獣神サンダー・ライガーが語る「マスクマンに憧れていた本当の理由」

獣神サンダー・ライガーが語る「マスクマンに憧れていた本当の理由」

©白澤正/文藝春秋

「テレビはつまらない」「テレビ離れ」など、テレビにまつわる話にはネガティブなものが多い。

 しかし、いまなお、テレビは面白い!

 そんな話をテレビを愛する「テレビっ子」たちから聞いてみたいというシリーズ連載の5人目のゲストは、新日本プロレス所属のプロレスラーである獣神サンダー・ライガーさん!

 テレビ創世期を代表するヒット番組が力道山のプロレス中継であるように、プロレスとテレビは切っても切り離せない関係。

 自身も、大の特撮好きで知られ、プロレスのみならずバラエティー、ドラマに出演されるなど、もっともテレビに愛されるプロレスラーのひとりであるライガーさんに、まずは子供の頃のテレビ体験や、プロレスラーになるまでを、新日本プロレス道場内にあるライガーさんの部屋で伺った。

◆ ◆ ◆

■人を救うウルトラマンよりも、人間を追いかける怪獣が好き

――お邪魔します……。

ライガー どうぞ、座って座って。足くずして。

――失礼します。僕にとってライガーさんは子供の頃からのヒーローなので、ちょっと緊張しているんですけど……。ライガーさんといえば、特撮ファンで有名ですが、それは子供の頃からですか?

ライガー 子供の頃、僕の家はまだ白黒テレビだったんですよ。それで『ウルトラマン』のペスターという怪獣が出てくる回を見たのが印象に残ってますね。僕らが子供の頃というのは、ミニカーとか、車、戦車関係にはしるか、怪獣にはしるか、その2つだったんです。僕はもう怪獣の方にいってましたね。

――幼稚園の頃くらいですか?

ライガー そうですね。親戚のおじちゃんがバルタン星人のソフトビニールのおもちゃを買ってくれたりした記憶が残っていますので。本当に子供の頃から怪獣でしたね。ちょっとずれて『仮面ライダー』も見てたんですけど、そこまでのめり込まないで、やっぱり『ウルトラ』でした。

――ヒーローの方にはいかずに、怪獣なんですね?

ライガー 怪獣でした! 映画で『東宝チャンピオンまつり』みたいなのがあったりしましたけど、それもゴジラと、対戦相手のキングギドラとか。対戦相手が好きでしたね。

――どういうところに惹かれたんですか?

ライガー やっぱりね、子供って残酷なところってあるじゃないですか。虫の頭をピッて取ったりとか(笑)。そういう破壊する強さ。それで子供心に、先生とか大人の人っていう強くて怖い存在も怪獣がギャーって出たら逃げ惑う。それが快感だったんじゃないですかね。要は僕がひねくれてるんですよね。そういう人たちを救うウルトラマンとか、ウルトラセブンよりも、人間を追いかける怪獣が好きなんです。

――周りの子たちと、そういう遊びとかはしたんですか。

ライガー 怪獣ごっこはしましたね。あと怪獣とは全く関係なく、うちの近所に皿山と江波山ってあったんですけど、そこに段ボールで基地作ったりとかして。わざわざそこに漫画を持って行って読むんですよ。家で読めばいいのに(笑)。そういうのを作ったりとかして遊んでいましたね。お菓子を持って行ったりもね。

■園芸部から一転、プロレスへ導いてくれた藤波辰爾の衝撃

――特撮以外では、どういったテレビとかを見ていたんですか。

ライガー あとはアニメですね、『ハクション大魔王』とか『ゲゲゲの鬼太郎』とか。アニメを観てました。オタクですから。

――小学生になっても特撮熱って冷めなかったんですか。

ライガー 冷めなかったですね。でも、小学校6年生くらいの時にプロレスと出会って、それで一切捨てて、プロレス一筋っていう風になったんです。元々動物園の飼育係とか農業関係の仕事をしたいと思ってて。当時は園芸部だったんですけど、植物を育てるというのからもちょっと身を引いて。ちょうど藤波辰爾さんがチャンピオンとして、雑誌の表紙になったんです。その衝撃がすごくて。『マジンガーZ』とか、『グレートマジンガー』とかも観てましたけど、特撮だったりアニメだったりからはちょっと離れて、家のポスターも全部プロレス。

――あー(笑)。プロレスはテレビで観てたんですか?

ライガー 当時プロレスは金曜夜8時だったので。ちょうどタイガーマスク選手が出る2〜3年前くらいからですね。それまではそんなにプロレス、プロレスって観てなかったですけど。

■進路希望は「メキシコ」って書きました

――生でプロレスを観たのはいつでしたか?

ライガー 中学の1年か2年ですね。新日本プロレスが昔でいうところの広島県立体育館(当時の名称)に遠征に来るというんで、それは観に行きました。「藤波辰爾が来る!」っていって。

――生で観るのと、テレビで観るのってどんな違いがありますか。

ライガー やっぱり生はいいですねえ。「オォー!」ってなりましたね、ホントに。(藤波さんが)ドラゴン・ロケットで飛んだのを生で見て迫力がスゴかった! あとね、国際プロレスさんも来たんです、県立体育館に。デスマッチをやったんですよね。アニマル浜口さんかマイティ井上さんだったと思うんですけど、もう血が垂れてるんですよ、ダーッと。うわぁ、スッゲーって思って。死ぬんじゃないの、この人ってぐらいダーッと血が出てるんですよ。それはもうほんとに衝撃というか、ショックでしたね。

――中学生の頃はもうプロレスラーを目指して?

ライガー それまで体育会系のクラブに入ってなかったんで、まずは体を鍛えなきゃいけない、身長を伸ばさなきゃいけない。それで水泳部に入りました。

――それは身長を伸ばすために。

ライガー そのためだけです。水泳でいい成績取ろうとかは考えてない。たまたま背泳ぎの選手がいなかったから「お前やれ」って言われて背泳ぎの選手になって。そしたら、人数も少なかったからか、新人戦で1位とっちゃったんです。だけど、嬉しくないんですよ。(水泳は)どーでもいいから!(笑) とにかく背を伸ばしたい、それしかないんですよ。僕の人生設計は、中学を卒業したらプロレスに入るってなってましたから。でも、その当時のプロレスのパンフレットを読むと、新人募集があっても中卒の人は身長規定が「176cm〜」なんです。その頃、170cmもなかったですから。

――結局、高校へは行かれるんですよね。

ライガー ひとりでずっと考えてたんで、やっぱりバカなんですね。アドバイスをしてくれるような人もいなかったし。雑誌を見ると、プロレスラーって、スクワットを毎日3000回するって書いてあって、いま思うと誇大表現だったんですけど、でも広島の田舎の坊主だから、スゲー! って思っていた。自分もこれができなきゃプロレスラーになれないなって。水泳やりながら、ウエイトトレーニングもやり始めちゃったんですよ、成長期に。そうしたら中学3年の時に、スクワット3000回ができたんですよ。だから筋肉がついて足も太くなって、身長は伸びない(笑)。それで仕方なく高校生のうちに伸びればいいかと思って高校に行って、レスリング部に入ったんです。

――それもあくまでもプロレスのために?

ライガー そう。国体で3位とかになったりしたので先生からは「大学に行け」って言われたんですけど「絶対行かねぇよ、俺」って。当時、メキシコのレスリングスクールは身長一切関係なく入れて、マッハ隼人選手が逆輸入みたいな感じでそこから国際プロレスに入ったんです。これだ! って思って、学校の進路希望の紙に「メキシコ」って書きました(笑)。

■自分がセコンドのどこにいるか探しながら「あっ映ってる、映ってる」って(笑)

――実際、メキシコ経由で新日本プロレスに入門されデビューするわけですが、新人時代、たとえば船木(誠勝)さんは映画とかが好きだったりしてたと思いますが、そういう趣味の話はしてたんですか?

ライガー 船木はどっちかというと『仮面ライダー』とか、そんなのが好きだったんじゃないかな。橋本(真也)は『北斗の拳』とかアニメが好きで。本人はラオウのつもりでしたからね。「お前ちょっと無理だろう、その体形じゃあ」って(笑)。どっちかというとザコキャラの体形に似てるなって思いますけど、本人は、「俺はラオウだ」って。

――あははは!

ライガー 幸せだな、こいつって思って。怪獣好きっていうのはあんまりいなかったですね。僕ぐらいだったんじゃないかな。

――初めてテレビでご自分の試合が中継された時はどうでしたか?

ライガー スッゲー嬉しかったですよ! それまでもオフの時にはプロレス中継観るじゃないですか。まず自分がセコンドのどこにいるか探しますもんね。あっ映ってる、映ってるって(笑)。みんなそうなんじゃないかなぁ。口には出しませんよ。「ちゃんとしろ」って先輩に怒られますから。でもね、自分が映ったら嬉しいもんですよ。

■中学の頃からマスクマンに憧れていた理由が、その時にわかりました

――試合ではテレビだからというような意識をされたりとかしました?

ライガー いや、リングにあがったらもうそういうのないです。広島のばあちゃんとか、お母さんとかも、弟とか、親父もそうですけど観てくれるだろうなとは思いましたね。あの当時も金曜の8時でしたからね。そういうのも嬉しかったですね。家族に対して頑張ってます、みたいな。

――実際に放送されたのを観ましたか。

ライガー 観ましたが、僕だめなんですよ、自分の顔が! 一発でやられました。なんだこりゃと思いました。いやぁ、酷かったですねえ。

――試合内容じゃなくて顔が?(笑)

ライガー 中学の頃からマスクマンに憧れていた理由というのが、その時にわかりましたね。あ、俺自分の顔をブサイクって認識してたんだって(笑)。これを隠したかったんだって。それくらい自分の表情が嫌だったんですよ。喜怒哀楽が出てお前いいなって、色んな方から言われたんですけど、僕自身ものすごく嫌でした。それから自分が載っている雑誌とかもあんまり見られなくなりました。

――それでは、元々アニメのキャラクターであるマスクマンになると決まったときは、嬉しかったでしょうね?

ライガー 当時はイギリスにいたんです。会社から電話がかかってきて。「お前、マスクマンやってみるか?」って。そんなもんね、もうデビューした時からマスクマンやりたかったって! 「やります。ぜひやらせてください」って言って、二つ返事ですよ。

■マスクしてても、喜怒哀楽がわかるからすごいねって

――僕は小学校5年生くらいで、アニメの『獣神ライガー』を観てたんですよ。土曜日の夕方で、僕の地域は『ライガー』の直後に『ワールドプロレスリング』が放送されてて、何も知らずになんとなく見ていたらいきなりライガーが出てきて「わー!」ってびっくりして、そのまま夢中になったんです。

ライガー あの全くツノも何もないやつ。

――そうです!(※当初アニメの進行に合わせてマスクのデザインが変わっていった) そのマスクのデザインを見た時ってどうでした?

ライガー いや、そのマスクのデザインもそうですけど、全身タイツなんですよね。はぁ? って思って。どうすんだって(笑)。会社から「これね」ってデザイン画を渡されて終わりですよ。あとは自分でなんとかしなさい、みたいな。無理だろう! って。頭から毛は出てるし、全身フルコスチュームだし。生地の耐久性なんて一切何もないんですよ。しかも、4月の東京ドームでデビューだったんです。あと1か月もない。なんとか間に合わせろ、みたいな。それでマスク作っているようなところへ行って、このデザインで作ってくださいと。そこから全部体を測って、生地をどうしようかというところから相談して。特に全身タイツだから、レオタードの強めの生地にしたらどうかとか。マスクも試行錯誤しました。頭から毛が出てるから、なんかトウモロコシみたいになった(笑)。

――あはは(笑)。

ライガー メキシコには額のところで水平になってるマスクがあるんですけど、それだと髪の毛は出るけど、おでこの地肌が見えてかっこ悪い。それで斜めにしちゃおうと。でも斜めにしてたら、動いてるうちにペロンペロンってめくれちゃう。じゃあそうならないように、ベルトで留めて、紐のところに結び付けて……って試行錯誤して。それで今のライガーというか、自分の毛を出すライガーのスタイルが出来上がったんですけどね。

――「ライガー」としてのデビューは即注目される形だったと思うんですけど、それまでのテレビ中継と気持ちは違いましたか?

ライガー もう、顔は出ないから。それが最高ですよね(笑)。自分の顔がホントに嫌なんですよ。「男梅」って知ってる? あんなんよ! あんなに眉毛太くないけどね。もう男梅みたいな顔だから、嫌なんですよ。だからね、隠したかった。今は隠れてるから最高に幸せです。

――幸せ(笑)。

ライガー もうリングに上がるの楽しいもんね。マスクマンになれてよかったですよ。

――でもライガーさんは、一番表情が豊かなマスクマンだと思うんです。

ライガー そう言っていただくのはすごく嬉しいです。マスクしてても、ライガーとしての喜怒哀楽がわかるからすごいねって。褒め言葉としては嬉しいですけど、僕としてはまず顔が出ないことが第一なので(笑)。

獣神サンダー・ライガー/89年4月24日、東京ドームでの小林邦昭戦で獣神ライガーとしてデビュー。5月25日、馳浩を下して第9代IWGPジュニアヘビー級王座を初奪取。以降、同王座には歴代最多となる11度の戴冠を誇る。90年1月に獣神サンダー・ライガーに改名。IWGPジュニアタッグ(戴冠6回)やジュニア8冠王座など、国内外の団体問わず数多くのベルトを獲得。現在も“世界の獣神"として、絶大な人気を誇る。得意技はロメロ・スペシャル、垂直落下式ブレーンバスター、掌底、ライガーボム、空中胴締め落とし。170cm、95kg。

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写真=白澤正/文藝春秋

(てれびのスキマ)

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