松尾諭「拾われた男」 #25「英語の勉強をしていたらアメリカから一本の電話がかかってきた話」

松尾諭「拾われた男」 #25「英語の勉強をしていたらアメリカから一本の電話がかかってきた話」

WOWOW『アフロ田中』7月5日(金)深夜0時〜放送スタート田中の同僚で未だに中学生ノリな困った先輩・西田役。

 学力の水準がそう高くもない高校だったにも関わらず、二年の夏の時点の成績は留年一歩手前だったにも関わらず、進路相談では、堂々と大学進学を口にし、関関同立、あわよくば早慶上智を狙いたいと宣言した。担任は呆れて笑っていた。

 それと言うのも、何かにつけて嫌味ばかり言う兄の通う大学よりも上位の大学に行きたかった事と、兄もしたから一浪くらいしてもいいもんだと、勝手に解釈していた事、それと、友人の誘いで通い始めた近所の学習塾の英語講師の授業が驚くほどに分かりやすく「ちょっと頑張れば関関同立くらい余裕で受かる」と言う彼の言葉を真に受けたからであった。受験までの一年間、そこそこ頑張って勉強して、英語の成績はぐんと上がったが、英語と、もともと得意だった現代国語以外の科目はさっぱりで、やはり思惑通り浪人する事になった。

 浪人中は大阪市内の予備校に通いながら、週に二度、件の英語講師の塾に通った。彼は、堺市の鳳にある自分の塾に専念するため、近所の塾を辞めていたのだが、本気でいい大学に行きたかったら堺まで来い、と言う彼の口車に乗せられて、片道一時間以上かけて通った。堺は遠かったが彼の授業で、確かに英語の成績は上がった。それに彼の塾には、それまで見たこともない程の美少女がいた。

■剣道部で成績優秀の才色兼備

 その美少女、五木さんは、堺の名門高校の三年生で、それとなく小耳に挟んだ情報によると、剣道部に所属しており、成績優秀のみならず、文化祭でミスに選ばれたほどの才色兼備だった。彼女は授業が終わると一人電車に乗り、各駅停車に乗って帰路についた。もちろん彼女に声をかけるような勇気は持ち合わせておらず、かと言って後ろをつけ歩くと不審であろうと、いつも彼女の少し先を歩いて、電車を待つホームで、声をかけるか否かと葛藤しながら、本来乗るべき急行をやり過ごし、各駅停車の彼女の乗った隣の車両に座り、中吊り広告を見るふりをしながら彼女をちらちらと見た。思いがけず目が合うと身体が火照った。五木さんも顔を赤らめた。

 彼女の事が好きになり、ふた月後には話しかけ、半年後には二駅の間だけではあったが、同じ車両に乗って帰れるほどまでになった。彼女はいつも伏し目がちで、口数は多くはなかったが、ちょっとボケた事を言うと、控えめにツッコみを入れてくれた。彼女の、ツッコんだ後に頬を赤らめて恥ずかしそうに俯く様はとても愛くるしかった。

 夏の半ば、ガラガラの車両に揺られながら、勇気を出して彼女に気持ちを告げた。

「つきあってくれませんか?」

「ごめんなさい」

 気まずい空気が流れる間も無く、電車は五木さんの家の最寄駅に着き、彼女はもうひとつ「ごめんなさい」と言いながら電車を降りた。

■予備校で新たな恋に落ちるも……

 それから程なく予備校で新たな恋に落ちたので、左程苦い思いはしなかった。その新しい恋は、それまでの人生で一番の大恋愛だったが、結局は片想いのまま終わった。そんな浪人時代を過ごした割には、ほとんどの大学には落ちたものの、第一志望の大学の偏差値が飛び抜けて高い学部には合格した。なぜならその学部の受験科目には、苦手な社会と古典がなく、英語と現代国語だけだったから、わざわざ堺まで通った甲斐があったと言える。

 合格したその総合政策学部と呼ばれる学部は、その年から兵庫の山奥の僻地に新設された学部で、何を勉強するのかよく分からなかったが、留学生や帰国子女が多く、普段から英語が飛び交い、英語の授業はもちろん、一般教養の授業ですらも全て英語で行われた。大学は遊ぶところだと思っていたのに、遊ぶ暇も惜しんで勉強しなければ授業についていけなくなり、最初の半年は、何のために大学に入ったのか分からなくなるほどに勉強した。その頃には最早どうでもいい話だったが、同じゼミにいた女性が堺の出身で、話を聞くと五木さんと同じ高校でしかも仲が良かったと言い、しかも同じ塾に通う男に告白された話も知っていた。五木さんはその男のことを「怖かった」と言っていたそうだ。秋を迎える頃には、夏休みに覚えた遊びが忙しくなり、ほとんど授業に出なくなり、三年の春に中退した。三年間で取った単位は十八だった。

■上京して十三年、こつこつと仕事を……

「英語って勉強してます?」

 酒の席でAからそう尋ねられて思わずこう答えた

「最近してないなあ」

 上京して十三年。こつこつと仕事をし、こつこつと借金を返し、そろそろ完済という頃に子宝に恵まれ、また借金が増えたが、それでもアルバイトをせずになんとか生活できる程度に役者としての仕事がくるようになった。役者を志した頃から考えると驚くべき進歩ではあったが、まだまだ少なからず借金もあれば税金や公共料金も未だに滞納しがちな上に、家族が一人増えたのだからさらに借金が増え、もっと頑張らないと、とは思っても、頑張って仕事が増えるわけでもなく、とりあえずは、ひとつひとつの仕事を大事に全うする、などとうそぶきながらも特に何かを頑張る事なく、だらだらと時間を過ごしていた。

 そんなある日、Aという役者と酒を呑んだ。大阪出身で血液型も同じで、同じように厚かましい所があり、同じようにコツコツと仕事をしてきた役者である。彼とは会えば馬鹿話ばかりしているが、芝居に向き合う姿勢は真面目そのもので、しっかりと自分の考えを持っており、年はいくつか下だったが、尊敬のできる男だった。その夜はいつもの様に、ひとしきり馬鹿な話をした後に、とくにきっかけもなくAが切り出した。

「英語って勉強してます?」

「最近はしてないなあ」

 実際は二十年近くしていなかった。

「一番大事な事は、なんでもいいから続ける事やと思うで」

 話を聞くと、思い立ったらすぐに行動に出るAは、ふと思い立って英会話を始めたのだが、なかなか上達しないので、どうすればいいか、と言う相談だった。高卒の彼からすれば関西の有名私大に合格した実績を買ってその質問を投げかけてきたのだろうが、大学に入ってからはほとんど勉強らしい事をしていないので、もちろん英語が話せるわけでもないのだが、酒のせいもあって、とにかく単語を覚える事だとか、センテンスで覚えた方がいいだとかと、かつて通った塾の講師の言葉を受売りすると、彼は大いに感心して「なるほど」などと返してくるものだから、さらに調子に乗って英語学習についての講釈を偉そうにぶった。彼はそこで挙がる参考書や辞書の名前をメモしながら熱心に聞いてくれた。

「一番大事な事は、なんでもいいから続ける事やと思うで」

 どこかの偉い人が言っていたような言葉をもって講釈を締める頃には、酒もまわり、終電もとうに逃していたので、その夜は彼の部屋に泊めてもらった。

 部屋に差し込む陽の光に目が覚めると、頭痛がひどく体は重かった。時計を見ると7時前だったので、もう一度眠ろうかと思ったが、ぶつぶつと話す声が聞こえるので、そちらに目をやると、殺風景な部屋の隅でAが地べたに座り込み、背中を丸め、耳にはイヤホンをして、声を落として何か熱心に話をしているようだった。邪魔をしないように静かに体を起こして近寄り見て驚いた。彼はノートパソコンに映る東南アジア系の女性と、英語で話をしていた。彼の英語は流暢とまではいかなかったが、カタコトではなく、たどたどしくもしっかりと英語で会話をしていた。しばらく声を失いその様子を窺っていると、Aはそれに気づき、パソコンからイヤホンを抜き、おそらく「友人が泊まりに来ている」という風な事を言って彼女に紹介してくれた。

「ナイストゥミーチュー」

 と挨拶すると、彼女は笑って何かを答えてくれたが、なんと言ったかは全くわからなかった。わからなかったが、分かったふりをして笑っていると、Aがその後を継いで彼女と会話を続けた。恥ずかしかった。

■ノートに英語を書きながらぶつぶつ言う勉強法

 15分ほどして彼女との会話が終わり、あと三十分ほどで終わるから待っていてくれと言って、今度は参考書を取り出し、一人でブツブツと言いながらノートに英語で何やら熱心に書き綴っていた。そんな様子を呆然と眺めながら、昨晩たれた講釈を思い出して、二日酔いが飛んでいくほどに恥ずかしい思いになった。

 Aから話を聞いた。それによると、パソコン画面の向こうにいた女性はセブ島に住むフィリピン人で、Skypeを通じてオンラインで英会話のレッスンを受けていたのだそうだ。彼はその英会話と、ハリウッド映画にも出演するとある大物俳優から聞いたと言う、ノートに英語を書きながらぶつぶつ言う勉強法を何があっても毎日休む事なく続けて半年近く経つと言う。「なかなか上達しない」と彼は言ったが、継続は力なりとはよく言ったもので、ただただ感心するばかりだった。帰りに渋谷の書店で、彼に勧められた参考書を買い、オンライン英会話にも入会した。

 ちょうどその頃はある映画の撮影が終わったところで、さほど忙しくもなかったし、その映画のために監督から「あと十キロ太ってください」とあっさりと言われて、痩せるのは簡単だけど太るのは思った以上に過酷で、どうすれば容易に太ることができるのかと考えあぐねた結果、タバコを止めると太ると聞いて、思い切って長年付き合ってきたタバコをやめてみたら、あっと言うまに十キロ太る事ができ、その上、タバコを吸う時間、タバコを吸う場所を探す時間、タバコの事を考える時間がなくなったものだから、一日の時間が大幅に増えてしまい、端的に言えば時間を持て余していた。おかげで毎日休むことなく英語の勉強ができた。ちなみにその映画は全米公開する事が決まっており、ひょっとするとアメリカで舞台挨拶ができるのではないかという淡い期待もあった。

■そんな矢先、ハリウッド映画のオーディションに

 そんな矢先に、計ったように事務所からかかってきた電話は、ハリウッド映画のオーディションの話だった。その作品は規模の小さいインディペンデント映画だったが、ハリウッド映画と言う響きだけでも高揚したし、英語の勉強を始めてすぐに話が来たことに、運命のようなものを感じて、さらにペースを上げて勉強した。

 オーディション当日。アメリカ人監督との質疑応答は、彼が話す英語はほとんど理解できず、なんとなく言いたいことは分かったような気がしても、それに対して英語でどう答えていいものかと考えている余地もなく「Ah」とか「Uh」などと表情豊かに発していると、監督の隣に座っていた日本人スタッフが見兼ねて通訳してくれた。結局オーディションは日本語で行われ、最後に気の良さそうな監督がニコニコと

「アリガトウゴザイマシタ」

 と言うのに

「You're welcome.」

 と返すのが精一杯だった。

 情けないやら恥ずかしいやら悔しいやらで、思い出しては歯噛みする数日間だったが、驚いたことにオーディションに合格した。とは言っても、決まった役は台詞もなく、ただ郵便ポストに郵便物を投函するだけの役だった。それでもハリウッド映画の現場に立てるだけでもありがたい事だと気持ちを入れ替えて、そこで交わされる可能性のある英語の例文を作成し、それを暗記して撮影に備えた。

■「とりあえずやってみてください」

 撮影は練馬のひっそりとしたアパートで行われ、主演女優をはじめ、スタッフの大半が英語が堪能な日本人だった。撮影は粛々と始まり、監督からの指示は特になく、助監督から日本語で「とりあえずやってみてください」と言われ、とりあえず郵便ポストにいくつか郵便物を入れて去っていった。カットの声がかかると、監督は声を出して笑った。

「OK. Very good!」

 何が面白かったのかも、何がvery goodだったのかも全く分からないままに、撮影はあっという間に終わった。監督が笑顔で手を差し出して

「アリガトウゴザイマシタ」

 と言うのに

「My pleasure.」

 と手を握り返して答えた。

 英語の勉強の成果を発揮する事はできなかったが、お陰で毎日休まずに勉強を続ける動機にはなった。もしかしたらと期待していた、十キロ太って臨んだ映画の全米公開の舞台挨拶にも呼ばれる事はなかったが、いつかは役に立つ時が来るだろうと、めげずに勉強を続け、Aがハリウッドの大作映画への出演が決まった事を聞いて、さらに根気よく続けた。そんなある日、事務所に一本の国際電話がかかってきた。なんの前触れもなくかかってきたその電話は、二十年近く音信不通だった兄がアメリカで倒れたと言う報せだったと言うのはまた別のお話で。

つづく

(松尾 諭)

関連記事(外部サイト)