行ってみると苔むした石碑がぽつんと立っているだけの土地でも、どこかに人々が生きた証しがあります。そういったガイド本にも載ってないような事柄を丁寧に記している。読んで訪れて帰ってからまた読む。するとまたその場所に行きたくなってきます。

 司馬さんの作品を読むと、自分とそう変わらない年齢の人たちが、時代の転換期に大きな活躍をしていたことに驚かされます。自分自身を振り返ってみて、「このままだらだらと過ごしていたら、彼らのような立派な大人になれないぞ」という焦りのような感情が生れてきます。

 学校の歴史の授業でそのような気持ちになったことはありません。歴史の授業は受験対策のための無味乾燥なものでした。幕末から明治維新の時期を授業では、流れるように数回で終えてしまいます。そこに出てくる人物たちは、名前と功績を思い出せる程度に教えられるにすぎません。

 しかし、司馬さんの作品は違いました。登場人物は一人ひとりが生き生きとしていて、大きな物語を持っています。また、時代背景がわかりやすく、しっかりと書きこまれていて、彼らが生きた世界の理解を深めることもできる。

 最後にどうしても紹介したい作品があります。小説ではないのですが、「二十一世紀に生きる君たちへ」です。若い人にこそ、この文章は読んで欲しいと思います。元々、子供たち向けに書かれたもので、歴史を学ぶことの意味や司馬さんご自身の歴史観が素敵な文章でまとめられています。短い作品ですがエッセンスが詰まっていますから、まだ読んだことのない人は、まず初めにこの作品から司馬さんの世界に入ってみるのはいかがでしょうか。

出典:文藝春秋2016年2月号
著者:東出昌大(俳優)

(東出 昌大)

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