倉本聰 視聴者を馬鹿にしたテレビはつまらない #1

倉本聰 視聴者を馬鹿にしたテレビはつまらない #1

『やすらぎの郷』(テレビ朝日系) ©テレビ朝日

■なぜか「陽」の人間ばかりが集まった

 長年、脚本家をやっていると、書いていて楽しい作品と辛い作品があります。今回はとても楽しかった。物語が湿っていないからです。

 人間には、「陰」と「陽」の2種類があります。王貞治が「陰」なら長嶋茂雄は「陽」。高倉健が「陰」なら石原裕次郎は「陽」。僕は普段、ドラマを作る時は陰陽2つのタイプの俳優を組み合わせてキャスティングするのですが、なぜか、今回は「陽」の人間ばかりが集まってしまった。結局、人間、齢を重ねると「陽」のタイプが生き残るのかもしれません。

 一度だけ撮影現場に行ったところ、明るい雰囲気でつい笑ってしまいました。皆、トシだから長い台詞が覚えられない。ミッキー・カーチスは、「俺は(台本で)3行以上は無理だから。3行革命なんつって」と言ってカンニングペーパーを貼りまくるし、五月みどりは「私全然覚えられないの」って、泣き付いてくるし。もう僕は現場には行きません。だって、撮影を見ていると何かと文句を言いたくなってしまいますから(笑)。

 4月3日スタートのドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)。毎週月曜日〜金曜日、午後12時30分〜12時50分という時間帯で放映中だ。倉本聰氏(82)にとっては9年ぶりの連続ドラマとなる。

 物語の舞台は老人ホーム「やすらぎの郷 La Strada」。映画・テレビ業界を支えた俳優・脚本家・音楽家などの“業界人”しか入居出来ない施設である。厳正な入居資格を満たした老人たちがここに集い、穏やかな人生の終末期を過ごしている。

 入居者を演じるのは往年の名優たち。主人公の脚本家・菊村栄を演じる石坂浩二(75)と、大女優・白川冴子に扮する浅丘ルリ子(76)は、2000年の離婚後初共演。脇を固めるのもスターばかりだ。有馬稲子(85)、加賀まりこ(73)、五月みどり(77)、野際陽子(81)、藤竜也(75)、ミッキー・カーチス(78)、八千草薫(86)、山本圭(76)……。

 ドラマのテーマは「高齢化社会」、そして「生と死」。倉本氏が作品を通して伝えたいこととは――。

(出典:文藝春秋2017年5月号・全3回)

■大人のための“シルバータイム”を

 書こうと思ったキッカケは、僕の同年輩の友人たちが漏らした「見るテレビ番組がない」という言葉でした。

 若い頃にどれだけ無理をした人でも、老いると朝5時頃に目が覚めて夜は早く眠るようになります。これはヒトという生き物の本来の生態です。日の出に合わせて起床し、日の入に合わせて就寝する。現代人はどんどん夜に進出していますが、老人になると体内リズムは自然と原点回帰していくわけです。

 ところが、朝型生活をする老人たちが見るテレビ番組が今は殆どない。夜は若者向けのおふざけ番組ばかりで見るに堪えない。なぜ、大人の見るドラマがないのか。近年、僕は周りの人々からそういうことを言われていたのです。

 確かにその通り。夜がゴールデンなら、朝昼に老人も楽しめる大人のための“シルバータイム”を作ったら良いじゃないか。僕は同輩たちにそんな腹案を話したところ、多くの人が「是非やろうよ」と賛同してくれました。

 正直に言って僕の同年代は身体が駄目になりかけている連中が多い。惚けが入りかけている奴も少なくない。だから、今まだ辛うじて元気なうちに、テレビ草創期に意欲を湧かした連中を集めて真剣にテレビドラマを作ろうと考えました。

 八千草(薫)さんやルリちゃん(浅丘ルリ子)、(加賀)まりこには当初から相談していましたし、中には「ギャラは無料(ただ)でも良いから出させてくれ」と言ってくれる奴もいた。嬉しかった。そこで、テレビ朝日に話を持ちかけたら、早河洋会長が即断してくれたのです。

■今のテレビ局は視聴者を馬鹿にし、舐めた姿勢で番組を作っている

“シルバータイム”と銘打っても、『やすらぎの郷』は決して「高齢者のためのドラマ」ではないと僕は考えています。あまりにも「ガキ向け」に作られるようになったドラマを本来のドラマの作り方に戻してあげること。これが僕の狙いです。

 まだ駆け出しのシナリオライターだった時代、僕はある先輩にこう言われたものです。

「テレビは映画と違ってお茶の間に置いてあるんだ。茶の間の様子は俺たちには絶対判らない。病人が寝ているかもしれないし、赤ん坊が寝ているかもしれない。或いは、夫婦喧嘩の真っ最中かもしれない。だから俺たちはそっと暖簾を開けて『お邪魔します』って小さい声で言いながら入っていかなければいけない。テレビ番組はそういう作り方をしろ――」

 あれから半世紀以上経ちました。今のテレビはどうでしょうか。茶の間に誰がいるかも確認せずギャーッと横暴に土足で入っている気がします。ドラマも、バラエティも、情報番組も。茶の間にいる人が観たらどう思うか。それを想像することが、テレビ作りの根本ではないかと僕は考えている。今のテレビはあまりにも子供向けに作りすぎているのです。

 そして、今のテレビの最大の問題は、お客さん=視聴者の創造性(クリエイティビティ)を引き下げてしまったことでしょう。

 視聴者は僕たちが考えている以上に創造力が豊かです。彼らは自ら想像し、創造したがっている。テレビディレクターなんかよりも遥かに頭が良いのです。

 ところが、テレビ局は「分かりやすく! もっと分かりやすく」をモットーに、視聴者を馬鹿にし、舐めた姿勢で番組を作っている。誰にでも分かるように、一番低い水準に合わせたコンテンツ作りをしているから、テレビはつまらなくなってしまったのです。これはテレビに限った話ではありません。今ある全てのメディアに共通することでしょう。

 様々な技術革新があり、テクニカルな「面白さ」や「派手さ」は昔に比べて格段と進歩しました。ハリウッド映画を見ていてもその点には毎度感心します。しかし僕は、昔の映画やドラマにあったはずの「しんみりとした感動」や「心を打つストーリー」という、映画やドラマ作りの根源が忘れられつつある気がしてなりません。

 そんな想いもあり、僕は死ぬまでにキチンとしたドラマを残したいと考えていた。だから、本作を書くことにしたのです。そして、多くの仲間が集まってくれました。富良野塾にいて、先日芥川賞を取った山下澄人も出ています。受賞の翌日に撮影があって、現場のADたちがどう接していいか分からず困っていましたが。

 出演している役者はほとんど昔から付き合いがある連中です。兵吉(石坂浩二)然り、ルリちゃん然り、まりこ然り。お互い若い頃から、ここでは絶対に言えないあれやこれや知り尽くしている仲です(笑)。

 僕は彼らの短所は大体掴んでいる。今回、その短所を脚本に書きました。

 齢を重ねることで消える短所もありますが、誰にでも必ず消えない短所や消しきれない短所はあります。「本性」というべきものかもしれません。八千草さんみたいな完全無欠の女性にだって、小さな短所はある。そこをちょこちょこ掘り返して書いてやると面白いのです。そして、短所を持った人同士がぶつかり合って化学反応が起きる。そこにこそ、ドラマは生まれます。

(「倉本聰 老人ホームは恋の宝庫である #2」に続く)

(倉本 聰)

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