【阪神】知将・野村克也から闘将・星野仙一へ、阪神を暗黒時代から救った“順番の妙”

【阪神】知将・野村克也から闘将・星野仙一へ、阪神を暗黒時代から救った“順番の妙”

©共同通信社

■野村克也が阪神監督に就任した1998年オフ

 今夜から幕を開けるセ・パ交流戦「阪神vs楽天」。虎党の私にとって、楽天とは野村克也監督と星野仙一監督のイメージが強い。彼ら二人の流れによって(ブラウン監督を挟んだけど)低迷期を脱したという点において、我が阪神と似ているからだ。

 振り返ること1998年のオフ。それまで長期低迷していた暗黒時代の阪神に、まさかまさかの野村監督が就任したときは本当に驚いた。前年までヤクルト監督として、在任9年間でリーグ優勝4回(日本一3回)という黄金時代を築いた名将が、我らがダメ虎の再建に乗り出すことになったわけだから、当時の私は素直に狂喜乱舞した。これはもう、期待しないほうがおかしい。絶対に阪神は強くなる。あのころはそう信じていた。

■純金製ノムさん像からサッチー逮捕まで! 阪神・野村監督の足跡

 当然、マスコミやファンの盛り上がりもすさまじかった。球団も就任会見で「野村監督様」と紹介するなど、まさにVIP待遇、まさに野村フィーバーだった。

 そんな野村フィーバーはシーズンに突入して以降、ますます過熱した。序盤に藪恵壹や新庄剛志といった生え抜き選手が次々に活躍し、一瞬ダメ虎が生まれ変わったかのような快進撃(6月9日に一時だけ首位に立つ)を見せたことで、球団もついつい調子に乗って純金製野村監督像(通称・純金ノムさん)というトンデモ便乗商品を発売。

 値段は1体につき、なんと100万円。まさに関西ノリ。キンキラキンの縁起物ほどわかりやすいものはない。なお、この純金ノムさんは阪神ファンで知られる落語家の月亭八方が最初に購入し、総売上げ数は27体だったとか。

 しかし、そんな野村フィーバーも長く続かなかった。いったい、なにがどうなって弱くなったのかと首をかしげたくなるほど、99年6月まで好調だった阪神が7月以降は急速に弱体化。このへんを詳しく書けば字数オーバーするので割愛するが、とにかく野村監督をもってしても99年は最下位に沈み、続く00年も01年も連続最下位に終わったのだ。

 とはいえ、当時の私はそれでも野村監督の続投を希望していた。確かに3年で結果は出せなかったが、野村体制によって阪神があきらかに変わりつつあったからだ。

 01年には野村監督が「将来のエース」と目をかけていた井川慶が先発ローテの一角として9勝13敗、防御率2.67の好成績を残し、オールスターにも初出場。同じく期待されていた速球派・福原忍も暗黒時代の投手としては、おそらく初めてとなる150キロ超のストレートを披露し、長かった球速詐称の歴史に終止符を打ってくれた。さらに野村監督が「変化球の対応は天才的」と評していた濱中治も01年に13本塁打を放つなど成長の兆しを見せ、同じく野村監督が「F1セブン」と名づけて話題になった俊足7人衆の中から赤星憲広や藤本敦士といった、のちの阪神の中心選手が芽を出しつつあった。今岡とは馬が合わなかったみたいだけど。

 だから、同じ最下位でも暗黒全盛期とは一味ちがった。特に野村阪神3年目となる01年は、なんとなく来季に期待を抱かせるような内容でもあったのだ。ところが、ここで阪神暗黒時代最大の事件が勃発する。01年12月5日、野村監督の夫人であり、サッチーこと野村沙知代女史が脱税容疑で逮捕されたのである。これによって阪神球団は野村監督の解任を決断。すさまじい大オチであった。

■知将から闘将へ! 2003年の阪神優勝は野村と星野の共同作品

 ただし、のちの野村監督の著書によると、このとき彼は思わぬファインプレーを見せていた。「このチームを変えられるのは西本(幸雄)さんか星野(仙一)くらいですよ」という言葉を当時のオーナー・久万俊二郎に残したという。

 かくして02年、前年に中日監督を勇退した星野仙一が阪神監督に電撃就任した。星野監督といえば自らが先頭に立って、チームの士気を鼓舞する熱血漢の闘将として知られており、さらに豊富な人脈と非情な決断力も兼ね備えた政治家的手腕に定評があった男だ。

 これが当時の阪神には大当たりだった。それまで野村監督によって頭を鍛えられた選手たちが、今度は「NEVER NEVER NEVER SURRENDER」を新スローガンに掲げた星野監督によって肉体と精神を鍛えられていく。実際、02年の阪神は練習の雰囲気が大きく変わったことを覚えている。本当によく声が出ていた。こう書くとレベルの低さに情けなくなってしまうが、意外にそんな平凡な精神論こそがダメ虎の元凶だったように思えてならない。

 果たして02年の星野阪神は開幕から7連勝とロケットスタートに成功し、夏ごろまで首位争いを演じるなど、あきらかに今までとちがっていた。後半になると失速し、結果は66勝70敗4分けの4位に終わったものの、5年ぶりの最下位脱出に成功したのである。

 さらに02年オフ、星野監督は大幅な血の入れ替えを断行した。暗黒臭が漂う古株選手たちを大量解雇し、金本知憲や伊良部秀輝、下柳剛など他球団から積極的に戦力を補強。このあたりは星野監督ならではの政治力と決断力、実行力の賜物だろう。意外に人情派として知られる野村監督では、ここまでの入れ替えはできなかったのではないか。

 その結果はご存知の通りである。03年、星野阪神は18年ぶりのリーグ優勝を果たした。井川慶や今岡誠、赤星憲広といった生え抜き選手の大活躍と金本や伊良部、下柳といった移籍組の大活躍が見事なまでに融合したチャンピオンフラッグ。それはきっと野村克也と星野仙一という、二人の外様監督による共同作品だったのだろう。知将から闘将へと受け継がれた再建のバトン。この二人じゃないと、この“順番”じゃないと、猛虎復活は叶わなかったはずだ。

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(山田 隆道)

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