ハフとマクガフがいなかったら、今年のヤクルトは一体どうなっていただろう

ハフとマクガフがいなかったら、今年のヤクルトは一体どうなっていただろう

90試合消化時点で47試合に登板しているハフ

■もしも、ハフとマクガフがいなかったら……

 それにしても、ハフとマクガフがいなかったら、今年のヤクルトは一体、どうなっていたことだろう? 現在、二ケタ台の借金にあえぎ続けるヤクルトだが、たとえ16連敗を喫しようとも、「他球団も団子状態だ。まだCSを狙える位置にいるぞ!」と、半ば妄信的な希望という名の願望を持つことができているのは、中継ぎ投手陣の懸命な奮闘のおかげである。

 その中でも、特に2年目のハフと今季からスワローズの一員となったマクガフには頭が上がらないし、足を向けて寝ることができない。冒頭に掲げた「ハフとマクガフがいなかったら?」と考えるだけで恐ろしい。だから、あまり考えないようにしているのだけれど、ついつい「ハフさん、マクガフさん、くれぐれもご自愛ください」と祈る気持ちを止めることができないでいる。

 何しろ、7月24日、91試合消化時点でハフの登板は47試合、一方のマクガフは46試合。開幕当初、両者は主に勝ちパターンでの「勝利の方程式」に登場していたものの、5月中旬からの泥沼の連敗以降は、少々のビハインドの場面でも登場することが多くなってきた。守護神・石山泰稚の離脱以降、マクガフがクローザーを務めることにもなった。ハフとマクガフの獅子奮迅の活躍に、いくら感謝してもし足りない。そんな日々が続いている。

 古い話で恐縮だけれど、ヤクルトにおける「助っ人投手陣の系譜」を振り返ってみると、あまりいい思い出がない。僕の頭に真っ先に浮かぶのが、1989(平成元)年に在籍していたホアン・アイケルバーガー。クローザーとして期待されながら、開幕第2戦目の巨人戦でのサヨナラ暴投は80年代低迷期の象徴的な出来事として、今も脳裏に焼き付いている。彼はその後も満足な投球を披露することなく、早くも5月には解雇された。

 アイケルバーガーに代わって入団したのがロン・デービスだった。彼もまたピリッとしないまま、この年限りで自由契約となった。蛇足ではあるけれど、彼の背番号は、まさかの《27》。ヤクルトにおける「正捕手の正統番号」をつけた唯一の投手であり、この翌年から背番号《27》を背負うのが、かの古田敦也なのである。

 また、この時期に在籍していた助っ人投手が郭建成だった。それまで、中日の郭源治、西武の郭泰源と、「台湾出身の郭」と言えば、超優良助っ人ばかりだったので、僕は大いに期待したものだが、まったく結果を残せず、0勝のまま3年で故郷に帰ることになる。またまた蛇足だけれど、その後、郭建成は台湾球界で野球賭博にかかわり、実刑判決を受けることになる。

 アイケルバーガー、ロン・デービス、郭建成以外にも、「残念助っ人投手」はまだまだいる。「中日の小松崎善久と乱闘した男」、ティム・バートサス(91年)、シーズン途中に解雇されたフロイド・バニスター(90年)、「呂明賜に初ホームランを打たれた男」としてしか記憶されていないボブ・ギブソン(88年)、独特なフォームでフォアボールを連発するアンディ・ビーン(85年)など、ヤクルトにはろくな投手がいなかった。

 それからかなりの時間が経ち、チームの優勝に貢献したテリー・ブロス(95〜97年)や、ケビン・ホッジス(01〜03年)、「ブラピに似ている」と話題になったジェイソン・ハッカミー(99〜00年)、最多勝を獲得したセス・グライシンガー(07年)、先日のドリームゲームにも登場した林昌勇(08〜12年)らが登場するまでは、「ヤクルトの助っ人投手」というのは、パッとしない顔ぶればかりだったのだ。

■ハフとマクガフで思い出した、べバリンのこと

 思い出話が長くなってしまうけれど、記憶に新しい15年のリーグ制覇では、「ROB」と称された「ロマン、オンドルセク、バーネット」の3人の助っ人投手の功績はとても大きかった。そして、今年のハフ、そしてマクガフも「超優良助っ人投手」として、「ヤクルト史」に長く刻まれることだろう。ダメダメばかりが続いたかつてとは違い、近年のヤクルト助っ人投手陣は、かなり優秀なのだ。

 さて、僕が気がかりなのが登板過多による、故障やコンディション不良である。今年のオールスターゲームにマクガフが選出されたと知ったとき、ついつい、「名誉なことかもしれないけど、休ませてあげたい」と老婆心ながら心配したものである。身を削るように投げ続けているハフとマクガフの姿を見ていると、僕はついつい「ある助っ人投手」のことを思い出す。

 ジェイソン・ベバリン――。03年から04年までヤクルトに在籍し、ヤクルト退団後には1年間のブランクを経て、06年に横浜に在籍した助っ人投手だ。「助っ人投手と故障」という問題を考えたときに、真っ先に僕の頭に浮かぶのがベバリンなのだ。

 一昨年、僕は伊藤智仁・現楽天投手コーチの半生を描いた『幸運な男 伊藤智仁〜悲運のエースの幸福な人生』(インプレス)という本を出版した。その際に、彼のリハビリメニューを作成した谷川哲也氏に、当時の思い出話を聞いた。その中で話題に上ったのがベバリンだった。このとき、谷川氏は興味深いエピソードを教えてくれた。それは、谷川氏が横浜のコンディショニングコーチを務めていた06年のことだった。

 当時、横浜の監督を務めていたのが、自身も故障に苦しんだ牛島和彦だった。このとき、牛島とベバリンはしばしば意見の対立を見たという。

「この当時、ベバリンは右ひじを故障していました。その頃、彼は私に言いました。“監督がオレのことを使ってくれないんだ”と。当時の牛島監督は、彼のことを考えて起用を控えていたんです。そして、故障の少ない投球フォームに変えるように指示を出していました。だから、監督の意図を僕が説明しました。でも、ベバリンは納得しませんでした……」

 それは、自らも投手出身であり、故障に苦しんだ経験を持つ牛島なりの恩情だった。

■日本で大金稼いで一生、遊んで暮らせ!

 どうして、このときベバリンは不満を持ったのか? それは、彼が「外国人助っ人」だからである。大金を稼ぐべく、はるばる日本にやってきた外国人選手にとって、一年一年が、いや一試合一試合が勝負であり、故障を怖がっていては金を稼ぐことも、「ジャパニーズドリーム」をつかむこともできないからである。谷川氏は続ける。

「ベバリンは“オレは故障すること、メスを入れることも厭わない”と言い、“自分の身体を切り売りして、オレは仕事をしているんだ”とも話していました。それを聞いて、私も考えてしまいました。監督も、スタッフも、“今後の人生のことも考えて、なるべくケガをさせないように”と考えて慎重になるけれども、プロ野球選手として活躍できる時間が限られている以上、“故障してもいいから、成績を残したい”という考えもまた、プロとしてはアリなのではないか……」

 数年前に聞いた、このやり取りが最近になって、しばしば脳裏をよぎるようになった。それは、毎日のようにハフとマクガフによる粉骨砕身のピッチングを目の当たりにしているからである。「このままでは故障するのではないか?」「できれば、もう少し休ませてあげたい」という思いが、僕にはある。けれども、それはハフやマクガフにとっては余計なお世話なのかもしれない。「細く長く」ではなく、「太く短く」生きる選択肢も当然ある。一体、どちらが幸せなのか?

 もちろん、このままケガもせずにこれまでのようにどんどん投げ続け、結果を残してくれるに越したことはない。必ずしも、「細く長く」か、「太く短く」かの二者択一ではなく、「太く長く」という生き方も可能なのかもしれない。ハフとマクガフがどんな思いで、日々のマウンドに上がっているのかはわからない。おそらく、「オレは与えられた仕事を全力でこなすだけさ」というアメリカンヒーローのような思いを、その胸に抱いていることだろう。どうか、このままハフもマクガフも、体調万全のまま、本来の実力を発揮し続けられますように。そんな、虫のいい願いを僕は抱いている。

 今日も、ハフはマウンドに上がる。マクガフは相手打線と対峙する。その姿を見るたびに、僕はベバリンのことを思い出すかもしれない。最下位に沈むチームのために、彼らは今日も投げ続ける。背番号《45》の左腕、背番号《37》の右腕。身を削るように投げ続ける両外国人投手の雄姿を、僕は見守り続ける。どんどん投げ続けながらもきちんと結果を残して、一生、生活に困らないような大金を稼いでほしい。祖国に大豪邸を立てて、大勢の孫たちに囲まれながら牧場でも経営して、「日本は第二の故郷だよ」と笑顔で振り返るその日まで。頑張れ、ハフ! 頑張れ、マクガフ!

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(長谷川 晶一)

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