夫と弟のなんでもない日常を、彼女が撮る理由

夫と弟のなんでもない日常を、彼女が撮る理由

©伊澤絵里奈

 JR目黒駅からしばらく歩き、周りがすっかり住宅街になったころ、小さい一軒のギャラリーに行き着く。金柑画廊と名付けられたささやかなスペース。新進の写真家・伊澤絵里奈による個展「しぐさをなぞる」展を訪れた。

 派手さは、ない。けれど、何気なく過ぎる時間の味を噛みしめる快さと大切さを、切実に思い出させてくれる展示である。

■弟と夫を被写体にして撮る

 伊澤が被写体にしているのは、ふたりの男性。ひとりは、実の弟。彼女が写真を専攻する学生だったころから被写体になってもらっていて、かれこれ6年ほど撮り続けている。もうひとりは、彼女の夫。恋人だった時分にその姿を写真に撮るようになり、一つ屋根の下で暮らしはじめた今も折に触れカメラを向ける。

 ふたりそれぞれの、特段に変哲もないふだんの様子が、画面に収まっている。身近な世界を撮った作品というと、つい家族のあいだの葛藤だとか、夫婦や恋人の性的なかかわりを暴露するような、過激なものを期待しがちだけれど、伊澤作品にそうした面は出てこない。ふたりの男性を通して、彼女の日常がただひたすらに綴られていく。

 なぜ変わり映えしないふつうのシーンをわざわざ撮影し、それを作品にするのか。なんだか不思議に思ってしまうけれど、気心の知れた人物になら気兼ねなくカメラを向けられるからといった安易な理由じゃなさそうなのは、展示された一枚ずつの写真をずっと観ていてちっとも飽きないところからも窺える。

■日常に波風を立てたくない

 アーティスト本人が強く関心を注いでいるものを作品のテーマとするのは、ごく自然な成り行き。伊澤の場合、それが愛すべき身近な人と過ごす日常の時間だったということになる。聞けば伊澤は小さいころから、イベントごとが極度に苦手だったとか。運動会や遠足といった学校の行事も、週末や夏休みに行く家族のお出かけも。いつもどおりの平穏が何より好きなのに、なぜわざわざイレギュラーな行動をして、日常に波風を立てるのか。遠足に行くのはまだしも、行き帰りのバス内でも寸暇を惜しんでレクリエーションに参加させられるなんて、苦痛でしかない。

 大人になった今も、うまくやり過ごすということを少し覚えたとはいえ、根本的な性向が変わるはずもない。なんでもない時間を人一倍愛する彼女は、それにかたちを与えてみようと考えるようになり、周りの光景を作為のないスナップショットに収め、できるだけありのままトレースしようと試みることとなった。その歩みの一端が、今展の作品群というわけだ。

■「変わらぬ面」を切り取る

 展示写真を観ていると、それぞれの男性は家の近所に立ち尽くしていたり、部屋の中でだらしなく寝転んだり。とくに出来事が起こるわけでもなし、なんらかのストーリーが読み取れることもない。もっといえば、時間が進んでいないような気すらしてくる。

 弟と夫、どちらの被写体についても彼女は数年間にわたり撮り続けており、展示には何年も前の写真と最近のものが混在する。それなのに、ある一日の出来事を追った写真で展示を構成したと言われても納得してしまいそうなほどに、被写体となるふたりにも取り巻く環境にも変化がない。いや、実際には弟も夫も、さまざまに変化しているのだろうけれど、伊澤の写真は彼らの変化よりも、「変わらぬ面」ばかりを見て切り取ろうとしている。変化を感じさせるものは注意深く画面から排除された節がある。

 この変わらなさこそ、伊澤が撮り集めようとしたものだ。自分の愛する日常を、変わらぬ状態でどこまでも引き延ばすこと。過去への憧れや後悔、未来への不安や希望、そういうものは現在の平穏をかき乱すから、脇に追いやっておく。そうして今というお気に入りの時だけを、ぐぐっとできるだけ引き延ばす。

 写真のなかの世界に没頭しているかぎり、昨日も今日も明日も、わたしの大好きで大切な日常はずっと続いていくと信じることができる。今展の空間で伊澤は、そんな自身の理想を体現させている。

■彼女が写真を撮る理由

 伊澤が写真を用いて表現する理由と必然性も、きっとそのあたりにある。他の何を措いても日常を引き延ばしたいという彼女の願望を、損なうことなく掬い取るには、「今、ここ」のものごとを忠実に写し取ってくれる写真という装置こそが最適だ。

 しかも、写真は日常の断片を切り取ることしかできないけれど、断片だからこそ、違う時間の欠片を集めて今展のように一挙に並べることだってできる。無数の断片をいちどきに見られるから、あの日もこの日も、あの場所もこの場所も、まったく等価に感じられる。組み合わせ方をうまくすれば、日常が遍在し永遠に続くと強く実感することもできるのである。

 会場で作品を眺めていると、ふと気づかされる。写真で日常を引き延ばそうとしているのは、なにも彼女だけじゃない。そういえばわたしも、あなたも、ほとんどの人が同様のことをしているんじゃないか。スマホを含めれば、いまや誰もがいつでもカメラを持ち歩いている時代。気になったもの、いいなと思ったものを、日頃から皆どしどし写真に収めている。それは伊澤が作品づくりでやっているのと同じく「今、ここ」を肯定して、すてきな日常として留めておいて、この先も連れて歩いていこうとする気持ちの表れだ。

 日常以外のどこに、切実なことや大切なものがあるのか? いや、ないでしょう。小さい展示が、予想外に大きな気づきをもたらしてくれる。

(山内 宏泰)

関連記事(外部サイト)