没後20年・勝新太郎の「聞く力」と仁科亜季子の「剣呑孫ライフ」

没後20年・勝新太郎の「聞く力」と仁科亜季子の「剣呑孫ライフ」

(c)林朋彦/文藝春秋

?今週号の坪内祐三「文庫本を狙え!」は、勝新太郎の対談集『泥水のみのみ浮き沈み』(文春文庫)を取りあげている。これは92年から94年にかけて、勝新がホスト役でビートたけしや三國連太郎らと対談した月刊文藝春秋の不定期連載をまとめたもの。いわば勝新版「この人に会いたい」である。

■勝新の「聞く力」が炸裂する三國連太郎との対談

 この時期の勝新は、映画への強いこだわりから仕事を断りつづけていた頃である。思うように仕事ができず、苛立ちや鬱憤を抱えていたのだろう、ビートたけしとの対談では、「会うの楽しみにしてたよ。やっと会えたっていう感じなんだ。『生意気なこと言ってやんな』って思っていたから」とのっけから毒づく。

 坪内祐三は「特に面白いのは三國連太郎と森繁久彌だ」と述べる。三國連太郎との回については、ふたりが共演した映画「座頭市牢破り」の撮影時の逸話を紹介。勝新が三國連太郎の台本に様々な記号が書き込まれていたのを目にしたことを話す。すると三國連太郎はこう答える。「僕はね、凡庸役者の最たるものだから、いろいろ試行錯誤するわけですよ。つまり、あんたみたいに天才タイプじゃないのよ」。

 ここに三國連太郎の芸事や伝統芸能へのコンプレックスがうかがえる。三國連太郎の「最初の奥さん(勝新・談)」は「歌舞伎や日本舞踊の第一人者」(同)で、彼女との暮らしを対談ではこう語っている。

「やっぱり芸のある人と一緒にいると、息苦しくなるんだね。僕は自分が芸なしだから」

 またこうも言う。

「僕はあなたと違って、芝居や伝統芸とは全く縁のない世界で二十五、六まで生きてきたわけでしょう。つまりそうした素養がないから、自分の体験を通して記憶の中のあるものを辿りながら芝居を作っていったわけです」

 女性関係にも、俳優業にも、そのコンプレックスが三國連太郎のなかにある。それを引き出す勝新の「聞く力」であった。

■「完全なものは偶然にしか生まれない」

 その勝新、この6月が没後20年である。20年前の週刊文春には「私だけが聞いた『20年間の名文句』と勝新太郎“最期の病室”」(1997年7月3日号)と題して、市山隆一が語る秘話が載る。原田美枝子のマネージャーとして勝新と出会い、後に脚本家として一緒に仕事した人物によるものだ。

 そのひとつに明治座の舞台での話がある。死んだ女の赤ん坊を女の親元に届ける場面、勝は泣く赤子の声に後ろ髪引かれる思いを引きずりながら去っていく。その時、草鞋の紐が切れてしまう。すると勝はその草鞋を赤ん坊に見立て抱きかかえる。「その瞬間、草鞋はものの見事に赤ん坊になっていたんです」と感動した市山隆一、その思いを楽屋でメイクを落としている勝に伝えると、勝はこう語る。

「その感動を忘れるな。お前は今日、古典の原点を見たんだ。こうして偶然生まれた芸が積み重なり、歳月とともに磨かれて、古典として残ってゆく。完全なものは偶然にしか生まれない」

 三國連太郎がコンプレックスを抱いた世界の天才の、芸談である。

■仁科亜希子、そして中村玉緒

 話かわって、ワイド特集の「松方弘樹の偲ぶ会欠席 仁科亜季子の『火宅』」。松方弘樹の元妻・仁科亜季子だが、一緒に暮らしていた娘・仁科仁美が実業家と交際し子供が生まれたるも入籍は拒否され……、そんな剣呑な孫ライフを伝える。

 その仁科亜季子、葬儀と同様に、梅宮辰夫らの呼びかけで開かれた「偲ぶ会」にも姿をみせることはなかったと記事にある。

 おもえば松方弘樹との共演も多い山城新伍の死も同様であった。妻は女優、娘も女優で、女性関係の乱れから離婚。役者仲間の曽根晴美らの呼びかけも虚しく、葬儀にもお別れの会にも妻や娘は参列することはなかった。

 ただ違うのは、松方弘樹には最期までそばにいてくれる女性がいたことだ。山城新伍の場合、2008年には週刊文春に「『このまま消えてしまいたい』独占直撃!山城新伍『老人ホーム』最後の日々を語る」(2008年9月4日号)があるように、孤独な晩年であった。

 なお、『泥水のみのみ浮き沈み』には勝新と妻・中村玉緒の対談もあって、ふたりは和気あいあいと隠し子の話で盛り上がる。ここでの中村玉緒が本妻の子も隠し子も不公平があってはならないと語るくだりは、読ませるものがある。ぜひ、文庫を手にしてほしいところ。

(urbansea)

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