「存在の不安」を突きつける、恐るべきジャコメッティの彫刻

「存在の不安」を突きつける、恐るべきジャコメッティの彫刻

©《ディエゴの胸像》 1954年 豊田市美術館

 キュビズム、抽象表現、ポップアート……。様式や流派、思想をめまぐるしく移り変わらせていったのが20世紀のアートの世界。それゆえ常に話題性があったし、潮流が動くたびにスターもたくさん現れ出た。

 世紀が変わりしばらく経って、ほとぼりが冷めてきたいま、20世紀を通して最重要のアーティストを選ぶとしたらどうなるか。ピカソやマティス、現代アートへの道を切り拓いたマルセル・デュシャン、ポップアートを広めたアンディ・ウォーホルらの名が挙がるだろうけれど、誰を措いても絶対に入れたい人物がひとり。画家・彫刻家のアルベルト・ジャコメッティである。

 没後半世紀に至って、日本で彼の大回顧展が開催されることとなった。国立新美術館の広大なスペースを使って、彫刻分野に関してはかなり充実した内容を展開している「ジャコメッティ展」だ。

■見知った弟の顔すら大きく歪む

 ジャコメッティの彫刻は、他に似たもののない独自の形態をしているから、見覚えのある人も多いはず。針金のように細長く引き伸ばされた人物像、ヒラメよりも薄っぺらな頭部像、ときにはマッチ箱に入ってしまいそうなほど小さい彫像と、どれもひと目見たら忘れられないインパクトがある。

 何も人を驚かせるために珍奇なかたちをとっているわけじゃない。ジャコメッティ本人は至極まじめに形態に関する探究を続け、その結果としてこうした彫像が生まれた。

 たとえば、彼が生涯にわたって最も長く、深く向き合った対象にディエゴの姿がある。モデルのディエゴとは、彼の1歳違いの弟。その姿をかたどった無数の彫像が残されているけれど、どれも表面は激しい凸凹が目立ち、頭部は鋭くとがり、顔面は両側から挟まれたように平たくなっている。力強い造形、けれど同時にはかなさも感じさせる不思議な彫刻なのは、今展に並ぶいくつもの《ディエゴの胸像》で実地によく確認できるはず。

 よく知っているはずの弟の姿が、なぜこんなに歪んだものとなるのか。絵画にしろ彫刻にしろ、徹底的に見ることを繰り返し、同じモチーフを追求するのがジャコメッティの方法だった。見慣れた弟の顔を、なんとか自分が見たままに表現できないだろうか。人の顔とはこういうものだろうとの勝手な思い込みや先入観をまったく排して、純粋に見た感触をそのままかたちにせんと、彼は模索を続けた。するといつしか、私たちが日常で触れる人間の姿とは大きく隔たった造形が現れるようになったのだった。

■シュルレアリストとしてキャリアをスタート

 ジャコメッティは1901年、スイスの生まれ。ジュネーヴ、ヴェネツィア、ローマで美術を学び、1922年、意気込んで当時の芸術の中心地パリへ赴いた。数年の後、自作を発表するようになるころ、パリで幅を利かせていたのはシュルレアリスムだった。アンドレ・ブルトンやサルバドール・ダリらが文学、美術など幅広いジャンルで、現実を超えた現実を表現に取り入れようと実験を繰り返していた。

 ジャコメッティもそうした面々から高く評価され、1930年からシュルレアリスム運動に参加する。しばらくは抽象的なテーマの作品を手がけていて、今展でも当時の作品はいくつも見ることができる。

 その才能は広く認められていたものの、ジャコメッティは1935年ごろにみずから作風を転換させる。具体的なモデルを使って彫刻をつくり始めたのだ。そうして第二次世界大戦後になると、針金のように細かったり、平らだったりする彫刻が、次々と彼の手から生み出されるようになっていった。

■20世紀を代表する「問い」

 虚心に対象を見つめるジャコメッティの目には、人間の姿が等身大で膨らみのあるものには映らなかったということなのだろう。自身が感じたままの人間を造形しようとして、奇妙な人間の像に行き着いたわけだ。ジャコメッティが表す人間は、微風に負けて飛び去りそうだったり、ちょっとした刺激でもポキリと折れてしまいそうだったり、内面など持ちようもないほどペラペラの外見だったり。それらは、人間の存在そのものが不安にさらされている様子を、可視化しているように見える。

 これらの像が制作されたのは、人類の残酷さが露呈した20世紀の2度の世界大戦を経て、まさに人間の尊厳が厳しく問われていた時期。ジャコメッティの彫刻は、そんな時代の空気が凝縮してかたちを成したかのよう。

 人がそこに「在る」とは、決して自明なことじゃないとジャコメッティには思えた。そこで彼は、人とは何か。どうあるべきか。どこへ行くのか。そんな根源的な問いをキリキリと考え詰めていった。会場に充満する張り詰めた空気の正体は彼の創作に対する緊張感そのものだ。

 ジャコメッティ自身の残した以下の言葉は、まさにアーティストとしての彼の為したこと、20世紀の美術が追求し続けたことを端的に示している。

「ひとつの顔を見える通りに彫刻し、描き、あるいはデッサンすることが、私には到底不可能だということを知っています。

にもかかわらず、これこそ私が試みている唯一のことなのです」。

(山内 宏泰)

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