通電、監禁、肉体関係……連続殺人犯はこうして女性を洗脳して“獲物”に仕立て上げた

通電、監禁、肉体関係……連続殺人犯はこうして女性を洗脳して“獲物”に仕立て上げた

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〈 「王様と奴隷でした」……北九州監禁連続殺人事件で7人が殺害されるまでのおぞましい手口 〉から続く

 ある種の“実験場”と化した『ワールド』時代の経験を経た松永は、その残酷な知識を更に発展させ、新たな獲物を探し、殺し続ける。

◆◆◆

■1992年10月、指名手配され夜逃げする松永と純子

 いずれ俺がこの町を制覇する─。

 詐欺まがいの手段で得たカネをばらまき、柳川市内の夜の街でそう豪語していた松永だが、『ワールド』の内情は、1980年代後半にはすでに火の車だった。

 本業の布団訪問販売業では、これまでの名義貸しなどの詐欺商法を看破され、信販会社の加盟店契約を解除されることが相次いだ。そのため出資者を集めてヤミ金を始めたり、手形を騙し取るなどして、自転車操業を繰り返していた。

 1985年2月から経理担当社員として加わった純子のほか、常に5人ほどいた従業員は、通電の恐怖に耐えかねて1人、また1人と逃げ出した。1988年5月の段階で松永と純子、そして通電の実験に利用された生野さんの3人しか残っていなかった。

 ちなみに、暴力団の存在をちらつかせて脅したにもかかわらず、従業員たちが逃げ出したこの経験から、松永は相手を逃がさないために“人質”を取ることの重要性を認識したようだ。というのも、それ以降の犯行で彼は子連れの“獲物”に対しては、常に子供を親から引き離し、手元に置くようになったからだ。

 1992年10月、失敗から学んだ教訓と効果的な虐待方法を身に付けた松永は、柳川市から敗走した。

 松永と純子に生野さんを加えた3人で“夜逃げ”したのだ。目指したのは知人が宿を手配した石川県。幌付きの1屯トラックに最低限の荷物を積み、ひっそりと姿を消した。

 資金繰りのために詐欺事件を起こしたことと、手形の不渡りを免れるために信用金庫の支店長を脅迫したことで、松永と純子が指名手配されたことが逃走の原因とされるが、追われたのは警察からだけではなかった。先の記者は言う。

「松永は地元の保険代理店と組んで、車両事故を装った保険金詐欺を企みましたが、その代理店が松永を裏切って暴力団員と組み、松永に追い込みをかけたんです。そのため柳川にいられなくなった」

 銀行から『ワールド』に融資された約9000万円の返済は滞ったまま破綻。松永や純子が消費者金融などから借りたカネも焦げ付かせた。また、松永が甘言を弄して知り合った女たちを騙して借金させ、返すと伝えていたカネも、当然の如く放り出した。

 用意された宿が想像と違うとの理由で、わずか1泊の滞在で石川県から福岡県に戻ってきた松永らは、北九州市を潜伏先とした。しかし1993年1月には、松永の暴力に身の危険を感じた生野さんも逃走するに至る。

 そして松永と純子の2人が残された。潜伏中の身であるため偽名を使いながら、手っ取り早くカネを得る方法は、もはや松永が身に付けていた“特技”しか残されていない。

 それは、女を食いものにするということだった。

■捜査員もうんざりした、見るに堪えない数々の写真

「裸の写真をばら撒く」

「松永太がアジトとしていた三萩野マンションや篠崎マンション(仮名・北九州市小倉北区)の室内からは、大量の写真やビデオテープが出てきた。それは松永がこれまでに関わった女性との性行為や、相手の乳首や性器に電極を当てて虐待しているものだったりと、見るに堪えないものばかり。なかには緒方純子が松永と相手の性行為を撮影した写真もあった。完全に倒錯の世界だ」

 捜査員がうんざりした口調で洩らす。緒方家を支配した際も、松永は純子だけではなく、母・静美さん、妹・理恵子さんとも肉体関係を持っていることを、家族全員の前で口にした。そうして諍いを生み出し、家族の絆が分断されていく様を楽しんだ。元福岡県警担当記者は、松永による支配の様子を記録した、ある写真の存在について口にする。

「押収物のなかに、静美さんと理恵子さんの2人が全裸で並ばされ、お尻を突き出している写真がありました。それは当時の松永が、緒方家の女性を性的にも完全に支配していたことを象徴しています」

 松永は1984年、純子との不倫交際を知った静美さんが交際に反対したところ、「人目のないところで純子との別れ話を相談したい」と静美さんをラブホテルに連れ込み、無理やり肉体関係に持ち込んだ。また理恵子さんについても、1997年に純子が一時的に逃走した時期に、北九州市内のビジネスホテルで松永が迫り、肉体関係を結んでいた。

 松永は2人との性行為に止まらず、写真やビデオでその痴態を撮影し、公表すると脅していた。

■完全に“金づる”として女性と接していた松永の手口

 そもそも彼には、自身の犯行の原点ともいえる、柳川市で布団訪問販売会社『ワールド』を経営していたときにも、数多の女性を毒牙にかけた過去がある。

 高校時代こそ相手に食事を奢らせる程度で済ませていたが、『ワールド』を興してからは、完全に“金づる”として女性と接した。ただ貢がせるだけでなく、消費者金融で借金をさせるなどして、現金を引っ張るようになっていたのだ。

 端整な顔立ちの松永は、拘置所面会室のアクリル板越しに、甲高い声で訴えた。

「この事件をフェミニズムの観点で非難する人がいますが、そんな先入観を排して、証拠を客観的に見たときにのみ、事件が正しく見えてくるのだと思います。そうすれば私が事件に関与していないことは明らかになるはずです」

 そんな松永の逮捕から半年以上経った頃、福岡県の某市に松永の元彼女がいるとの情報が入った。樋口佳代さん(仮名)は、戸惑いながらも私の取材に応じた。

 佳代さんが勤めていたクラブで松永と初めて会ったのは1980年代終盤、19歳のときだった。店のママに「いいお客さんだから」と席に呼ばれたのだという。

「27歳の松永はスーツにネクタイ姿で、布団販売会社の社長ということでした。銀行の支店長と一緒だったので、若いのにやり手だと思いました。それからは店に来ると、私を席に呼ぶようになったんです。接待があるから付き合ってと言われて、何度も同伴しましたが、そこでは『僕の彼女』と紹介されました」

 やがて松永は夜逃げして、佳代さんの前から姿を消した。以来、連絡は途絶えたという。私が「松永におカネを用立てたことがありますよね」と問うと、彼女は黙って頷いた。

「従業員の緒方純子が事故を起こして、示談金が200万円必要との話だったんです。それで百数十万円を消費者金融で借りて、手渡しました。向こうからは目途が立ったら返すからと言われ、断りきれませんでした」

 佳代さんは暴力や脅迫の被害を受けておらず、その点では不幸中の幸いだったといえる。

 松永は緒方家の女性たちがそうされたように、自分と肉体関係を持った女性の性的な写真を、脅しの材料として撮影していた。加虐趣味もあったが、それは相手女性にカネを工面させるだけでなく、自分の要求を拒絶できなくする“枷”としての役割も果たした。実際、純子も法廷で「自分の裸のポラ(ロイド写真)が松永の手にあり、なにかあるとばら撒くと脅された。それでもう先がないと思って諦めた」と証言している。

 夜逃げの際に行動をともにした元従業員の生野さんは、松永がこまめに女性たちと会う姿を見ていた。

「私が車を運転して松永をコンビニとかスーパーの駐車場に連れて行き、そこで待ち合わせた女性の車に乗り換えて逢引きをしていました。記憶にあるのは20歳くらいのフリーターや、30代のスナックママ、あと看護師や学校の先生もいました。みんなチャーミングな感じの女性です。ほかにも、高校を卒業して『ワールド』の事務員として働いていた地味な感じの女の子とも、社内でセックスしている姿を目撃したことがあります。松永は付き合った女性に布団の信販契約をさせたり、借金させたりして、カネを引っ張っていました。逮捕後に警察の人がやってきて、松永に騙された若い女性が自殺していた話を聞き、胸が痛みました」

■次の“獲物”になった元同級生は子育てに追われていた主婦

 潜伏先となった北九州市から生野さんが逃げ出した1993年1月、松永は次の“獲物”として、1985年ごろに一時交際し、その後主婦になっていた元同級生の末松祥子さん(仮名)に電話で連絡を取った。

 子育てに追われていた祥子さんの愚痴を聞き、彼女の恋心を呼び覚ました松永は、善意の第三者を装って、「じつは自分の会社の従業員で気の毒な人がいる」と純子を紹介した。純子は妊娠中で出産を控えていたが、それは松永の第1子だった。

 祥子さんの父親を取材した私は、その時期の様子について次のように聞いた。

「祥子が毎晩出かけると婿さんから聞いて、私が問い質したんです。そうしたら『緒方さんという知り合いに、もうすぐ子供が生まれるとやけど、旦那さんが助からんごとある(助からない)病気で、ものすご大変なんよ』と言うんです」

 祥子さんは純子に手術費用を貸すため、約230万円を振り込んだ。さらに1月後半に純子が出産してからも、彼女と会うために外出した。

「娘が夜に出歩くのを止めないことを咎めると、涙を流しながら、『緒方さんはかわいそうな人なの。貧乏で子供のミルク代もなかけん、米のとぎ汁やら飲ませようとよ』と……」

 松永と純子の“演技”にすっかり騙された祥子さんに対し、松永は結婚をちらつかせて、子供を連れて自分の許に家出してこないかと持ちかけた。その誘いを真に受けた祥子さんは、1993年4月に子連れで家を出て、7月には夫と離婚してしまう。

 祥子さんは北九州市で娘と新生活を始めたが、夏には松永、そして純子と彼女が産んだ長男が移り住んだ。もちろん祥子さんは疑いを抱くことなく、松永は自分と結婚するものだと思い込んでいた。そのためそそのかされるまま、子供の養育費名目で実家や前夫にカネの無心を続け、松永に手渡した。

 同年10月、祥子さんの3歳の娘が頭に大けがを負い、母親だと称する純子に連れられて病院に運び込まれた。しかし娘は死亡し、「椅子から落ちた事故死」として片付けられた。純子は実際には事故の現場を目撃しておらず、現在も真相は闇に包まれたままだ。

 ショックに打ちひしがれた祥子さんへ追い打ちをかけるように、その頃から松永による通電の虐待が始まった。そして1994年3月、大分県の別府湾で祥子さんの水死体が発見された。彼女の死については自殺か事故で、事件性はないとして処理された。父親は嘆く。

「1300万円近い金額を送ったとに、祥子の遺体を引き取りに行ったとき、あの子は家を出たときと同じ服装でした。それに預金口座には、3000円しか残されとらんかったとです」

■常に松永のそばにいた純子の心理は……

 なぜここまで酷いことができるのか─。

 松永の犯行をトレースしながら、なんども独り言を呟いた。口を閉ざして頭の中だけで考えていると、全身に毒が回りそうな気がしたのだ。口に出して少しでも毒抜きをしておかないと、どんな酷いことに対しても無感覚になってしまうような、危機感を覚えた。

 それで耳かきの先くらいは、常に松永のそばにいた純子の心理を想像できたと思う。客観的に事件を追う私ですらそうなのだ。渦中にいた彼女が、いかに残酷な行為についての拒絶感を喪っていたことか……。

 かつて松永は面会する私に向かって平然と口にした。

「私はこれまで(裁判で)自分の主張じゃなく事実を言ってきただけです。もし一光さんがこの事件をやられるならば、少なくともこれまでのマスコミや、訳のわからない裁判所の判断に拘泥されることなく、フラットな気持ちで見て欲しい。私は証拠に基づかない主張はしません」

■2階の部屋から飛び降りて逃走に成功した女性も

 祥子さんの死からほどなく、後に松永と純子の許から逃げ出し事件を発覚させた少女・広田清美さんとその父・由紀夫さんが囚われの身になった。同時に、松永は別の“獲物”を狙った。

 その女性、原武裕子さん(仮名)は、彼女の夫が由紀夫さんの親友という関係だった。松永と純子は詐欺目的で、由紀夫さんに同夫婦を紹介させるように仕向け、面識を得たのである。

 松永は1学年上で夫と子供のいる裕子さんに対し、京大を卒業した「村上博幸」と名乗り、現在は塾講師をやっていると説明して、悩みを聞くなど彼女の相談にのっていた。やがて常套手段である結婚をちらつかせて夫との別居を迫った。

 由紀夫さんの死(1996年2月)と緒方家の人々の殺害(1997年12月〜)の間となるこの時期、松永は夫と離婚した裕子さんと同居した。1996年10月のことだ。そこで裕子さんから搾り取れるだけカネを奪った松永は、いきなり態度を豹変させた。

 自分の姉だと紹介していた純子とともに、裕子さんを殴り、手首に電気コードを巻き付けて通電を加えるなどの暴行を重ね、アパートの一室に監禁。室内に約3カ月半閉じ込められた裕子さんは、1997年3月に2階の部屋から飛び降りて逃走を図り、腰椎骨折や肺挫傷の重傷を負いながらも2人から逃げることができた。

 その後の彼女について、前出の記者は語る。

「逃走から5年が経っても、裕子さんは重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでいました。松永が逮捕された後、警察が捜査協力を求めても、彼女は松永に対する恐怖心が消えず、小さな物音で躰がビクッと震えてしまうような状態でした。さらに監禁された部屋から逃げ出した際に、自分の幼い子供を置き去りにした(後に保護)。その罪悪感をずっと引きずっているのです」

 緒方家の親族6人が死亡した大量殺人から逮捕までの3年9カ月の間、松永と純子は変わらず“獲物”を求めて蠢いていた。

 2人が逮捕された日、清美さんが監禁されていた篠崎マンションと数々の殺人が実行された三萩野マンションとは別の、泉台マンション(仮名・北九州市小倉北区)で4人の男児が保護された。

 そのうち当時9歳と5歳の男の子は、松永と純子の子供。そして6歳の双子の男の子は、松永が甘言を囁いて1999年に夫と別れさせた金子友里さん(仮名)の子供だった。

 友里さんに対し松永は「医者の田代」、純子は「“逃がし屋”で探偵の岡山」と名乗って接触。松永が結婚を申し込み、その気にさせていた。

 そそのかされた彼女は、山口県で水商売の仕事に就き、子供を松永らに預けている。さらに、逃走費用、盗聴防止費用、事務所スタッフの人件費、子供の養育費などの名目で、約3300万円を渡していた。もし2人の犯行がいつまでも発覚しなかったら、友里さんと子供たちの運命はどうなっていたかわからない。

■“医師”の松永との交際を薦める“看護師長”の純子

 さらに松永と純子は、友里さんを陥れる作業と並行して、新たな“獲物”を、方々で物色していたことも明らかになった。

 2001年夏ごろから松永と純子は、中年の女性を連れて、北九州市内のカラオケ店に週1回のペースで出没した。同店では松永が東大卒の医師、純子が看護師長だと偽り、中年女性は看護師だと紹介。当時19歳の女性店員を松永が狙ったのだ。

 その女性店員・林めぐみさん(仮名)が彼らの犯行を知ったのは、松永と純子が逮捕されてからのこと。福岡県警の捜査員より連絡があり、押収物のなかに彼女の顔写真と住所を書いた紙があったと聞かされている。めぐみさんを直撃したところ、彼女は困惑の表情を浮かべた。

「写真を撮られたり、住所を教えた憶えはありません。ただ、店で松永は私を指名して、飲み物を持って部屋に行くと、いつもお酒を飲まされていました。それで『僕はめぐみさんのことが好きだから』と口にして、何度も飲みに誘われました」

 スーツ姿だった“医師”の松永との交際を、落ち着いた色のカーディガンを着て、いかにも“看護師長”の純子が遠まわしに薦めていた。

「緒方は、『先生はすごい人で、週に1回、大学でも教えている』と話していて、『付き合うとかはできんやろうけど、相手しちゃってね』と言われてました。もう1人の中年女性はいつも黙っていて、緒方は『あの子は無口だから』と話していました」

 松永はめぐみさんの同僚の男性店員にチップとして1万円を渡し、彼女の携帯番号を入手。何度か電話をかけて誘うなどしていた。結果的にめぐみさんが2人の毒牙にかかることはなかったが、さらに多くの被害者が生まれる可能性は十分にあった。また、同席した中年女性の素性は判明しなかったが、彼女自身がすでに“獲物”だったかもしれない。

■「いったい被害者は何人いるのか」

 拘置所で実際に対面した松永という男について、いまだに目に焼き付いているのは、分厚い裁判資料を抱えて面会室に入って来てからの、ニヤニヤとした表情だ。決してニコニコではなく、ニヤニヤと粘ついた笑顔。私にはそれが、顔の表面に貼り付けられた仮面に見えた。

 また彼は何度か、1992年に少女2人が殺害された「飯塚事件」について触れた。冤罪を訴えながらも、2008年に死刑が執行された久間三千年・元死刑囚を引き合いに出し、自分もそれと同じだというのだ。

「一光さんね、久間さんは私のすぐ近くで生活されていました。あの人はどう見ても無罪です。証拠上も明らかです。つまり証拠なんかどうでもよく、裁判所に都合の悪い証拠は無視するやり方です。一光さん、どうか私の弁護人の視座に立って、検証してみてください。そうすればいかにこの裁判がデタラメであるかわかるはずですから……」

 いったい被害者は何人いるのか。殺人で事件化されただけで7人。しかしそれ以外に松永の周辺で出た死者を加えると、少なくとも10人。さらに詐欺や傷害などにも範囲を広げれば、その4、5倍の被害者がいることは容易に想像がつく。

■7人が殺害された三萩野マンションのいま

 そんな稀代の凶悪犯罪者である松永と、彼に支配されて犯行に加担した純子の逮捕から、今年(2015年)3月で13年になる。当時取材した関係先をまわると、あるところはそのままの姿で残り、またあるところはすっかり様変わりしていた。

 7人が殺害された三萩野マンションはそのままの姿で残っていた。住人によれば、事件の現場となった部屋は、いまだに空き部屋だという。

 一方で、松永が従業員を虐待しながら緒方と詐欺行為を行っていた柳川市の『ワールド』事務所は、すっかり更地となり、「売地」の看板が立てられていた。

 そして、住んでいた6人全員が殺され、姿を消した久留米市の緒方家は、家屋こそ当時のままだが、競売にかけられた末に、いまではまったく関係のない家族が住んでいる。

 それらはみな、どのような形であれ、時の経過を感じずにはいられない変化を遂げていた。だが、松永による被害を受けた人々は、いまだに変わらぬ苦しみを抱えている。

 北九州市内にあるマンションのチャイムを鳴らすと「どちらさんですか?」と年老いた男性が顔を出した。私は訪問の理由を説明した。

 彼は松永と緒方の元から逃走した清美さんが助けを求めた祖父で、現在81歳の古谷辰夫さん(仮名)である。私は清美さんが逃走のあとで、たしか児童相談所の施設に入っていた記憶があることを口にした。

「施設は半年で出て、小倉にアパートを借りて独りで暮らしとりました。そのときは児童相談所で手伝いのアルバイトをしよりました」

 やがて清美さんは仕事を見つけ、県外に出て行ったと彼は続けた。

「それから1年くらいして、うちに顔を出して、結婚するって報告がありました。子供も2人生まれています。電話連絡で知りましたが、両方とも男の子です」

 じつはそのあたりの事情については把握していた。彼女は施設にいるときに知り合った男性と交際していて、一緒に県外に出て結婚したのだ。

 あの残酷な事件の被害者として生き残った清美さんについて、それ以上詳しく質問することは憚られた。私は帰り間際、せめて亡くなった彼女の父親・由紀夫さんの墓参りをしておこうと思い、その場所を訊ねた。

「由紀夫の墓は建ててないんですよ。遺骨もなんもないからねえ。位牌だけ、うちの仏壇のなかに置いてるだけですよ」

 淡々とした言葉が返ってきた。

 遺骨がない。初めて“遺体なき殺人事件”の罪深さを実感した。

 2008年の面会を機に始まった松永との手紙のやり取りは、翌年の春を迎える前にぷつんと途切れた。彼の言葉を信じようとしない私について“使えない奴”と判断したのだろう。

 本来ならばもっと上手に付き合い、彼が訴える“真実”の正体をつきとめるべきだったのかもしれない。だが、私はどこかで松永との糸が切れたことに胸を撫で下ろしていた。

 怖かったのだ、彼が。

(小野 一光)

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