ビートたけし「おいらの居酒屋に突然やって来た」――生誕80年・美空ひばりとわたし

ビートたけし「おいらの居酒屋に突然やって来た」――生誕80年・美空ひばりとわたし

©文藝春秋

「戦後」という時代背景があったから、美空ひばりが生まれたんじゃないかな。長嶋(茂雄)さんや(高倉)健さんもそうだけど、時代を背負っていた。無理やり売り出したわけじゃなく、自然と、時代から生れ落ちるように現れた。

 今もスターはいるけど、「誰々の時代」と言われるには、エンターテインメントの種類が多すぎる。あの頃のスターのような影響力を持てない。長嶋さんの時代は野球と相撲ぐらいしかなかったからこそ、あれだけの光を放つことができた。今はメジャーリーグもあるし、サッカーもテニスもある。あの時代のようなスターはもう生まれないね。

 ひばりさんは、自分が子供時代からスターとされている人だし、長嶋さんのときもそうだったけど、はじめて会ったときは震え上がったよね。芸能界入ってよかったなって思ったな。こういう人たちに会えるんだからって。

 戦後の「歌謡曲の時代」は、大前提として、歌がうまくなければいけなかった。その中で、ひばりさんは誰もが認めるトップだった。そのプライドも風格も、本人にあった。家から一歩出ると、もう美空ひばりだったからね。

 プライベートではよく飯を食ったけど、とても気さくな人なんだよ。でも外で会ったときには、おいらでも「オッ」となった。

 最近は、有名人を見かけると、みんな平気でスマホのカメラを向けるじゃない? 今、ひばりさんが生きていたとして、同じことができるかな。その雰囲気に圧倒されて、おいそれとはスマホを向けられないんじゃないかな。まあ皇后陛下にスマホ向けるババアがいるくらいだから、やる奴はやるんだろうけど(笑)。

■ひばりさんが1人で突然やって来た

 ひばりさんに初めて会ったのは、おいらが作った四ツ谷の「北の屋」っていう居酒屋。あの頃、毎日たけし軍団の連中と飲んでいて金がかかってしょうがなかった。だったら、自分で店を始めた方がいいと思って始めたら、とんでもねえ赤字経営で(笑)。飲み放題食い放題で、1人500円払えって言っても「ぼりやがった」って怒るぐらいのメンバーだからね。そんな店に、ある日突然来たんだよね。

 板前さんから「ひばりさんが来てます」って電話がかかってきて、最初は漫才師か何かかと思ったんだ。「ヒバリ・ウグイス」なんて漫才コンビ、ありそうじゃない? その片割れが来たと思ったら「美空ひばりさんです」って言うんだ。だから「お前、それは偽者だからよく見て追い返せ」って言ってやったんだけど、板前も「いや、本当にそうですよ」って言い張るんだよ。

 仕方なく店に行ったら、他の客を誰も入れず、本当にひばりさんが1人でテーブルに座って、お茶を飲んでた。内心ホッとしたのは、何も食ってなかったこと。なんたって、水槽の底で沈んでるアジを、ヒラメだって言い張って出しちゃうような店だったから(笑)。

■「今度うちに来ない?」

「あら、たけしさん?」って聞かれたから、「そうです。どうも」と慎重に答えたよ。まだ、どっきりカメラかなんかかと思ってたから。

 そしたら「息子(和也さん)があんたのファンらしいのよ、今度うちに遊びに来ない?」って言われてね。当時、おいらは『オレたちひょうきん族』でタケちゃんマンをやってた時期。それでよく観てくれてたんだと思う。

 話が落ち着いてきて、ひばりさんが「ちょっとおなか減った」って言うから、「ここは、やめたほうがいいですよ、運よく食中毒出さないだけですから」と、注文しようとするのを必死で制止して。「じゃあ、タケちゃん、『おけいすし』に行こうよ」って、ビクタースタジオの近くにある、美空さんの行きつけの店に連れて行ってくれたの。

 でも、何を話せばいいかわかんないから、おいらは酒飲んじゃえ、って。ひばりさんは、酒はいつもたしなむ程度だったな。体調のこともあったのかな。

 後日、「軍団の皆さんと一緒にいらっしゃいよ」という言葉に甘えて、そのまんま東とか、軍団のメンバー6人くらいを連れて、青葉台のお家に遊びに行った。

 倅に嬉しそうに「ほら、連れてきた。タケちゃんだよ」って感じだったな。ひばりさんも直接おいらに話しかけるんじゃなくて、倅を通してしゃべりかけてくるんだよな。「ほら、タケちゃんが座ってるよね」とか、「タケちゃん、おもしろいねー」なんてね。

 初めは緊張してたんだけど、「タケちゃん、楽にしてよ。子どもも緊張しちゃうから」って言われて、「ああ、そうですか」と。考えてみりゃ、ひばりさんも軍団まで家に連れてこられて邪魔だったと思うよ(笑)。おいら1人だと恥ずかしいから連れて行ったけど。それでも、ひばりさんは全員にちゃんと食事を用意してくれた。

 ひばりさんの女中さんがつくってくれる料理が、またうまいんだ。デザートも何でも。覚えているのは「ところてん」。ちょっと違うんだよ。味付けが酸っぱくなくて、出汁みたいなのにつけてあるんだよな。煮物でもなんでもうまかったな。一流は一流を知るっていうけど、やっぱりすごい人に付いている人は腕が違うんだね。

 家で飯を食って「うめえな」と思った二大有名人は、ひばりさんと所ジョージ(笑)。所の家は豚を半分買ってきたり、とんでもなく有名な鮭がいっぱいいたり。海苔も米も超高級品。あそこは奥さんが料理してくれるんだけど、目の前でスッポンを調理して鍋まで出てくる。だから、おいらは一時期、毎週日曜日は現場に行く前に、所の家に寄って昼ご飯食べてたんだよ。ひばりさんの家の食事は豪華というわけではないのに、うまかったんだよな。

 ひばりさんの家では食事の後は、カラオケだった。ひばりさんが「歌でも歌おうか」と言ってくれて。あの時代に、今のカラオケボックスみたいな部屋が家の中にあった。照明がちゃんとあって。頼んだわけじゃないけど、贅沢な話だよな。

 やっぱり根っから歌が好きなんだと思った。おいらだったら、仕事でもないのに「タケちゃん、ちょっと笑わせてよ」って言われたら「ふざけんな、この野郎。金もくれないのに、なんでやらなきゃいけないんだ」って思うもんな。

■ものまねが上手なひばりさん

 ひばりさん、ものまねがすごくうまいんだよ。八代亜紀とか、五木ひろしとか。「都はるみは、こんな歌い方をする」とか言いながら、目の前で歌ってくれるんだよ。ひばりさんのものまねをする人、いっぱいいるけど、ひばりさんよりはうまくないじゃない。でも、ひばりさんが真似すると、ひばりさんのほうが本人よりうまくなっちゃうんだからな。

 カバー曲でも同じ。この前、BEGINが作曲した『涙そうそう』を女の子が歌っていて。「あれ、こっちの方がいいじゃない」って思っちゃったけど、ひばりさんの曲で、それはない。どんな歌唱力のある人がカバーしても、本人よりいいと思えないんだよね。それだけ圧倒的なんだ。

 そんなだからカラオケの時も、ひばりさんが気を使って「誰か歌わない?」って声かけてくれるんだけど、「いやいや、とんでもない」って(笑)。断ると「じゃあ、もう1曲」って歌ってくれるの。おいらだって聴いていた方がいいし、ひばりさんだって自分が歌っていた方がいいんだから。そうしたら、東があんまりよく知らなくて「おばさん、歌うまいですね」って。みんなに「誰に向かって口きいてるんだ!」ってぶん殴られてた。

 トイレを借りると、おしぼりやなんかが、みんなひばりさんの横顔のシルエットがプリントされてるんだよな。記念に全部かっぱらってきちゃったよ。

■映画で演じて欲しい役

 面白いことに、ひばりさんの曲って、当時も今も懐メロっていう印象がないんだ。

『愛燦燦』も、『川の流れのように』も、その時代の空気に合った歌を常に歌ってた。世代の違う作曲家や作詞家と組んで、新しい歌にジャンジャン挑戦していたでしょう。『川の流れのように』なんて、当時おニャン子クラブで大ブレイクしていた秋元(康)さんの作詞。大スターになっても常に最先端にいた。

 ベテランになると、昔ヒットした曲を繰り返し歌っている人の方が多いんだけど、ひばりさんは若手と同じような新しい雰囲気の曲を歌ってヒットさせてた。あの人、どんな曲でも自分のものにしちゃうからね。『真赤な太陽』なんて、それまで絶対やらないような歌だったでしょ。それをポップっぽく歌いあげてヒットさせちゃった。やっぱりすごい。だからトップに居続けられたんだ。

 おいらのiPodには、いまも『愛燦燦』や『川の流れのように』なんかが入ってる。いちばん好きなのは『お祭りマンボ』かな。カラオケでも、あの歌のバックで下駄タップを踊ったことがあんの。「やりなよ」って言われて。ひどい目に遭ったもんだけど、楽しかったな。

 一緒に踊ったことはあっても、ひばりさんのステージは聴いたことないんだよ。東京ドームの復活コンサートは、一緒にラジオをやっていた高田文夫と「2人で行こうよ」って盛り上がっていたんだけど、結局は行けなかったな。

 歌手は長生きするもんだと思うんだけど、ひばりさんは、やっぱりプロとして歌ってきた年数が違うからね。12歳でデビューしてるんでしょう? 耐用年数も、前倒しになってしまったのかな。

 もし、まだ生きていたら、歌もそうだけど、役者をもう一度やったら面白いだろうね。

 昔も、美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみの「三人娘」でミュージカルみたいな映画もやっていたでしょ。芝居も上手なんだ。それこそ『極道の妻たち』に出て欲しい。最高だと思うけどな。迫力あると思うよ。セリフしゃべらなくても、座ってるだけで(笑)。

(取材構成/ノンフィクションライター・中村計)

(ビートたけし)

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