芥川賞受賞・沼田真佑インタビュー(前編)「浮かない顔の理由」

芥川賞受賞・沼田真佑インタビュー(前編)「浮かない顔の理由」

©文藝春秋

 澄んだ文体を持ち、行間にまでたっぷり読みどころが含まれているのが、沼田真佑さんの小説『影裏(えいり)』。岩手に住む会社員の男性が、釣りを通して同僚と交流を深めていくも、東日本大震災をきっかけにふたりの関係が変質していく。表面上は淡々と話が進むものの、一皮剥けば激情が揺らめく気配を感じる同作が、このたび芥川賞を射止めた。

 作品同様、静かな佇まいを見せる沼田真佑さんに、受賞のこと、小説のこと、来し方行く末を聞いた。

(聞き手・構成 山内宏泰)

■あまり温かくしていただくと、生殺しに遭っているようでつらい

 悩み多き人、である。

 7月19日に発表された第157回芥川賞を、『影裏』で受賞した。受賞作決定後ただちに開かれる記者会見が、受賞者の最初の務めとなる。

 喜びを爆発させたり、感動に浸ってもおかしくない場のはずだが、壇上へ進む沼田真佑さんは終始うつむき加減で、表情も硬い。

 そのまま撮影セッションに入り、無数のカメラからフラッシュライトを浴びせられる。こちらを向いてください。今度はこっちも。求めに応じて体勢を変える隙に、沼田さんはこっそりと、大きくひとつ息を吐いた。「なんで自分がこんな目に……」と言いたげにも見えた。

 ひょっとして、受賞に対して何か思うところがある? 翌日、話を聞く機会を得て訊ねると、

「いえ、まさかそんなことはありません。会見で『今の気持ちを』と問われてひとこと『光栄です』とお答えしたのが、本心です。うれしいですし、虚栄心も大いにくすぐられています。ただ、みなさんに迎え入れていただいている状況というのが、どうにも落ち着かないといいますか……。子どものころから、どちらかといえばアウェイに強い性質なんです。全員に嫌われているような立場のほうが、破れかぶれになって楽にふるまえる。これだけ温かくしていただくと、かえって生殺しに遭っているようで」

 それに、と浮かない表情の理由を、もうひとつ挙げてくれた。

「受賞するなんて本当に予想外で、今もまだひたすら戸惑っているというのが本当のところです。自分ではSNSをしないんですが、そういうのに詳しい人から選考前に聞いたところでは、下馬評は低そうだとのことでした。それに自分の候補作を考えても、受賞するにはちょっと短かすぎるんじゃないか、文章が思わせぶりに過ぎるんじゃないか、そもそも芥川賞にはあまり合わないタイプの小説じゃないか……。いくらでも『受賞できない理由』は思いついたので、そんなものが受賞することはないだろうと信じ切っていました」

 沼田さんは岩手県在住なので、発表の日に合わせて上京していたが、受賞はないと踏んで、翌日は家族とうなぎを食べに行ったりと目いっぱい予定を入れていたくらいである。

 荷物の中には、人前に出るような晴れ着の用意もなかった。

「普段着しか持ってきていなくて、会見のときに羽織っていたのも、風呂上がりに汗が引いたあとで着るようなシャツです。ホテルでアイロンを借りて、シワを伸ばしている程度です」

 さらにもうひとつ。小説家としては引け目も感じていたという。

「『影裏』はデビュー作です。まだひとつしか小説を出していないのに、こんな賞をいただいていいのかという気持ちも強い。この先も書き続けられるのか? という疑問が選考の場で出たと聞いていますが、そう言われるのも当然だと思いますし、自分でもそこは不安に感じたりします」

 会見の際には、そのあたりの心境を、

「ジーパンを1本しか持っていないのに、ベストジーニスト賞をいただいてしまったような気分」

 と表現した。笑いを誘う巧みな比喩ゆえ、前もって用意していた答えかと思いきや、まったくそんなことはない。痛感していた気持ちを、素直に口にしただけだったという。

■少しでも知っているものを総動員しようと、川釣りをテーマにした

 そう、沼田さんは今年4月、『影裏』で文學界新人賞を受賞したばかり。同作が引き続き、芥川賞にもノミネートされたかたちだ。

「新人賞をいただいたときは素直にうれしくて、最高の気分を味わえました」

 とのこと。しかし、歓喜は長く続かなかった。

「そのあとすぐに憂鬱になって、その気分がずっと続いています。素人として文章を書いているぶんにはすごく気楽だったんですけど、受賞してデビューすると書くことが仕事になってしまうわけで、単純に楽しんでいられなくなってしまったんです。

 いえ、何も作品の評判や批評が怖いというわけではないですよ。それよりも、自分がどうしても構えて書いてしまうことに、不自由さを感じてしまう。一作しか書いていないのに、それが賞を得たものですから、その作品に縛られてしまうんです。あれがウケたのだから、今度もこうしたほうがいいかななどと、自己模倣するようになってしまって。自己模倣は本人が真っ先に気づきますから、それがまた恥ずかしくてしかたない。そんなふうに悶々として、この3ヶ月を過ごしてきました。

 次作を書こうともがくのですが、蟻地獄に落ちたような深みにはまっていくばかり。ああ、もう一生書けないのかなと、何度も思いました」

 なるほど、プロのもの書きになったがゆえの葛藤を、すでに数ヶ月にわたって味わっていたわけだ。

 が、ここで気づく。自己模倣を恐れたり次を書きあぐねるのは、受賞作『影裏』が小説として、完成度の高い大きな到達点だったからではないか。

「そうですね、なんとか最後まで書き上げた小説はいくつもありますが、今回はわりと自然に書けたという実感がありました。楽にすらすら書けたというのではないんですが、誰か他の人の作品や文体を気にしたりすることなく、無心に書き進めることができたんですね。作品の出来栄えとして、これまでとは違うだろうとは、自分でも思っていました」

『影裏』は、会社の同僚にあたる2人の男性が、川釣りに勤しむ場面で幕を開ける。糸を垂らすのは生出川で、これは岩手県に実在する。

「うちの近所でして、しょっちゅう足を運んでいるところです。ひまなときふらりと行くような場所ですね。釣りは好きですが、とはいえ1年に5、6回行くかどうかといった程度です。園児から小学生時代に、父親にフナやコイ釣りを仕込まれたのが最初です。渓流釣りをかじり始めたのは、2012年に岩手に来てからですね」

 作中、主人公の今野は会社で時を過ごしたりもするが、読後に強い印象を残すのは、何といっても釣りのシーン。なぜ川釣りを作品の中心に据えたのか。

「日ごろ幅広い人との付き合いもなく、ずいぶん狭い世界で生きています。いざものを書くときには、ちょっとでも詳しいものは総動員させてネタに使わないといけなくなります。せめて知っているものを使って書こうと、地元の川や釣りを使ったというところです」

 読んでいると、酒を飲むシーンも散見されて、話の展開のいいアクセントになっている。岩手は酒どころでもあることだし、沼田さん自身、かなりイケる口なのでは?

「ええ、飲みますよ。日本酒やワインといった醸造酒の類が好みです。アルコール度数も中くらいなのがいいんですよね。ビールじゃ軽すぎるし、ウイスキーでは重すぎる。何事も中くらいが好きなんです」

 ちなみに芥川賞を受賞した夜は、かなり深酒をした?

「ハイボールなどの炭酸系とワインとを合わせて5杯ほどだったと記憶しています。夜中の2〜3時くらいでお開きになったみたいですね。あまり記憶がないんですが」

(山内 宏泰)

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