パレード――読書間奏文 藤崎彩織(SEKAI NO OWARI)

パレード――読書間奏文 藤崎彩織(SEKAI NO OWARI)

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「おはようございます!」

 薄暗い部屋に響いたのは、まるで試合前の野球部員のような勢いのある声だった。私は思わず

「ハイ!」

 と返事をしてしまった。まだ事態を把握できていない心臓が、慌てて動き出す。時計を見ると、朝の五時。私はいつの間にか録音機材の間で薄い毛布にくるまって眠っていた。

 息を整えて、ちらりと横のソファで眠る我がバンドのギタリスト、なかじんを見た。

 またか……。

 彼の寝言で起こされるのは、何度目だか分からない。

 以前にもトイレに行こうと立ち上がった時に

「ちょっと、タンマタンマ!」

 と、手までつけて制止されたことがある。どうしたの、トイレ使うの? と話しかけると、彼はゆっくりと手を降ろし、何事もなかったかのように眠りにつくのだった。

 吉田修一さんの『パレード』にもそんな話があったな……。私は、若者がルームシェアをする物語を思い出していた。

(『パレード』の中にも、なかじんのように大きな声で寝言を言う男の子が登場する。ちなみに彼の寝言は「あ、踏まないで!」)

?

『パレード』は、五人の若者がルームシェアをする物語だ。彼らの雑多な生活は「密入国した外国人みたい」だと書かれているが、一つの家に何人もの人間が入れ替わり立ち替わり現れる状況は、私たちの生活と似ている、と思う。

 作中にも

「ねぇ、このうちってさ、一体何人住んでんの? このあと、また誰か出てきたりする?」

 と質問をされる場面があるが、読みながら思わず笑ってしまった。私もこの奇妙な質問を、幾度も受けたことがあるからだ。

 我が家、通称セカオワハウスと呼ばれているこの家では、SEKAI NO OWARIのメンバー四人がシェアハウスをしている。

 セカオワハウスができてからの七年間、メンバーだけでなく、スタッフや、友だちや、その日知り合った外国人まで、色んな人が住んできた。

 デビュー前から私たちのバンドのデザインを担当してきたデザイナーとそのアシスタントや、現在ライブでエンジニアとして活躍している男の子。

 就職難の中で音楽企業就職を目指す男の子や、掃除をするという条件で住んでいた女の子等々、世代も職業も様々だ。

 英語を教えてくれるという条件で、外国人に一室を貸し始めたのは三年前。

 初めは日系ドイツ人、次にアメリカ人。それからイギリス人、スペイン人、と続いて、今はまたアメリカ人が住んでいる。アメリカ人の彼とは週に一度は私のウイスキーコレクションから数本取り出して一緒に飲んでいるが、日本語を勉強している彼の最近の悩みは、「美容院」と「病院」の発音の違いが全く聞き取れないことだそうだ。

 同時に住んでいた最大人数は、九人だった。

 セカオワハウスは割と大きな家だが、九人は許容人数を完全に越えていた。その九人が、友だちを呼んだり家族を呼んだりするものだから、家に帰って知らない人がいるのは、我々にとって日常の出来事となった。 

「こんばんは」

 ある夜、玄関を開けてリビングに行くと、知らない人が私のウイスキー用のバカラに缶からチューハイをなみなみとついでいる。彼は私に気づくと、こちらに向かって礼儀正しく頭を下げながら

「良かったら食べて下さい」

 と、土産のようなものを差し出す。私は彼が誰で、誰の友だちなのかも分からないまま、土産の包装紙を破って

「わあ、福岡の通りもん! 大好きなんです。ありがとうございます。どこかに行かれてたんですか?」(くう、バカラでウイスキー飲もうと思っていたのに、この人ストロングゼロなんて入れてるう)

 と返す。

 シェアハウスの日常とは、誰が招待したかもわからない謎の客人に「こんばんは」と迎え入れられる生活のことなのだ。

 でも勿論、客人たちは深瀬の友だちだったり、なかじんの友だちだったりする。稀に、リビングにぽつんと座りながら

「深瀬に呼ばれたのに、いつの間にか酔っぱらって寝ちゃったみたいなんです……戻ってこないなら帰ろうと思っていて……」

 と言っている人を何度か見かけたことはあるが、大体の場合は暫くするとメンバーがどこかから帰ってきて、「あ、俺の中学の同級生」なんて紹介をしてくれる。

 

 でもこれまでで一度だけ、私は本当に謎の客人から「こんばんは」と迎えられたことがある。

 数年前、スペイン人が半年間セカオワハウスに滞在していた時のこと。

 彼はスペイン語とスペイン訛りの英語を流暢に話し、少しのイタリア語も話せたが、日本語は「まあまあ」と「かわいい」しか話せなかった。

 二人で土産物屋さんを物色していた時も、愛想のいいおばさんが土産を無料で試食させてくれて

「どうですかあ? 美味しいかしら?」

 と聞いてくれたのに、彼は自分の二つの語彙の中から自信満々に

「まあまあ!」

 の方を選んだ。

 私はすぐさま笑顔を向けて立ち去り、歩きながら彼に「おいしい」を叩き込んだ。彼はすぐに発音する。オイシー、オイシー。

 練習しているその目が、何故か得意げで力が抜ける。文法的には間違いだが「かわいい」を選んだ方がマシだった。

 

 そんな彼が、セカオワハウスでひとり留守番をしていると、インターフォンが鳴った。

「Hello」

 スペイン人がインターフォンの通話機で話すと、カメラに映る中年の男性が狼狽したように何か言った。聞き取ろうにも、かわいいとまあまあとおいしいしか分からない彼に為す術はない。

「アイ キャン ノット スピーク ジャパニーズ」

 彼はなるべくゆっくりと英語で話した。でも、男性は困惑したまま日本語で何かを言い続けている。

 微塵も通じ合えない英語と日本語。会話は平行線をたどるしか無かった。両者一歩も譲らず、今後一切交わるところ無しと思われたその時、男性の方からサオリ、という言葉が聞こえた。

「Oh are you a friend of Saori?」

 もしかしてあなたはサオリの友だちですか?

 彼がそう聞くと、男性は嬉しそうに「サオリ!」と繰り返した。

「オー、サオリ!」

「サオリ! サオリ!」

 やっと二人の共通語が見つかると、彼らは盛り上がった。スペインと日本を繋げた唯一の共通語、サオリ。彼はその男性を家にあげ、お茶を出した。

 その数十分後、スペインと日本の架け橋になっているとは知らず、サオリこと私は仕事から帰宅した。

 玄関を開けると、見知らぬ中年の男性が照れたような顔でスペイン人と一緒にソファに座っている。家に知らない人がいることには慣れているが、スペイン人の友だちにしては、どうも雰囲気が合っていない。

 私は違和感を覚えてスペイン人の彼に、英語で聞いた。

「あなたの友だち?」

 すると、彼は驚いたように

「サオリの友だちだろ?」

 と返した。

「違うよ」

「えっ、でも確かに彼はサオリって言ってたよ」

「会ったことない人だよ」

 英語がわからない男性は、真ん中で私たちの会話を聞きながらにこにこと微笑んでいる。スペイン人は、次第に自分の失態に気付き始めてパニックになり

「友だちかって聞いたら、友だちだって言ったから、失礼のないように待って貰ったんだよ。でも、彼は英語が全く分からなくて、僕は日本語がわからなくて、だから取り違えてしまったのかもしれない。サオリ、怒らないでくれよ。彼が誰なのか分からないけれど、彼も悪くないし、僕も悪くないんだ」

 と早口で言い訳した。しきりに

「It was not my fault」

 と言って、自分のせいではないということを強調している。

 その横で、彼は笑顔で英語すごいですねえ、と感心し、小さく拍手までしている。頭が痛くなってきた。悪意は無さそうに見えるが、どう考えても、知らない人だった。

「あの、すみません、どちら様でしょうか……」

 結局のところ、彼はファンの一人だった。今ではもう無くなったが、当時は家を見つけたファンの人がインターフォンを押す、ということが何度かあった。

 インターフォンで、サオリのファンだと言ったところ、見知らぬスペイン人から家に招かれたという。

 招かれても、入っちゃダメだろう。それは不法侵入じゃないか。と叱りつけたいような気持ちにもなったが、私は百歩譲って言葉を飲み込んだ。

 内側からドアを開けられて、つい家の中へ入ってしまったことに悪気を感じられなかったからだ。

 男性には、家に来られるとプライベートが無くなってしまうからもう来ないで欲しいと言うと、彼はすぐさま恐縮して帰っていった。

 結局、平穏は簡単に戻ってきた。

「かなり変な人だったな……」

 男性が帰った後に私がそう言うと、スペイン人は

「彼は変な人なんかじゃないよ!」

 と何故か少し怒りながら擁護した。

 お前のせいだろうが、と言いたくなったが、故郷を離れてたった一人で異国の地で暮らす彼の孤独を尊重して、もう分かったよ、と言った。ため息をついた。もう分かったから、もう少し日本語を覚えてくれ。

?

『パレード』にも、正体不明の客人が登場する。

 彼らはその謎の客人について「後輩かなんかだと思ったから」「見たこともないよ」「酔っ払って連れてきたんだと思ってた」「ねぇ、ほんとに盗られてるもんない?」「私、(中略)一緒にパチンコまで行ったのよ」と、話すのだった。

 本来なら笑えるエピソードなのだろうが、私は段々と怖くなってきた。

 リビングでは、なかじんがストレッチポールで寝転がりながらニュースを見ている。ラブはコンビニで買ったシーフードドリアとナポリタンの大盛りを食べ、深瀬はソファに寝転がって漫画を読んでいる。

 いつも通りだ。

 でも、もしその隣で、あの日スペイン人が招き入れてしまった謎の客人がお茶を飲んでいたとしたら?

 私は「その人、友だち?」と尋ねたりはしないかもしれない。『パレード』と同じように、きっと誰かの友だちなのだろう、と思うからだ。

 私も知っている。この生活を守るための掟は「いつも通り」を守り続けることなのだ。

 たとえ、生活の中に小さな違和感を持ったとしても、そっと視線を逸らしてしまった方がいいこともある。

 誰かがそっと出て行く夜。深夜に玄関のドアが開いたことを知りながら、静かに迎える朝。

 そんな日に、何も問いかけなかったことを思い出して、私は唾を飲んだ。そしていつもよりじっくりと彼らのことを観察した。

 彼らはいつも通りの顔でリビングに集まり、それぞれ好きなことをしながら無邪気に笑っていた。いつも通りだ。それなのに、その笑い声が、何だかいつもより不気味に響くのだった。

(藤崎 彩織(SEKAI NO OWARI))

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