妄想小説:もし古本屋店主が広島・田中広輔にスランプ脱出本をすすめたら

妄想小説:もし古本屋店主が広島・田中広輔にスランプ脱出本をすすめたら

今季、打撃不振に苦しんでいる田中広輔 ©文藝春秋

 鯉の季節に彼がこの古本屋を訪れるのは初めてのことだった。
「夜分にすみません、まだ開いてますか?」
「どうぞゆっくりご覧ください」
入団前はJR職員として満員電車に駆け込む人々の背中を押していた元社会人らしい礼儀正しさと落ち着き。
「タフな毎日ですね」
「ええ。平成最後と令和最初のエラーなんて記録しちゃったし……」
幼少期は『名探偵コナン』の“黒い影の犯人”の描写をやたら怖がっていた意外と臆病だったりする性格。パラパラと古本をめくる横顔を見つめながら、彼が初めて顔を見せた新人時代の日のこと、その人柄に触れすっかりファンになっていった日々がパラパラとめくれていった。

 いま彼はリーグ最下位の打率に苦しみ、各所で『スランプ』と叩かれている。シーズン中にここへ来たのも彼なりに何かのキッカケを掴もうとしているのだろう。ワタシは有難迷惑だと知りながらこんな書籍を勧めてみた。

■名選手たちのスランプ脱出方法

「カープがV6を果たした1991年の『月刊The CARP』に、苦しい時期を乗り越えた野村謙二郎さんのこんな記事が載っていますよ」

 野村は開幕から苦しんだ。今季14の失策のうち実に5つが4月に集中。守りで狂ったリズムは持ち前の打撃にも波及し打率は下降線を辿った。その時、野村が辿り着いた答えは「去年までのガムシャラさがない」。野球を始めた頃の少年心に戻るシンプルな原点回帰だった。その日から野村は毎試合ユニフォームを真っ黒にすることだけを考えた。ユニフォームが黒くなる度に野村の打率も夏場に向け上昇していったのだ。

 人格者の彼は黙って耳を傾け、やがて目尻にシワをあつめて笑った。
「野球を始めた頃のガムシャラさか。確かにそんな気分転換も必要ですよね」
「気分転換と言えば、衣笠祥雄さんは野球人生を振り返った自著の中で、打撃不振で連続フルイニング出場記録が途切れた1979年について、こんなことを吐露されていますよ」

 監督にスタメンを外すと言われ連続フルイニング出場記録が途切れた夜、僕は悔し泣きし素振りで汗を流した。今の僕は大黒柱ではない『部品』となってチームに貢献しよう。「ひっこめ衣笠!」のファンの野次も『僕への評価が大きいゆえ』と好意的に解した。そしてこの年の夏、チームメイトがオールスター戦に出場する中、僕は妻子供を連れて海水浴に出かけた。3日間、野球を完全に忘れて心を空っぽにすることがこれほどストレス解消に役立つとは思わなかった。この気持ちの切り替えがなければ僕のスランプ脱出は先になっていただろう。胸のわだかまりが引き潮のように退いたオールスター戦後、僕は3連戦で7安打を放ち、人生2度目のVロードへと加わることができた。

 またも彼はじっと耳を傾け、やがて笑った。
「衣笠さんほどの名選手にもそんな過去があったんですね。ファンの野次も『僕への評価が大きいゆえ』と好意的に受け止めるか……。確かにそうですよね」
「ファンの野次と言えば、広島出身の元カープの4番・山本一義さんは、この自著にサインして下さったとき、こんな新井貴浩さんとの想い出を語ってくださいましたよ」

 2003年、新井はカープの4番の座に抜擢されたんですが重責のプレッシャーからか打棒は低迷し4番の座を剥奪されました。その時、苛立ちのあまり心ない野次を飛ばしたファンに応戦してしまったんです。私もスランプに陥った時、私の代わりにピッチャーを代打に送られたこともあったのでスランプや地元広島で4番に座る重責は痛いほど分かりました。なので私は、彼を食事に誘い「4番のお前が野次に反応したら絶対にダメだ。周りで子供も見ているんだから」「ファンを愛し、自分を愛し、野球という仕事を愛そうじゃないか」と伝えたんです。そこから彼はファンを大切にする男に変わってくれましたし、打席での心の落ち着きが不動の4番への布石になっていきました。

■「前田智徳さんはありますか?」

 彼の目が少し変わった気がした。
「前田智徳さんはありますか?」
同じ左打者として期するものがあるのだろうか。私は4冊目を差し出した。
「前田さんは無骨な方なので自著はないんですが、この『引退記念グラフ』の中で、涙の抱擁をしていた入団時の打撃コーチ・水谷実雄さんは、こんな想い出を語っていましたね」

 前田は自分を追い込み過ぎると体が動かなくなる。やろうとしているけど動かなくなるタイプ。他の選手には「やらんかい!」って怒鳴るんだが、前田には気持ちを切り替えさせることが大事やった。理詰めじゃなく対象物で教える。体で覚えさせる。前田はスランプになると体が開く。そういう時は開かんように意識するんじゃなくて逆方向に打たせる。それも流し打ちじゃなくて引っ張る気持ちで。バランスよく打てるまで1時間でも2時間でもレフトへ打たせた。左打者の軸足の左足をコマの軸のようにしっかり使えとね。

「とても勉強になります。やはりどんな名選手にもスランプはあったんですね」
「そうですね。そしてそこから見えてくるのは、スランプに陥った選手が見せる無垢なチームへの献身や人間性だったりするんですよね」
私はそっと1984年『V奪回!! 輝けカープ新時代』に載っていたミスター赤ヘル山本浩二さんの記事を見せた。

 1984年8月8日。不動の4番だったミスター赤ヘルは6番降格を告げられた。当初はスタメンからも外される予定だったが、監督の自宅を訪れ「出させてください!」と直談判しての出場だった。しかし3試合後の大洋戦、ついに浩二はスタメンを外された。身体は万全、打撃不振によるスタメン落ちはミスターのプライドを傷つけた。しかし、浩二は過去の栄光とプライドをかなぐり捨てた。「代打でもいい。指令がくれば出るぞ」と、ベンチ裏の大鏡の前で若い代打陣とスイングを繰り返し、先発投手がベンチに戻るたびに「頑張れよ」と声を掛けるベンチウォーマーに徹したのである。そんなミスターの姿を見たナインは奮い立った。高橋慶彦は「浩二さんの姿を見て、どんな事があっても勝とうと思った」と当時の感動を振り返った。翌日のグラウンドには、体のキレを取り戻すためにアメリカンノックを要求する37才のミスターの姿があった。結果この年、浩二は8年連続の30本台の本塁打を放った。その記録が生まれたのも“あの忘れ得ぬ日”があったからに違いない。

 しばらく黙って目を閉じていた彼は「有難うございました。今日は帰りますね、やりたいことがあるんで」と言い残し、足早に店を後にした。

 最後に見せた笑顔は、あの優勝パレードで見た、ワタシの大好きな笑顔だった。きっと私のような本屋風情が見せた本など、プロである彼にとっては釈迦に説法だっただろう。「申し訳なかった……」そう思いながら、街灯に照らされた彼の背中を「頑張れ」と押した。満員電車の乗客の背中を押す駅員のように。

写真提供/桝本壮志

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(桝本 壮志)

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