映画監督ウディ・アレン インタビュー――おかしな妄想とわが映画人生

映画監督ウディ・アレン インタビュー――おかしな妄想とわが映画人生

ウディ・アレン 2016年カンヌ国際映画祭にて ©getty

 最新作『カフェ・ソサエティ』が公開中の映画監督、ウディ・アレン。歳を重ねても映画を作り続け、「憎らしいほどにかっこよく枯れて来た」男は「仕事が生き甲斐」と繰り返す。80歳当時のアレンが映画に対する想いを語ったインタビュー。

■誕生会は不純で不気味――死の扉と隣り合わせに生きてきた

ウディ・アレン 八十歳になり、自分に何が起こるかほとんど分かるようになって来た。耄碌することを憂えるのではなく、どこかで期待している節もあるんだ。そして、出来れば眠ったままで死にたいと思ってる。

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 一九三五年十二月一日生まれ。八十歳になるウディ・アレンは、今年四月初めのニューヨーク、マンハッタンでの撮影現場でしれっと言ってのけた。

 アマゾンのプライム会員向けに米・英・独で配信される初めてのテレビシリーズは監督、主演も兼ねているため、渋い緑色の上着に茶色のコーデュロイのズボンに帽子という六〇年代後半風の衣装をまとっている。少しばかりよれよれの衣装が、却っておしゃれな老人の雰囲気を醸し出している。

 今回はこの時のインタヴューと一昨年の『イレイショナル・マン』(脚本・監督 邦題は『教授のおかしな妄想殺人』。日本公開は昨年六月十一日)の取材と合わせて、憎らしいほどにかっこよく枯れて来たアレンの“老いの哲学”を紹介しよう。

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ウディ・アレン 私は五歳のときから、今日にも死んでしまうという強迫観念を抱いてきた(笑)。以来、八十歳までその気持ちは変わっていない。毎秒毎秒、死の扉と隣り合わせに生きて来たという気分だね。

 八十歳だから、九十歳だからといって誕生会をするのは嫌なんだ。飲み物で乾杯したり、長生きの幸運を言い交わしたりする雰囲気には不純で不気味なものを感じる。ニューイヤーズ・イヴのパーティーで大騒ぎするなどは以ての外。夜が更けるなりベッドに入って眠ってしまうよ。

 死ぬ前に何かを成し遂げたいという願望もないんだ。このままのペースで働き続けるつもり。母は百歳、父は九十六歳まで生きた。長生きの遺伝子を受け継いでいると願っている。

■仕事が生き甲斐――いつも頭の中に百万個以上のアイデア

 クリント(・イーストウッド、現在八十七歳)とよく比較されるね。私はクリントの大変な賛美者だよ。ただし一度も会ったことはないんだ。彼の映画は大好きだけど、クリントに親近感を持ったことは全くない。余りに私とは違うキャラクターの持ち主で、西海岸の街の市長になったり、スーパーヒーローになったり、私と正反対のタイプだからね。でも彼の映画はいつも楽しみにしている。

 私は一年に一本のペースで映画を作っているけど、これからもこの調子で仕事をするつもりだ。健康に自信があるのはさっきも言った遺伝の他に、毎日エクササイズをし、体に良いものを程よく食べているから。エクササイズはトレッドミル(ランニングマシーン)なんだ。起きてすぐトレッドミルを三十分、それから朝食を食べて、ペンと紙を持ってベッドに入り二時間ほど脚本を書きなぐる。それからシャワーを浴びて二時間ほど書き続ける。昼食後もスケジュールが許せば、ずっと書き続けてる。それほど書くのが好きなんだ。時どき休んでクラリネットの練習をしたり、外に出て新鮮な空気を吸ったりする。そうするとまたすぐに書きたくなるんだ。一日中、一晩中でも書き続けていたい。もし映画の監督をしなければ、一年に四本の脚本を楽に仕上げられるだろうね。

 私は仕事が生き甲斐なんだ。仕事で会う人々との刺激のある会話、創作意欲、私の企画に投資をしてくれる人がいるという嬉しさと責任と適度なプレッシャー、そういうものが私の栄養なんだ。いつも頭の中に百万個以上のアイデアが湧いている。それを使って書き続けているのが、至福の時間だね。

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 クラリネットはプロ級の腕前で知られている。ちなみにアレンはコンピューターなどを使わず、旧式のタイプライターで指の力を込めて清書するのである。

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ウディ・アレン 私はいままでスランプに陥ったことがない。そういう意味では非常にラッキーだね。憂鬱になった時や気分が悪い時でも、書き始めると見る見る晴れやかな気分になる。書くことは私を健康にしてくれるよ。若い時からそうだった。この仕事に出会って、本当に幸運だと思っている。

■映画のテーマは「人間ドラマ」に絞りたい

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 ニューヨークの敬虔なユダヤ教徒の家に生まれたアレンは、大学を中退後に、放送作家やスタンダップ・コメディの道に入った。コメディアンとして高い評価を集めていた彼に映画界からの誘いがあったのは、六〇年代のことだ。

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ウディ・アレン 映画監督をしている時は静かで、全く面白みのない男だね。それはもうこの五十年以上変わっていない。これまでに約四十五本の映画を監督してきた。最初はまさに大馬鹿印の若者(笑)。でも、経験と技術を身に着けて、少しは良い監督になったかな。初期の映画『何かいいことないか子猫チャン』(六五年 脚本・出演)の頃から、脚本の書き方は今とほとんど変わってないね。しかし映画づくりのテクニックは進歩している。脚本と監督をした『マッチポイント』(二〇〇五年)や『ミッドナイト・イン・パリ』(一一年)、『マジック・イン・ムーンライト』(一四年)などの最近の映画を見ると、画面のレイアウトがぐんと綺麗になっているでしょう。技術的に洗練されて来たんだ。自慢しているのではなく、長い間の経験の賜物だね。昔はジョークに次ぐジョークで、合間に数秒の静かな時間があっても、すぐに次のジョークで笑わせるというパターンの映画を作っていた。しかし、今は心理描写を重視しているから、マシンガンのようなペースでジョークを並べる必要もなく、私なりに風雅な画面を連ねるようになってきたんだ。かなり改善されたと思うでしょ? それでも実は笑いが大好きで、出来るだけ詰め込みたいとも思ってしまう。笑いほど良いものはないよ。もっとも、バナナの皮で転んで笑わせるのはその場限り。もっと深い、意味のある笑いを盛り込みたいと思っている。

 脚本のプロットを考えることほど楽しいことはないね。一見、些細でつまらない決定――例えば通りを歩いていて、もし角を右に曲がったら二階からロープで降ろそうとしているピアノが頭上に落ちて来るかもしれない。あるいは、遊園地の景品に縫いぐるみのクマでなく懐中電灯を貰ったら、後で命に関わる苦境に遭遇して、懐中電灯が非常に役に立つことになる――などなどの小さな選択が生活に異常なほどの影響を与える、その成り行きを考える時の楽しさは例えようのないものだよ。

 政治や社会問題は映画に持ちこまないけど、個人的には大統領選や政府の動向には大いに興味を持っている。私は民主党の支持者だけど、民主党の進歩派の一人として富の格差問題などを憂えているよ。しかし映画にはしたくない。哲学的なテーマ、精神的なドラマ、人間関係。こういったとても解決出来そうも無い、問題山積みの、矛盾だらけのストーリーを映画にしたいんだ。例えば目下話題のゲイの結婚だとか、トランスジェンダーの話、男女の賃金格差などに私個人は注目しても、映画の中で描くとすぐに古臭くなる。私の映画は永遠に興味が尽きない「人間ドラマ」に絞りたいと思っている。

■35歳年下のパートナー、スン-イーとのロマンス

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 一九九六年の『世界中がアイ・ラヴ・ユー』(脚本・監督・出演)で私は初めてインタヴューしたのだが、日本人それも女性記者であることを武器に、当時話題騒然だった、元義理の娘で三十五歳年下の韓国系米国人、スン‐イー・プレヴィンとの交際について質問してみた。アレンは共演女優との華麗な恋愛遍歴で知られている。特にスキャンダラスに報じられたのが、同居中だったミア・ファローの養子であるスン‐イー(つまり義理の娘)との交際発覚だ。九三年にファローはアレンを幼児虐待で訴えて別居。長期にわたる裁判の結果、アレンは無罪になっている。

 この質問に、アレンがどう反応するか? こちらはおそるおそるだったが、急にぱっと顔を明るくして、嬉しそうに長い返答をしてくれたのである。

〈実はロビーにスン‐イーが待っていて、これが終わったらふたりで買い物に行くんだ。彼女は最高のパートナーだ。小さい時からブロンドの可愛いチアリーダーの様な白人の女の子に憧れて、そういうタイプとロマンスを繰り返して来た。ところが六十歳ぐらいから東洋の静けさに魅かれるようになり、スン‐イーに、その美しさを見出したんだ。今では東洋の全てに興味が湧き、骨董、文化、食べ物、何もかもが大好きだ。東洋人のあなたなら私の情熱をわかるでしょう。その静謐さに私は究極の平和を見出したんだよ〉

 まるでこの質問を待っていたように身をのり出して、嬉々として話す様子を見て、おそらく西洋人の記者はこの手の多少人種差別的な匂いのする質問を敬遠していたのだろうと思ったのであった。そしてアレンはスン‐イーとのロマンスを話したくて仕方がなかったのであろうとも。

 さてそれから既に二十年が過ぎ、今回はアレンならではのコミカルなテイストを加えて彼女との生活の話をしてくれた。

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ウディ・アレン スン‐イーから韓国に行こう、ソウルに行きたいとせがまれて、はや十年近く経ってしまった。実は娘(スン‐イーと結婚後の養女)が最近ソウルに行って、そこで数週間ほど孤児院で働いて来たんだ。その話を聞いたので、スン‐イーの韓国熱が再び高まって、日本にも寄りたいと耳元でブンブン囁いてくる。他の人達はソウルに行くなら是非中国にも行きなさい、と余計なお節介も言ってくる。本音を言えば、私は行きたくないんだよ(笑)。実は飛行機恐怖症なんだ。長距離のフライトはとても耐えられない。このほかにも、蜘蛛恐怖症、犬恐怖症、高所恐怖症、外出恐怖症と、いくつも怖いものがあるんだ。ただ、撮影ならば、数ヵ月はその地に滞在するから飛行機のパニックを何とか我慢出来る。ともかくスン‐イーの要求をはぐらかすために、パリに行こうと誘って現地で映画を撮る企画に乗り、次は英国の撮影を了承してロンドンに連れて行き、バルセロナなどヨーロッパを色々回ったよ。ニューヨークからヨーロッパは約七時間だしね。

 しかしアジアはあまりに遠い。そんなに長く飛行機に乗ると、退屈と不安の余り、居ても立ってもいられなくなる。オーストラリアなど死んでも行かないよ。私は外国への好奇心がほとんどないんだ。ニューヨークの近所の数軒先ぐらいの距離で充分満足している。スン‐イーからは、あなたはもう八十歳だから早く韓国へ行かないと死んでしまう、とせかされている。まあいつかは行かねば、と思うけど、願わくばその前に死にたい。これが、本音だよ。

 フランスのカンヌ映画祭に行くのもスン‐イーのためだけ。私は彼女の人質となって、スン‐イーが大好きな南フランスに行ったり、買い物をしたり、友人たちと食事をする機会を与えてあげるんだ。私はと言えば、着陸するなりインタヴュー陣に囲まれ、早朝から深夜まで時間をコントロールされて、レッドカーペットをゾンビのごとくに歩かされ、「こちらを見て!」と言われればそちらを見、「あちらを見て!」と叫ばれては、フラッシュを焚かれ、そこでインタヴューの襲撃に遭い、ホテルに戻れば次から次へと取材が待っている。ワイフには素晴らしいバカンスだけど、私にとっては海の風さえ感じる暇もない辛いハードワーク。仕事以外では、ホテルから一歩も出られないんだから!

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 これは、アレンなりのへそ曲がりなノロケと受け止めよう。

『教授のおかしな妄想殺人』で扱っている殺人犯罪について話してもらった。

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■不合理で理不尽なドラマを描いた映画『教授のおかしな妄想殺人』

ウディ・アレン ドストエフスキーの『罪と罰』からインスピレーションを受けたテーマなんだ。

 主人公は人生に失望した哲学科の教授。学問にも恋愛にも身が入らず、孤独で無気力な人間になっている。しかし、たまたまダイナーで悪徳判事の噂を耳にした瞬間、自分の手で判事を殺害するという完全犯罪を思いつくんだ。

 殺人を企ててからの彼は絶好調になり、この悪人を抹殺すれば、世の中のためになると信じるという、歪んだポジティブ人生を歩み始める。彼にとって、判事を殺すことは善行。罪の意識などまるで無く、成し遂げたら天国にも行けると思うぐらい満ち足りた気持ちになっているんだよ。

 私は、殺人を正当化することは基本的に不可能だと思っている。しかし、例えば、第二次世界大戦のときナチスのヒトラーを殺さなければ、戦争は終わらなかった。殺人によって、世界が良くなると分かっているとき、人はどのような判断をすればよいのか。その選択を下すのは、とても難しいことだ。そうなった場合に、人は理性的な解決方法を見つけることができるのか。そういう不合理で理不尽なドラマを描いてみたかったんだよ。

■映画の将来について

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 最後に、これからの映画の将来について聞いてみた。アメリカでも劇場を訪れる人は減少し、テレビでしか映画を観ない人が増えているのだ。

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ウディ・アレン かつて「小屋」と呼ばれた街の映画館は一掃され、大型のシネコンばかりになった。また、テレビ映画に優秀な人材が集まり、質も向上しており、成熟し洗練されたドラマを作るようになっているので、観衆が家を出る必要はなくなっている。

 劇場用映画も、今夜はアンジェリーナ・ジョリーが見たいと思えばそれをネットでリクエストし、家族と夕食後に自宅で見るというのが映画の見方の本流になりつつある。私の子供時代のように、劇場の外に並び、やっと入ってから暗い場内で映画を観るという、魔法の様な経験を人々が求めないのは寂しい限りだけど、それが現実だね。

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 そしてテレビシリーズの仕事を引き受けるのではなかった、こんなに辛いとは思わなかった、二度としない、とぶつぶつ文句を言いながらも撮影に戻っていった。この日はアレンが運転するシーンがあって、「実は六十年ぶりの運転で、殺人を起こすかもしれない」などと言ったものの、六〇年代の古い車を歩くより遅く運転して無事に車庫に入れたのであった。

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出典:文藝春秋2016年8月号

インタビュー・構成:成田陽子(ジャーナリスト)

ウディ・アレン(映画監督)

(成田 陽子)

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