女流棋士第一号・蛸島彰子女流六段が語る「奨励会でたった一人の女性だった青春時代」

女流棋士第一号・蛸島彰子女流六段が語る「奨励会でたった一人の女性だった青春時代」

女性棋士の第一号だった蛸島彰子女流六段

 将棋は男性が指すもの。女が将棋をやっても絶対に強くはなれない。そんな意見がまかり通っていた時代、少年たちに混ざり、将棋盤に向かい続けた少女がいた。

 女流棋士の第一人者であり、昨年、最年長勝利などの記録を残して、惜しまれつつ現役を引退した蛸島彰子女流六段である。

 道なき道を歩き続け、女流棋士として研鑽を積みつつ、将棋の普及活動にも力を尽くしてきた。将棋界という完全な男性社会の中で、何を思い、何を目指したのか。「女性初」の道のりを尋ねた。(全2回の1回目/ #2 へ続く)

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■「女はバカだから将棋をやっても強くなれない」

 私が子どもだった頃は、将棋を指す女の子なんて、まずいなくて、何々県にひとりいるらしい、と噂になるような、そんな時代でした(笑)。

 私が将棋道場で指していますと、偉い先生がやってきて「女はバカだから将棋をやっても強くなれない。だから、早く違うところに行きなさい」って真剣に言われたり。そんな感じでした(笑)。将棋は男がやるもの、将棋界は男の世界という感覚が徹底していたんです。

 父が将棋ファンで、父から教えてもらったのですが、最初は山崩し、回り将棋といった遊びから入って、本将棋へ。私は小学5年生でした。

 父の機嫌がいいと外食に連れていってくれるのですが、ある日、お店に入る前に将棋道場に立ち寄り、父が一局指し終わるのを待っていたら、道場に来ていた金易二郎先生(名誉九段)が「動かし方を知っているの?」と優しく声をかけて下さり、一局、指して下さったんです。六枚落ちでした。お相撲で言えば、手も足も使わないからかかってきなさい、というぐらいのハンディを頂いたわけです。

 勝敗は忘れてしまいましたが、金先生が「とても筋がいいから、将棋連盟の(奨励会)初等科に入ってみてはどうか」と褒めて下さった。父は舞い上がるし、私もとても嬉しかった。それで初等科に入りました。

■習い事として将棋を指した初等科の日々

 当時は、誰でも初等科には簡単に入ることができました。遊びの習い事みたいな感じです。東中野にあって、お相撲さんのおうちを借りていたんですよね。千駄ヶ谷に将棋会館ができる前でした。

 一番下のクラスに入りましたが、女の子がひとりいて、対局したら負けまして、その子が30級だったので、じゃあ私は35級にしましょう、と。なんというか、おおざっぱでした(笑)。

 初等科は月に1回、第2日曜日に行って勉強するんですが、家ではもっぱら父と対局していました。父は三段の免状を持っていましたが、実際は(アマチュアの)初段ぐらい。父は私を強くしたくて、熱心でしたし、厳しかったです。

 初等科の上に奨励会があり、その上にプロの世界があります。男の子たちは奨励会入り、プロ入りを目指して初等科で勉強しているのですが、私は、月に一度、習い事として将棋を指しに行くという感じでプロになるんだ、という気持ちはありませんでした。

 初等科でも女の子は途中から私ひとりになっていました。順調に昇級して、中学3年生で7級に。初等科に通う子どもの人数が減ってしまったこともあり、将棋を続けるなら奨励会に入ってはどうかと将棋連盟の先生方に勧められました。

■「困難に打ち克つ力を」と願った父

 高校入学と同時に奨励会に入ったのですが、初等科と奨励会ではまったく雰囲気が違います。奨励会はプロの卵を育てる組織。全国から将棋の天才少年が集まり、四段(プロ入り)になるための狭き門を目指して一心不乱に勉強する研修機関です。

 女性が奨励会に入った例はそれまでになく、私が女性としては第一号でした。

 普通、奨励会は6級からなんですけれど、私は7級でスタートしました。4日と19日の月に2回が奨励会の対局日で、その日は学校を休んで将棋連盟に行きます。なんでも、「四苦八苦しなさい」という意味で、4と19なのだと聞かされました(笑)。

 実は私の父は大変に病弱で、私の中学生時代はずっと入院していまして、また、母はすでに私が2歳の頃、他界していました。

 ですから、父は常に「自分に何かあったら」と考えていたらしいんですね。私に将棋を勧めたのも、勝負の世界の厳しさを体験していれば、私が強く生きていけるのではないかと思ったからなんだそうです。人生の困難に打ち克つ精神力を勝負の中で身に着けて欲しいと期待したからだと。ある日、そう打ち明けられて、胸打たれました。ですから、私も奨励会に入ったのは、プロになるため、といった意識ではなく、ただただ強くなりたいと思ってのことでした。

■女ひとりきり、おだてられたり敬遠されたり

 将棋界は完全な男性社会でしたが、当時から将棋連盟の先生方の間には、女性にも将棋に親しんでほしい、女性の将棋ファンを増やしたいという思いがあった。だから、奨励会に女子として初めて入り、男子に交じって将棋を指す私のことを何かと気にかけて下さった。とにかく女の子がめずらしいものですから、それこそ「天才少女」なんて記事でおだてて下さったり(笑)。

 その一方で、奨励会の男の子たちは、やっぱり女の子に負けると男の子に負ける以上に悔しいし、嫌なんですよね。絶対に女には負けられない、女に負けるなんて恥だ、と思っている。ずっと後で知ったんですが、私に負けたら丸坊主になる、罰金を払う、というルールを男の子たちは作っていたんだそうです。森けい二九段も、私に負けて坊主になって気を引きしめたそうです。

 とにかく、女はひとりきり。塾生部屋という部屋があるんですけれど、男の子たちはそこに集まってそれこそ徹夜で研究したり、勉強する。でも、なかなかそういう部屋には、足を踏み込めませんでしたね。

■黒星の連続……。相当、暗い青春でした(笑)

 奨励会に入ってからは、勝ったり負けたりで、最初はそれほど負け続けることもありませんでした。昇級するには、6連勝か9勝3敗の成績を取らないといけません。私は5級まで規定通り昇級できたのですが、5級からなかなか昇級できなくなりました。

 そうしましたら、理事の先生方が、私はたったひとりの女の子だから、男の子と同じ条件では昇級が難しい。指し分け(5勝5敗)でも昇級できるように、私だけ規定を緩くしてあげよう、と言い出したんですね。私は「やりにくくなるから、今までどおりの条件にしてください」と抗議したんですけれど、「そんなことを言う前に、あなたはただ強くなることだけ考えなさい。それ以外は考えないでいい」と言われてしまって。

 それだと実力よりも先に級が上がってしまう。やっと5級の力がついたなと思うと、4級に上がるわけです。すると昇級した直後は、ずっと勝てなくて黒星が続く。ようやく指し分けになるとまた昇級、黒星の連続……。気持ちが落ち込みました。

 1級までは、それでもなんとか指し分けで順調に昇級していったんですね。高校3年生までに。ところが、そこでピタッと止まってしまった。高校卒業するまでに初段になれればと思っていましたが、なれませんでした。とにかく初段にまではなりたかったんです。でも、1年経っても、2年経ってもなれなかった。

 多分、奨励会始まって以来の連敗記録を作ったと思います。自分がとても情けなくて、毎日、落ち込んでいました。「そんなに自分を卑下するものじゃありませんよ」って人に注意されるくらい、いじけていた。相当、暗い青春でした(笑)。

■反省がすんだら、負けたことを忘れる

 もう、辞めてしまいたいと思った時もありました。

 でも、どんなに負けが続いても、父だけは私を「女には無理だ」と否定することなく、ずっと応援し続けてくれていました。私が奨励会に入った時、「練習百連敗」という言葉を送ってくれまして。いくら負けたっていい、負けることで強くなれるんだ、という父の言葉は、大変励みになりました。

 それと、何かの本で読んだのか、人様からのアドバイスだったか、忘れてしまったのですが、「負けたら反省する。それがすんだら、負けたという事実を忘れる」という言葉に触れて、気持ちが吹っ切れた。今でもこの考え方は大事にしています。

 結局、1級から初段になるまで3年かかりました。20歳でやっと初段になり、奨励会を退会したんです。結婚して、勝負の世界からは離れ、その後は将棋教室の助手をしたり、大会のお手伝いをしたり、NHKの読み上げの仕事をしたり。レッスンプロのような感じで将棋の普及活動に関わりながら、のんびりと将棋を楽しんでいました。

■たった6人でスタートした女流棋士制度

 ところが、しばらくしましたら、アマチュアの大会でかなり好成績を上げる女性の強豪が数人現れまして、とても話題になった。

 将棋連盟は普及のためにも、女性のプロ棋士を輩出したいと思っていたわけですが、やはり男子と混じって、奨励会を勝ち上がり、四段(プロ入り)になるというのは、遠く険しい道のりです。

 スポーツの世界でも男女は同じ土俵では戦わず、女性は女性、男性は男性で戦っているのだから、それと同じように、将棋界も女性は男性と完全に分けてプロ制度を作ったほうがいいのではないか、という議論が起こりました。

 その結果、将棋連盟は、私を含む6名を女流プロとして認定し、1974年に女流棋士制度をスタートさせたんです。それに合わせて女流名人戦というタイトル戦も立ち上げることになり、6名で女流名人の座を争いました。将棋界初の女流棋戦でした。

 たった6名でスタートしたわけですが、それから45年経ちまして、現在、女流棋士は60名を超えています。女流棋戦も増えました。

 その土台づくりに貢献できたことは、嬉しく思っています。

写真=深野未季/文藝春秋

私はそう遠くない将来に男性と同じ条件で「女性棋士」が誕生すると思っています へ続く

(石井 妙子)

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