「ヨシオカ、あの試合最高だったな」……大事なファイターズ応援仲間へ、別れの言葉

「ヨシオカ、あの試合最高だったな」……大事なファイターズ応援仲間へ、別れの言葉

地震後、最初のホームケ?ーム。僕もヨシオカもし?っとしていられなかった ©えのきどいちろう

 僕の公式ツイッターが先月下旬、まったく動かなくなった。芸能人でもないくせに、僕みたいな単なるライターが公式アカウントを持つなんて本来おかしなことだ。大概の友人知人は、物書きも演劇関係も、そんなことは自分でやっている。まぁ、簡単に言うと面倒なのだった。面倒くさがりでSNSに手を出さなかった。ところが一昨年、えのきど公式ツイッターが発足してしまった。これは9割がた「文春野球コラムペナントレース」のために始めたのだ。

 文春オンラインの鬼っ子というか番外地というか。何か「文春砲」的な貢献は一切しないんだけど、まぁ楽しそうだから大目に見といてやるか的な立ち位置で「文春野球コラムペナントレース」はスタートした。文系野球バカの巣窟だ。日ハム担当バカには僕が選ばれた。僕は「えのきども日ハムさえなかったらなぁ……」と言われた男だ。新潮社の鈴木力さんに小説書けといわれて野球が忙しくて書かなかった男だ。もちろん文春野球は喜々として書いていた。最初のシーズンは「12球団をそれぞれ1人のライターが書く」方式だったから、毎週書いたっていいのだ。そんなのいくらだって書ける。

 だけど意外に得票というかHIT数が伸びないのだった。僕は伸びなくても(自分で書いて面白いんだから)ぜんぜん気にしてなかった。が、「これじゃダメですよ。僕が広報をします」と見るに見かねて申し出た奴がいた。フリーのラジオディレクター、吉岡信洋さんだ。他人行儀だから普段通り「ヨシオカ」と呼ばせてもらう。ヨシオカがえのきど公式ツイッターの「中の人」をやることになった。

 それから僕の文春野球コラムは少しずつ定着していき、2年目はチーム制になったおかげもあって「(コラムHIT数での)パ・リーグ優勝」を果たす。僕は完全におんぶに抱っこだ。なーんもしなくても告知は勝手に調べてやってくれる。たまにつぶやきたいときはヨシオカのLINEに「(えのきど)ガーン! 岡移籍……」などとメッセージを送ればいい。僕は完全にノータッチ。アカウント取得のメールアドレスも電話番号もパスワードも一切知らない。

■ピタッと止まった公式ツイッターの更新

 そのえのきど公式ツイッターが5月18日、ピタッと止まった。斉藤こずゑさんのコラム「ファイターズ田中賢介、20年目のラストイヤー “現役最後の……”を噛みしめて」(同日アップ)のRT連打が最後だ。僕は「?」という感じだ。だけど、それがたまたま土日だった。考えたらヨシオカは1円にもならないことをやっているのだ。たまにサボってくれたほうがいい。ひょっとすると風邪ひいて熱でも出したかな。

 頭のどこかに「?」が点灯したままだったけど、僕は深く考えなかった。週明け、LINEしてみよう。来週は文春野球の登板日があるから18日の熊本の試合のことを書くんだ。アンブレラハルキ。きっとヨシオカ大喜びするぞ。このネタ、ヨシオカのツボっぽいもんなー。あいつは北海道旭川市の出身だから地方球場の空気感がわかるんだよ。

 ところが翌日もヨシオカと連絡が取れなかった。LINEは既読にならず、電話は留守電のままだった。友人の北尾トロさんに相談した。トロさんと僕は2011年から「レポTV」というユースト(のちにユーチューブ)のサブカル番組を始めて、そのスタッフ募集の呼びかけに手を挙げてくれたのがヨシオカだった。番組収録は週1、西荻にあった北尾トロ事務所(当時)でやってた。だから帰りはいつも終電近くの中央線だ。電車でよくHBCラジオの話をしてくれた。ヨシオカはいつもradikoで「HBCファイターズナイター」や「ファイターズDEナイト!!」を聴いていた。

「こっちも連絡ないよ。FB、ツイッターも投稿ない」
「トロさんにも連絡ないかー」
「心配になってきた」
「ゴールデンウィークに旭川に帰るときも、連絡つかなくなりますからってわざわざ知らせてきてたんだよ。こんな状態おかしいよ」
「やな予感するなぁ」
「明日、ヨシオカの会社に電話してみる。何か事情知ってるかもしれないし」
「それしかないね。わかったらすぐ知らせて」

 朝10時まで待って、ヨシオカが契約で働いてたラジオ制作会社に電話した。会社にも月曜から出てきてないそうだった。で、何とたった今、友達が川崎市のアパートへ見に行ってくれてるという。何かわかったら連絡してもらうように頼んだ。あぁ、ヨシオカ、道ならぬ恋でもして駆け落ちしててくれ。

 ヨシオカは亡くなっていた。友達が大家さんと警察立ち会いのもと、部屋に入ったそうだ。発見者になったヨシオカの友達が直接、電話をくれた。声が震えていた。僕はケータイを持ったまま、部屋に立ち尽くした。

 受け入れがたい。そんなバカな。46歳だ。まだ令和になって1か月生きてない。そんなことは絶対あってはいけないと思った。感情が噴きあがってくる。ヨシオカ、うそだろ。待ってくれよ。もっとHBCの話をしようよ。お前ふざけんな、田中賢介の引退見ないつもりか。優勝して賢介胴上げするんだよ。それ見ないでファイターズファンって言えるかよ。

 何か腕一本ちぎられるような思いだった。仲間を持ってかれるのは応えた。ひとり暮らしの突然死はこういう感じになるのか。ツイッターやFBがか細い生命反応のようになるのだ。それが止まる。それが止まることが徴(しる)しだ。今、ひとの死はそんな風に伝わるのだ。何て悲しいことだろう。

■ヨシオカ、あの試合最高だったな

 去年、北海道胆振東部地震の後、札幌ドーム公式戦が再開となった最初の試合、僕もヨシオカも居ても立ってもいられなくなって、北海道へ飛んだ。「全道ブラックアウト」は衝撃だった。知り合いが大勢いるとはいえ、実際には子どもの頃、釧路に住んでいただけの僕が北海道のために眠れなくなったのだ。ヨシオカはもっとだろう。旭川のご家族を思い続けただろう。地震は「北海道=ホーム」の感覚を強烈にもたらした。

 何が何でもその試合は見なくちゃいけないと思った。それはね、ヨシオカと示し合わせたわけじゃないんだ。それぞれが思って、別々の便で向かったのだ。ヨシオカは旭川へ帰るついでもあったはず。レフトスタンドで待ち合わせた。いつだって応援してるんだけど、今日は特別だ。めっちゃくちゃ応援するんだ。今、応援しないで北海道どうすんのよ。なぁ、ヨシオカ、今日はファイターズ絶対勝つんだよ。

 その試合はオリックス戦で、鶴岡慎也が逆転タイムリーを打つんだけど、レフトスタンドの席が信じられないことに「メガホンニキ」こと恵庭市の北川さん(キタさん)の隣りだったんだ。鶴ちゃんのタイムリーのときは、ヨシオカともキタさんともハイタッチした。うへへーい。やったやった。おーいおーい北海道、バンザイバンザイ! 

 ヨシオカ、あの試合最高だったな。みんなが祈るような、熱い気持ちを持ち寄っててさ、野球を大事にしていた。野球がやれる喜び、野球が見られる喜び。見に行ってよかったな。ファン冥利だったな。ヨシオカ、野球っていいもんだよな。

 ひとり暮らしで亡くなると検死や司法解剖の手続きが発生する。津田山のかわさき北部斎苑に北尾トロさんやライター仲間、ヨシオカの会社関係、ご友人が集まったのはそれから1週間ちょっと後だった。

 みんなこわばった顔をしていた。やってられない気持ちだ。僕はヨシオカの会社の人から「コラムニストのえのきどいちろうさんの話をいつも聞かされてました」、ご友人からは「えのきどさんの本が大好きで、タイトルをメールアドレスに使ってましたよ」と教えられる。

 棺に手を合わせたのだ。ヨシオカ、ありがとう。お別れだ。
 
 だけど固いこと言うな、お前、道民なんだからファイターズ応援すりゃいいよ。

 死んだからって応援やめないだろ。死んでても応援していいってオレ許可するから。

 一緒にやってこうぜ。その思いはオレが背負って行くよ。

追記 えのきど公式アカウントは結局、入り方がわからず、引き継ぐことができませんでした。仕方ないので僕は新しいアカウントを取得し、自分でツイートを始めることにしました。慣れないけど、がんばるよヨシオカ。@ichiroenokido

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※「文春野球コラム ペナントレース2019」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト https://bunshun.jp/articles/12158 でHITボタンを押してください。

(えのきど いちろう)

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