【ヤクルト】チームの苦境を救うのは小さなエース・石川雅規だ

【ヤクルト】チームの苦境を救うのは小さなエース・石川雅規だ

©文藝春秋

■エースの系譜――70年代の松岡弘、80年代の尾花高夫

 6月18日、交流戦最終日となる対北海道日本ハムファイターズ戦。今季初となる中4日でマウンドに上がったのは石川雅規だった。4回2死までパーフェクトに抑える完璧なピッチングを披露したものの、5回途中を投げて3失点で石川は敗戦投手となり、チームは交流戦最下位という屈辱にまみれることとなった……。

 先月、『いつも、気づけば神宮に 東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)という極私的スワローズ史をたどる本を出版した。子どもの頃からのヤクルトファンとして、「どうして自分はこんなにヤクルトが好きなのか?」を探ることを主眼に、現役選手と首脳陣、伝説のOBたち約50名に次から次へと会い、「ヤクルトらしさって何ですか?」「ヤクルトの魅力とは?」と聞いて回ったのだ。

 そして、この本では「エースの系譜」をテーマに原稿をまとめてみたのだけれど、国鉄、サンケイ時代を含めたスワローズの歴代通算勝利数ランキングは次のようになる。

 1位……金田正一(353勝267敗)※スワローズ時代のみの通算成績
 2位……松岡 弘(191勝190敗)
 3位……石川雅規(156勝144敗)※2017年6月19日現在
 4位……村田元一(118勝140敗)
 5位……尾花高夫(112勝135敗)

 1970年生まれの僕にとって、最初のエースは通算勝利数歴代2位の松岡弘である。主に70年代をけん引した松岡に続いて、80年代にエースとして奮闘したのが歴代5位の勝ち星を誇る尾花高夫(現・巨人投手コーチ)だ。そこで僕は両者に「弱小チームでエースを張ることのプライド」を聞いた。

 松岡弘はエースの条件として、「ケガしない、病気しない、ローテーションを守る。絶対にチームから、ベンチから離れない」と語った。一方の尾花は、「エースかどうかは周りが決めること」と前置きした後に、「このピッチャーで負けたら仕方がないなと思われる存在」と言った。両者の現役時代を知るだけに、この言葉はそれぞれ僕の胸に響いた。

■エース不在の90年代を経て、石川雅規の00年代へ

 さて、70年代、80年代のエースはすぐにイメージできるものの、僕は「90年代のエースは?」という問いに明確な答えを出すことができない。92年の岡林洋一、93年の伊藤智仁、あるいは、川崎憲次郎、西村龍次、山部太、吉井理人、石井一久という名前は浮かんでくる。もちろん、高津臣吾は「不動のリリーフエース」であることは間違いない。

 しかし、エースとは先発投手の称号だという思いが、僕にはある。改めて、90年代先発投手の顔ぶれを思い浮かべてみると、ある者は故障に苦しみ「一瞬の輝き」に終わり、ある者はFAやポスティングによる「海外移籍」を選択し、「90年代」という10年間を通じて活躍した「不動のエース」が浮かんでこない。

 なぜ、ヤクルトには90年代の絶対的エースがいないのか? 理由はいくつかある。チームが強く、有力投手が常に複数いたため。あるいは、相次ぐ故障によって投手生命が短命だったため。または、メジャー挑戦によってチームを離れてしまったため……。こうしたことを踏まえると、僕の頭の中には「チームが弱小時代にありながら、故障せずにローテーションを守り続けた生え抜き選手」というエースの条件が浮かんでくる。

 すると、90年代には該当者がいないものの、00年代以降にはピッタリの投手がいることに気づいた。それが、歴代通算勝利数3位を邁進する石川雅規なのだ。

 若松勉監督の下で日本一に輝いた直後の01年ドラフト自由獲得枠でヤクルト入り。チームがセ・リーグ制覇を決めた01年10月6日の横浜スタジアムでの一戦。青山学院大学時代の石川は現地で観戦していたという。

「この頃には、“スワローズに入るかもしれない”という思いがあったんです。大学の寮も近かったので、“一度、プロ野球の雰囲気を見てみたい”と思って初めて見に行きました。テレビで見るイメージと一緒ですごくチームの雰囲気もよかったですね」

 秋田で過ごした子ども時代はヤクルトの黄金期だった。テレビを見ていて、「強くて明るい大人のチーム」というイメージを抱いていた。実際にリーグ制覇の場面も目撃した。プロ最初のキャンプでは大きなチャンピオンフラッグが風に揺れていた。

「プロに入ったときは、“2〜3年に一度は優勝できるだろう”と考えていました。……まさか、その後13年間も優勝できないとは思いませんでした(笑)」

 石川の言葉通り、彼が初めて優勝を経験したのがプロ14年目の15年のことだった。チームが低迷期にあり、優勝には恵まれなかったものの、それでも石川は、昨年までのプロ15年間で2ケタ勝利を11回もマークし、07年を除いて年に20試合以上は先発マウンドを託されている。まさに、松岡が語った、「ケガしない、病気しない、ローテーションを守る。絶対にチームから、ベンチから離れない」を体現している。

 さらに、先ほど僕が挙げた「チームが弱小時代にありながら、故障せずにローテーションを守り続けた生え抜き選手」に見事に合致する。石川こそ、00年代以降を代表する不動のエースだと言っても間違いではないはずだ。

■神宮球場に鳴り響く「お前がエースだ、石川!」コール

 さて、その石川だが、今季は勝ったり、負けたりを繰り返し、エースとしての圧倒的な存在感を誇るには至っていない。それでも、雨中で行われた今季開幕戦では6回5安打2失点でセ・リーグ2人目となる開幕戦通算5勝目をマークしたのは圧巻だった。

 石川の開幕投手を進言したのは伊藤智仁投手コーチだった。伊藤コーチは言う。

「石川はどんな時でも、痛いだの辛いだの言わずにマウンドに上がり、チームのために投げてくれます。開幕戦という大舞台こそ、意気に感じて投げてくれるタイプ。気持ちで投げてくれる石川こそ、00年代以降のエースです」

 伊藤コーチの思いは、ファンも同様だ。5月11日、広島東洋カープ戦に先発し、勝利投手となった石川に対して、試合後のライトスタンドでは、公認応援団・ツバメ軍団を中心にこんなコールが響き渡った。

「お前がエースだ、石川! お前がエースだ、石川! お前がエースだ、石川!」

 そして、当の本人にも「エースの自覚」はある。石川の言葉を聞こう。

「エースというのは、“コイツに任せたら大丈夫だ”“彼が投げるのならばこの試合は勝てる”と周りに思わせる存在のことだと思います。僕はまだまだエースではないかもしれないけど、小さいときから、“自分の投げる試合はオレがエースだ!”という思いを持って投げています。僕は本気で200勝を目指しています。誰からもエースと呼ばれるように、これからも投げ続けます!」

 泥沼の10連敗という苦境にあえぎ、交流戦最下位に沈んだものの、6月中盤にはようやく光明が差し込んできた。これから、勝負の夏場がやってくる。チームが苦境にあるときにこそ、エースの出番だ。02年以降、ヤクルトの先発マウンドを守り続ける小さなエース・石川雅規。チームの浮上は彼の左腕にかかっている――。

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(長谷川 晶一)

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