平成元年の絶望と翌年の希望。今振り返りたい大洋ホエールズの明るい野球

平成元年の絶望と翌年の希望。今振り返りたい大洋ホエールズの明るい野球

平成元年、チームリーダーの高木豊

 ここまで33試合を終えて11勝20敗2分け、最下位である。4月の中頃までは楽しかったよね。上茶谷君を見殺しにしたのと今永無援護の試合を勝っていれば今頃首位とか言ってさ。大和も伊藤光も横浜にすっかり馴染んだし、神里の男前っぷりは磨きがかかる一方。

 ……ってあれ? 今年引き分けなんてあったっけ?  と開いた新聞の日付を見れば、同じ「元年」でもなぜか平成元年5月28日。その紙面には前日、ホエールズがヤクルトに4−7で負けた事が記されている。同じく33試合を終えた令和元年の今日、5月7日時点のベイスターズの成績は12勝21敗。そう、古葉竹識政権が崩壊した平成元年と今年の成績は今のところほぼ同じなのだ。ホエールズとベイスターズにとって「元年」は鬼門か。

■とにかく暗かった平成元年のホエールズ

 平成元年33試合目の負け投手は中山裕章で、ここまで5敗5セーブ。開幕から30試合ちょっとで守護神がすでに5敗ってのも相当だが、この年の中山は前年オールリリーフの70試合登板で投球回数142.1という酷使(1試合平均2イニング!)の影響で精彩を欠き、投げる度に試合をひっくり返されていた。さらには前年1番定着で打率.293。山下大ちゃんを超える遊撃手連続無失策記録を継続中だった高橋雅裕は、開幕早々記録が途切れるとその後もエラーを連発し、打つ方も前年の開眼がウソのように低迷。大洋漁業のCMで“パッ缶 好きですか?”“パッ缶 好きですよ”と迷演技を見せた若き2人の不調に歩を合わせるかの如く、クジラは深い海の底に沈んでいた。

 平成元年のホエールズはとにかく暗かった。クロマティにサヨナラ弾を浴びて東京ドーム12連敗を喫した後にはキャッチャー市川が涙を流し、チーム10連敗&巨人戦18連敗の時はチームリーダー高木豊がスタジアムのベンチで座りこんだまま泣きじゃくった。当時の価値観的にプロ野球選手が敗戦後に泣くのは有り無しで言うと「無し」。同情どころか批判の声が挙がった。そのユタカとポンセはまさかの低打率にあえぎ、遠藤はアキレス腱断裂からいまだ復活せず、10勝投手ゼロ&2桁敗戦5人の投壊ぶり。頼みの綱はパチョレックと、タイプじゃないのに4番に座り球宴出場も果たした元祖番長こと山崎賢一。6月頃からは古葉監督の途中休養が取りざたされる始末で、何とか最後まで指揮は執ったもののシーズン中に辞任発表。最終戦終了後にはナインが惜別の胴上げを、と集まるも「胴上げは優勝した監督がされるもの」と本人がキッパリ拒否。まさにどん底を象徴する出来事だった。

 古葉さんですらどうにもできなかったのに、次の監督誰がやるのよ? ファンがヤキモキしていた頃、巨人二軍監督でイキのいい若手を育てまくっていた須藤豊が突如監督候補に浮上する。須藤と言えば昭和55〜56年に大洋の二軍監督を務め、若手時代の高木豊や市川らを鍛えた指導者。しかし当時は巨人のファームを4連覇させていた頃で「まさか?」という感じである。そのあたりの経緯がホエールズ担当記者グループによる『須藤豊の大洋再建術』(エーブイエス 平成3年刊)に詳しく書かれているのだが、須藤は巨人の正力亨オーナーに大洋監督就任の挨拶に向かったところ「巨人にいた方が幸せでいられるよ」と嫌味半分で言われ、出身地である土佐のいごっそう魂に火が付いたという。打倒巨人、そして負け犬根性の払拭を。須藤はホエールズ立て直しのため奮闘する。

■ホエールズを変えた「AFT野球」

 昭和50年に長嶋監督と対立する形で巨人コーチを辞した須藤は、その後4年間にわたって鉄工所に勤務している。サラリーマン生活の中で「明るく、楽しく、夢を持て」との信念を持つに至った須藤は球界復帰後、これをアグレッシブ(気迫)、ファンダメンタル(基本)、テクニック(技術)と置き換え、それぞれの頭文字をとった「AFT野球」の浸透に全力を注ぐ。大洋監督就任後は手始めに何かと巨人に噛みつくことで自ら気迫を見せ、ナインの闘争心を煽ったのだ。

 一方で須藤はナインとの対話を重視した。ルーキー佐々木主浩の卒業試験を気にかけ、斉藤明夫には「俺はわからんことだらけだから教えてくれ」とアドバイスを求める。常に高いレベルを求められて萎縮し、古葉アレルギーに罹っていた選手のハートを掴むにはこれで十分だった。キャンプ終盤には「自分たちの応援スタイルを作ろう。採用者には監督賞を出す」と宣言。これは当時近鉄ベンチなどで流行っていた得点シーンでのお祭り音頭に倣ったもので、前の年どんよりと沈んでいた選手たちはノリノリになる。選考の末清水義之考案の「もういっちょ音頭」が採用され、大洋ベンチにはしばらくの間「もういっちょう!」の声が響き渡ったという。

 古葉監督と合わなかったベテラン加藤博一や、一度は引退を決意した田代が翻意して共に代打で活躍。遠藤は抑え転向で見事にカムバック賞。須藤の高知商の後輩である中山はエースの期待をかけられ開幕投手に抜擢。清水に横谷、宮里と若手の起用もピタリとハマり、チームは平成2年の開幕から巨人と首位争いを演じた。6月5日には14連敗を喫していた巨人・斎藤雅樹から9回土壇場で高木豊が逆転2ランを放つなど、大洋はセの台風の目となる。夏場以降息切れして最終的には64勝66敗3分け。惜しくも勝率5割は切ったものの念願のAクラス入りを果たし、セを盛り上げた須藤にはリーグ特別功労賞が送られた。最下位に沈んだ前年から戦力的な上積みがほぼなくても、ちょっとしたきっかけでチームは大きく変貌を遂げたのである。

 平成初期と令和元年。この30年の間に野球はいろんな意味で変わった。昭和の価値観が色濃く残っていた須藤監督時代のホエールズのエピソードを今改めて読むとその違いを否応なしに感じてしまうが、苦しい時ほど「もういっちょう!」的なノリと気迫がチームの流れを変えたりするもの。色々と言われるラミレス監督だけど、この何試合か円陣を組んでチームを鼓舞しているのはその部分への期待なはず。現状は正直辛い。でも今こそAFTの精神で明るく行こうよ、ベイスターズ!

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(黒田 創)

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