ヤクルト・村上宗隆に感じるボブ・ホーナー以来のときめきとワクワク

ヤクルト・村上宗隆に感じるボブ・ホーナー以来のときめきとワクワク

ボブ・ホーナーと同じ匂いを感じさせる2年目の村上宗隆

(この感覚、いつ以来だろう……)

 神宮球場ライトスタンドに腰を下ろしながら、ふと考える。その瞬間から、僕の脳裏には往年の名選手の姿が鮮やかによみがえってくる。奇しくも今年は「ヤクルト」が球団経営に乗り出して50周年の節目の年。僕自身はファン歴40年程度ではあるけれど、この間、健やかなるときも、病めるときも、野村黄金時代も、武上暗黒時代も、ヤクルトの応援を続けてきた。小学生だった自分が、すでに四十代最後の一年を迎えている。実に長い時間が経過したものだ。

■ボブ・ホーナー以来のインパクト

 今季から、ライトスタンドとレフトスタンドをつなぐ神宮球場バックスクリーンコンコースには歴代ヤクルト戦士たちの雄姿が描かれている。そして、来る7月11日には歴代名選手たちによる「スワローズ ドリームゲーム」が控えている。この試合の告知ポスターに登場するのは、打者で言えば、若松勉、池山隆寛、岩村明憲、稲葉篤紀、杉浦享ら、そうそうたるメンバーばかりだ。球団の長い歴史に思いを馳せながら、僕は改めて考える。

(この感覚、いつ以来だろう……)

 先ほどから繰り返している「この感覚」を、きちんと説明するならば、「バッターボックスに入るだけで、ワクワクしてしまう感覚」ということになる。たとえヒットやホームランでなくても、「ただそこにいるだけでいい」とか、「打席でのたたずまいを見るだけで興奮する」というこの感覚。そして僕は自分なりの答えにたどりつく。

(あっ、ボブ・ホーナー以来だ!)

 僕にとっての村上宗隆は、ボブ・ホーナー以来のときめきとワクワクを同時に喚起させてくれる存在だ。1987(昭和62)年のシーズン途中に入団し、その年のシーズン終了とともにチームを去った「赤鬼」ことボブ・ホーナー。87年5月5日の阪神タイガース戦に初登場すると、この日は1本、翌6日にはなんと3本のホームランをぶちかました。さらに続く広島東洋カープ戦では2本のホームラン。わずか4試合で11打数7安打、6本塁打という、漫画のヒーローのような大活躍を見せたのだ。

 その後は敬遠気味の四球が増えたり、腰を痛めたりしたことで、量産ペースは落ちたものの、それでも、ホーナーが打席に入るたびに、「彼なら何かを起こしてくれるだろう」という期待感は最高潮へと達したものだった。そして、このときのホーナーと同じ匂いを感じるのが、プロ2年目を迎えたばかりの村上宗隆なのである。つまり、僕にとってはホーナー以来の衝撃、インパクトを誇る存在。それが村上宗隆なのだ。九州学院高校時代には「肥後のベーブ・ルース」と呼ばれていたけれど、僕にとっては「肥後のボブ・ホーナー」の方がしっくりくるのである。

■どんなバカ試合でも、村上がいるだけで……

 思い起こせば、入団1年目となった昨年のプロ初打席。村上は、広島東洋カープの岡田明丈からライトスタンドに見事な一発を叩き込んだ。このとき、僕は神宮球場のライトスタンドにいた。村上が放った豪快な一打が、自分のもとにどんどん近づいてくる感覚。遠くに小さく見える白球が、少しずつ目に鮮やかに飛び込んでくる感覚。最高のホームランを満喫することができた。結局、この年はこの1本だけで、12打数1安打という成績に終わったけれど、「2年目の来年はさらに打つだろう」と期待を抱かせるには十分なデビュー弾だった。

 こうして迎えたプロ2年目。村上は見事に開幕スタメンを勝ち取った。青木宣親、山田哲人、バレンティン、雄平という超強力打線が実現した「2019年型スワローズ打線」だからこそ、実質1年目の村上にチャンスが与えられたのだ。そして、村上はその期待に見事に応えた。ここまで放った全12本のホームラン(5月25日現在)、印象的な一発はいくつもある。けれども、特に印象に残っているのが4月18日、神宮球場で行われた阪神タイガースとの一戦で、彼が放った第5号が忘れられない。

 この日は先発の大下佑馬が早々にノックアウトされ、7回表終了時点で2対13と、ヤクルトサイドにとっては何とも悔しいバカゲームの様相を呈していた。しかし7回裏、村上は好投を続ける阪神・岩田稔の甘いボールをとらえて左中間に豪快な一発を放った。このとき、僕はふとボブ・ホーナーのことを思い出したのだ。

 ホーナーが在籍していた87年当時、ヤクルトはなかなか勝てなかった。高校2年生だった僕は、少ない小遣いからチケット代を捻出して神宮に通っても、ほぼ負け試合しか見なかった印象がある。でも、ホーナーの豪快な一発を見ただけで、すべての苦難から救済された気がした。仮に彼が凡打に終わっても、「ホーナーが打てないのなら仕方ないよな」とか、「ホーナーが見られただけでも満足だよ」と思いながら、帰りの総武線に乗り込んだものだった。

 そして、あれから30年以上が経過したこの日――。阪神相手に大敗を喫したものの、村上の豪快な一発が見られただけで、僕は幸せな心持ちになれたのだった。ホームランを打ったから幸せな気持ちになれたのではなく、「ただそこに村上がいる」というだけで幸せな気分になれたのだ。こんな気持ちになれたのは、ボブ・ホーナー以来のことだった。19歳とは思えない堂々たるたたずまいと、打席に入ったときに「村上なら、何かをやってくれそうだ」と期待を抱かせるオーラ。ヤクルトだけではなく、日本球界の宝だと言っていいのではないか? ネット上ではすでに「村神」と呼ばれ始めている。野球の神様に愛された者だけが身にまとうことのできる大物のオーラ。村神、いや村上はまさに、そんな存在なのだ、

■50年の歴史において、唯一無二の存在に

 改めて、「ヤクルト50年」の歴史を考えてみる。一体、村上宗隆は誰の系譜に該当する選手なのか? 先ほど僕は「村上を見ているとホーナーを思い出す」と書いたけれど、厳密に言えば、2人の共通点はほとんどない。村上は左打ちだし、ホーナーは右打ちだ。もちろん足の速さも違うし、国籍も違うし、打者としてのタイプも微妙に異なる。では、歴代ヤクルト戦士の中で、誰に似ているのかを考えてみても、まったく答えが浮かばないのだ。

 そもそも、「左の日本人大砲」という概念が、これまでのヤクルトにはなかった。外国人選手で言えば、チャーリー・マニエルやジャック・ハウエル、ロベルト・ペタジーニなど「左の外国人大砲」の顔は何人か浮かんでくるけど、左打者で豪快な一発が期待できる日本人選手というと、せいぜい杉浦享氏ぐらいしか浮かんでこない。でも、杉浦さんと村上は、やはり同じタイプには思えない。

 むしろ、他球団ではあるけれど、横浜DeNAベイスターズ・筒香嘉智に近いイメージが強い。また、背番号《55》といえば、元巨人の松井秀喜氏の雄姿もよみがえる。ちなみに、ヤクルトの背番号《55》といえば、長い間、野口祥順がつけていたけれど、村上とはまったくタイプの異なる選手だった。つまり、ヤクルトにはこれまで、スラッガータイプの日本人左打者はいなかったのではないか? ヤクルト50年の歴史において、唯一無二の存在感を誇る男、それが村上宗隆なのではないか?

 本人は「まだまだ足りないものだらけ」と言い、シーズン中でも早出特訓を続けているという。小川淳司監督は「打撃に関してはよく頑張っている」と評価しつつも、課題である守備に関しては「まだまだ練習する必要がある」厳しい評価を下しているが、それは本人が重々自覚している。村上は言う。「まだまだ実力は足りないですけど、その分、伸びしろは十分にあると思います」。僕にとっては、ボブ・ホーナー以来の興奮と高揚を感じさせる19歳は、まだまだ進化の速度を緩めない。彼が打席に入るたびに、何とも言えない恍惚感を覚える。だから、僕は今日も神宮に通うのだ。頑張れ、村上! 頼むぞ、村上! 泥沼の連敗街道から抜け出す豪快な一発を、僕らは待っている。

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(長谷川 晶一)

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