【日本ハム】上田利治、森慎二……「あの頃」の思い出との別れ

【日本ハム】上田利治、森慎二……「あの頃」の思い出との別れ

©えのきどいちろう

■ピンぼけになってしまった「レジェンドシリーズ」

 今年の「レジェンドシリーズ」は1962年、球団創設初の日本一となった東映フライヤーズの復刻ユニホームだった。7月3日、東京ドームの始球式は東映のスラッガー張本勲氏と阪神のエース小山正明氏の対決という日本シリーズの再現であった。それは野球史へのリスペクトという点でも意義深かったし、日本ハム球団が(物販の権利関係も含め)初めて前身の東映フライヤーズにアプローチしたという点でも画期的だった。

 ただあらかじめ準備されていた「レジェンドシリーズ」はちょっとピンぼけになってしまった。上田利治氏が亡くなって、ファイターズの選手らは喪章をつけてプレーしたのだ。上田さんは阪急ブレーブスの名将のイメージがあるが、1995年からの5シーズン、ファイターズの指揮を執っている。本当なら東京時代のタテ縞ユニホームを着用して喪章をつけたかったところだ。まさか上田さんもゆかりのない東映のユニホームで追悼されるとは思わなかっただろう。

 一方、埼玉西武ライオンズは先月末、変則サウスポー永射保氏の訃報に驚いていたら、その直後、何と現・投手コーチの森慎二さんが急逝してしまった。3、4日の東京ドーム2連戦はお通夜と告別式の日にちに当たっていた。西武の選手らもレフトスタンドのファンも、主題は「森慎二に勝利を届ける」だった。日本ハム球団としては演出等、すごく頑張った「レジェンドシリーズ」だったが、完全に浮いてしまった。思い入れたっぷりな東映フライヤーズの映像が映し出されても、心のなかを素通りしてしまう。

■上田監督、森慎二との辛すぎる別れ

 そんなことより、球場にいる僕らは悲しいのだ。上田監督の思い出とさよならをする。森慎二の思い出とさよならをする。分かち難く自分自身とくっついてしまっている「あの頃」とさよならをする。たぶん多くの人がそのつもりで東京ドームへ来たんだと思う。ホームランがばんばん出て、表面的には盛り上がった試合だった。だけど、盛り上がりつつ、心の奥に悲しみがある。別においおい泣くわけじゃなく「秋山翔吾だけ蚊帳の外か」なんて軽口を言ってるのだ。言ってるのだが、心の底に沈んだ石みたいなものが取れない。

 もう会えないんだなと思うと呆然とする。僕はハム打線が手も足も出なかった森慎二さんの快速球を思う。足を高く上げる独特のフォームだ。ホントにひどい目に遭った。打者が皆、着払い(ミットにボールが収まってからバットを振る)だ。しかも、カッコいい。あの時代、西武の投手陣はデニー友利とかロン毛のイケメンが揃っていた。イケメンの球を打てないほど屈辱的なことはない。日ハムは引き立て役かよ。時期は違うけど、「トレンディエース」の西崎幸広まで最後は西武かよ。

 ただ森慎二は不器用な人だった。たまに滅茶苦茶な暴投を放るのだ。ランナーがいる場面では、(打てそうにないから)暴投してくれないかなぁとそれだけを願っていた。暴投や失投の後、何というかマジメな、苦しそうな顔をするのだ。そのイケメン投手はスイスイ世渡りするようなタイプとは程遠いのだった。つい好感を持ってしまう。敵ながら素晴らしい選手だった。こんな別れはつらすぎる。

 しかし、僕はハムファンとして上田利治氏の思い出を語るべきだろう。球団史のなかで90年代の上田ファイターズは意欲的なチャレンジだった。チームの言わばOSを変更したのだ。上田さんを始め、住友平さん、加藤秀司さん、中沢伸二さんといった阪急色の強いコーチ陣がハムの若手を一から鍛え上げた。見たことのない猛練習だった。

 僕は今でも鴨川の秋季キャンプで金子誠がしごかれてた姿を思い出す。もう日没近くてボールが見えないのだ。延々、打撃練習をやらされてフラフラだ。「どうした新人王!」と加藤秀司さんがダミ声を上げる。秋季キャンプは「壊してもいい」という方針だった。春までには治るからとことんやらせる。それを半ば本気で言っている。僕は阪急の野球は怖ろしいと感じ入ったものだ。

 上田ファイターズは90年代に2回、オールスターまで首位を独走して、夏場に逃げつぶれたことがある。猛練習の甲斐あってチームに地力がついた。岩本勉、キップ・グロス、金村暁、芝草宇宙、関根裕之、今関勝と投手陣を整備し、野手も上田佳範、井出竜也ら若手を抜擢し、一人前に育てた。上田ファイターズは後にヒルマン監督が北海道でトライしたことを先取りしていた。新しい選手をつくって新しい野球をやったのだ。

■「あの頃」の野球が過去になってしまう寂しさ

 目の前の(2017年の)一戦は中田翔の2ランで始まったものの、西武打線にポンスカ打たれあっさり逆転されていた。先発・高梨裕稔も決め手に欠けるが、キャッチャー・清水優心のリードも外の真っすぐ一辺倒で単調に思えた。それで1998年のキャッチャー・野口寿浩が言ってたことを思い出したのだ。

 野口も外角一辺倒のリードで、よく踏み込まれて痛打を浴びていた。98年は「ビッグバン打線」の年だ。チームは夏場、急失速した。上田監督が激怒したらしい。野口を呼び出し「なぜインコースを使わない?」と問いただす。上田さんはこうと決めたら絶対自分を曲げない。野口が「打たれますよ。本当にインコース投げさせていいんですか?」と言っても、「いいから投げさせろ」の一点張り。

 「やっぱり打たれましたね」と野口は言った。当時、ファイターズは夏場、都市対抗で東京ドームが使えなかった。「死のロード」があったのだ。日程に空きがあっても巨人が優先だ。夏場は選手がヘロヘロで、特に投手陣がバテていた。「ビッグバン打線」を上回る炎上ぶりで評判だった「ビッグバン投手陣」は一体、どういうニュアンスから出現したかを尋ねたとき、野口寿浩がこっそり教えてくれた話だ。

 これは両方わかるのだ。上田さんの言われるようにピッチャーは闘志だ。ごまかしたり逃げたりする投球は絶対に通用しない。僕は上田さんのそういう一途さが大好きだ。が、一方で野口の言わんとしたことも納得だ。闘志は大事だが、球威のないインコースの球は危険極まりない。夏バテでキレを欠くときはインコースは見せ球くらいにして、外角低めに投げておきたい。清水優心はあの夏のファイターズに負けないくらいポンスカ打たれていたが(そして好き放題、盗塁されてたが)必死にリードを勉強してほしい。若手が育たなかったらちょっと寂しいシーズンだ。

 あのとき真剣に見ていた野球が過去になる。あのとき悔しかった試合が過去になる。手を伸ばせばすぐそこにあって届きそうな「あの頃」が彼方に消えてしまう。それを重い石のように感じながら、あーあ、つまんないなと4対11の試合を見ていた。つまんないのは中村剛也に2ホームラン(文字通り「おかわり」!)を喫したからじゃない。もっとどうにもならないことだ。どうして僕らは大好きな人と別れなきゃならないんだろう。

 附記、3日のウイニングボールと中村剛也のホームランボールは翌4日、森慎二さんの告別式に届けられた。

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(えのきど いちろう)

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