中島京子 「混迷の時代に読み直したい10冊」

中島京子 「混迷の時代に読み直したい10冊」

©鈴木七絵/文藝春秋

 なんだかいやな時代になってきたなと数年前から感じていて、今年に入ってそれも極まった気がしている。

 などというエッセイの始まりは、不景気だし、無責任でもあるが、困ったなあというのが実感だ。なんでもいいからテーマを立てて、文庫で10冊、と注文がきて、ぼんやり考えていたらこんなセレクションになってしまった。

『一九八四年』は、まあ、誰でも思いつくだろう。トランプ大統領が誕生して、「ポスト・トゥルース」がオックスフォード辞典のウェブページに記載されるまでになった。ネット上には山ほどの嘘ニュースが氾濫している。ひるがえって日本でも、なんだか妙な言葉の解釈が「閣議決定」されたりして、あららこれはオーウェルが書いた「ニュースピーク」だよと、どうしたって思わざるを得ない。「戦争は平和なり」とか「2+2=5」とか、毎日、この本の引用で現実を理解するような日々である。

 世界中が混乱してきて、20世紀に懲りたはずの戦争はなくならない。国連も思ったほど力を発揮できないし、結局人間はこの地球をダメにしてしまうのではないか。先日、友人と会っていて『幼年期の終わり』の話になった。彼らが来てくれないと、私たちは戦争と破壊を止められないのかもね。そして彼らが来てしまったら最後、私たちは――。

 しかしまあ、なんだって、こんなに息苦しい世の中になってきてしまったのか。もちろん、世界情勢もあるけれども、やはり身近な感覚としては、自然災害の多さがある。日本は島国で火山も多く、地震や、それが引き起こす津波と無縁ではいられない。台風や豪雨にも見舞われる。『崩れ』は72歳の著者が、山崩れの現場を見に行くルポルタージュだが、憑かれたように足を運ぶ姿を読んでいると、大崩れを起こして姿を変える自然への畏敬の念にとらわれる。

 震災文学として再読してしまうのは、『神の子どもたちはみな踊る』。さきごろ出た村上春樹の新作のモチーフの多くが、この短編集に見られる。でも、これらの短編の読後感は特別で、読んでいると余震を恐れて不安定だった日々を思い出す。そのとき灯ったはずの希望も。

『充たされざる者』は、変な話で、いまだになんだかよくわからない。ただ、誰もが充たされていなくて、ピアニストのライダーさえ町に来て演奏してくれれば事態は変わると思い詰めている。しかし、頼りのライダーの記憶はごちゃごちゃ。その奇妙さと混乱が、妙に胸に留まり、時代の混迷度とシンクロする。

 なぜいきなり『阿部一族』かというと、日本人のメンタリティが、ときに人をものすごく追い詰めることを書いた傑作だからだ。家臣の一人をなんとなく嫌いだからという理由で、主君が殉死の許可を出さない。という妙な話から始まるのだが、実話を基にしていてリアリティがある。いまも世の中を覆う、いじめの図式がここにあり、心をざわつかせる。

 やはり日本人の特徴と言えそうな、同調圧力のすさまじさを描いたのが『海と毒薬』だ。とはいえ、日本人に特有のメンタリティなんてあるのだろうか。同調圧力と組織での地位のために、捕虜の生体解剖を執刀する医師の問題は、ハンナ・アレントが指摘した「悪の凡庸さ」の問題のようにも思う。遠藤周作は神を持たない日本人の性向として描いたけれど。いずれにしても、同調圧力と長いものには大人しく巻かれようという空気の充満したいま、たいへんなことに手を染める前に、読んでおいたほうがいい。

 いまもう、あまり読まれないという意味では、遠藤作品とどっこいどっこいか、さらに読まれないかもしれないが、高橋和巳の『邪宗門』も、いまだからこそ読み直したいなあと思う長編だ。戦前、新興宗教の教団が、治安維持法の下で凄まじい弾圧に遭い、戦後復活するけれどもまた壊滅させられるという物語。深刻な題材のわりに、一気読み必至のストーリー展開で読まされてしまう。そして、それこそ、日本と日本人について、考えずにはいられなくなる。

 まったく所変わって、ブエノスアイレスの刑務所が舞台の『蜘蛛女のキス』は、同性愛者のモリーナが濃密に語る映画のシーンが印象的で忘れがたい。モリーナの話を聞くのは政治犯のバレンティンだ。混迷の時代にあって、もっとも聞き取られず、攻撃に晒されやすいマイノリティの声を、小説の中に聞きたいときに、モリーナを思い出す。いま、私たちは、モリーナとバレンティンの会話を聞かなければならないように思う。

 さてさて、いかなる時代にあっても、志ん生の落語を聞くのは精神衛生上よい。といっても、私の聞いているのはCDで、名人の高座を拝聴したことはないのだが。『なめくじ艦隊』は、志ん生の語り口をそのまま生かした半生記だ。貧乏長屋になめくじが艦隊をつくって這っていようとへっちゃら。酒が飲めると聞けば爆弾が降ってこようが飲んじゃう。ものごとを真剣に考えるのは大事だが、深刻になりすぎるのは不衛生だ。これを読んでいると下戸の私でもお酒が飲みたくなるし、世の中がどうなろうと、どうにかなるもんだと、気が大きくなってくる。

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中島京子さんが選んだ10冊

『一九八四年』 ジョージ・オーウェル ハヤカワepi文庫

『幼年期の終わり』 アーサー・C・クラーク 光文社古典新訳文庫

『崩れ』 幸田文 講談社文庫

『神の子どもたちはみな踊る』 村上春樹 新潮文庫

『充たされざる者』 カズオ・イシグロ ハヤカワepi文庫

『阿部一族 他二篇』 森鴎外 岩波文庫

『海と毒薬』 遠藤周作 新潮文庫

『邪宗門』 高橋和巳 河出文庫

『蜘蛛女のキス』 マヌエル・プイグ 集英社文庫

『なめくじ艦隊 志ん生半生記』 古今亭志ん生 ちくま文庫

本企画は実書店とコラボ中です。全国約四十店舗にて中島京子さん「作家の本棚」が展開されています。

(中島 京子)

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