岡崎慎司と話したあのこと……内田篤人が振り返る「W杯メンバー落ち」の真実

岡崎慎司と話したあのこと……内田篤人が振り返る「W杯メンバー落ち」の真実

W杯ブラジル大会から内田がロシア大会を目指した苦痛と希望の日々 ©JMPA

 2018年、長らく拠点としていたドイツから帰国し、古巣・鹿島アントラーズに復帰した内田篤人。2014年のW杯ブラジル大会では本田圭佑、長友佑都、香川真司らとともにチームを牽引したがグループステージで敗退。その悔しさを糧に、2018年のW杯ロシア大会を目指したが叶うことはなかった。

 内田に特別な思いを抱いた岡崎慎司。ロシア大会直前、ともに負傷を抱えた状態でメンバー入りを狙う中、内田もまた岡崎には素直な一面を見せていた。

 今年3月に上梓した「 内田篤人 悲痛と希望の3144日 」では、内田が初めてドイツに渡った2010年から8年半の選手人生を赤裸々に明かしている。二人のやりとりを含めた、一部を紹介する。

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■W杯直前のメンバー落ち

 メンバー発表からさかのぼること2週間ほどの5月上旬、岡崎慎司は内田に電話を入れた。欧州組の数名で作ったグループでのメッセージのやりとりではなく、一対一で話をする必要があると岡崎は考え、直接話すことにしたのだった。

 4月、日本代表監督に就任した西野がレスターを訪れ、面談を行ったからだった。岡崎はハリルホジッチ時代終盤、徐々に代表メンバーから漏れるようになっており、3月までの時点では本大会メンバー入りは厳しいだろうというのが自他共に予測するところだった。だが、西野は違った。就任直後にレスターまで足を運び、怪我の状況を聞き、常に視野に入っていることを岡崎に伝えた。たとえ岡崎がどんなに鈍くても、W杯メンバー入りが確実に近づいたことが分かった。諦めかけていたロシア行きが現実のものになる可能性が出てきたわけだ。

 岡崎は、内田にそのことを伝えなくてはいけないと思った。内田とは、岡崎が1学年上ではあるが、08年の北京・オリンピックから共に戦う同世代だ。10年南アフリカW杯では共に直前にスタメンから外された。腐りかける中、当時は配信などはなくDVDで恋愛モノや青春モノなど、現実を忘れられるドラマを一緒に見た。そうして代表合宿中などを過ごす中で、岡崎にとって内田は特別な存在になっていた。怪我をしていることはもちろん知っているが、共にロシアへと思っていた。

「ウッチーの状況は厳しそうだけど、自分には西野さんから声がかかっていることを隠しておきたくないと思って」

■「岡崎の足首もっと悪くなれ!」と思わず言った日

 岡崎は直接話すことに意味があると思った。

「『岡崎も怪我してんじゃん』とか、『W杯応援しない』とか、いろいろ言ってましたけどね。ウッチーのW杯を目指す思いも知っていました。ベルリンから出る時は、本当に悔しかったんじゃないかと思います。だからこそ、なんか隠しておけなかったんですよ」

 内田も笑いながら思い出す。

「そうそう、『岡崎の足首もっと悪くなれ!』とかオレも言っちゃってね。でも、オカちゃんは西野さんが訪ねて来たからって絶対選ばれるわけじゃないから……とも言っていたかな。結局、治療しかできないんだけど、治療に専念するのか、それとも試合でのアピールも考えなきゃいけないのか、ちょっと迷ってるようだったよ」

■思わぬ先輩からの言葉で受け入れられた「代表落ち」

 結局、内田は5月中旬の時点で負傷も抱えて試合ができない状態だったため、W杯に行けないという事態を受け入れるのは、じつは難しくなかった。

「クラブハウスの中でさ、メンバーに入る入らないってあたふたやってるじゃん。そしたらソガさん(曽ヶ端準)が『お前らみたいな怪我人が入れるわけないじゃん。そんな怪我人が入れるんなら俺選べよって思うもん』って。そりゃそうだよなって。やっぱ先輩さすがっすわ、と思ったよ」?

 監督も強化部長も代表への後押しをなんとかできないか考えてくれた。だが、02年日韓W杯、04年アテネ・オリンピックメンバーで、未だ現役を続ける大先輩の歯に衣着せぬ言葉は、我に返らせてくれるものだった。

■「もう、諦めたらラクだもん。」あえて公言してきたW杯への思い

 内田は、14年ブラジルW杯直後には「代表引退を考える」と言いながら、結局は18年ロシアW杯を目指した。それも、メディア上などで事あるごとにその目標を公言し、自分を奮い立たせてきた。若かった頃であれば絶対にしない行動だったはずだ。

「オレね、18年にスタメンで90分できたJリーグの試合、(V・ファーレン)長崎戦だけなんだって。それなのによくW杯目指すって言っていたなと思うんだよね。(若い頃だったら)言ってないだろうね。でも、言ってないと、口に出して周りからのプレッシャーもないと、と思ってたの。普通の人だったら内田はW杯に間に合わないだろうなって思うじゃん」

 周囲からのプレッシャーをあえて受けることで、それを自分の力に変えようとしたのだ。声援を力に変えるのではない。マイナスの声さえ意図的に巻き起こし、パワーにしようとした。とにかく必死だった。

「もう、諦めたらラクだもん。怪我で間に合わないのでW杯諦めますって言っちゃえば、逆にあそこまで頻繁に細かい怪我をせずに済んだかもしれないよね。試合の出場ペースも詰め込まずに、ゆっくり試合に復帰していったら、結果的にもう少したくさんの試合に出てシーズンを終えられたかもしれない。でも、そうじゃないんだよね」?

 苦しい道を選択し、敗れた。敗れはしたが、清々しかった。

■「アツト、やめんなよ!」再び内田に戦うことを決意させた一言

 5月31日、ロシア行きのメンバー23人が発表されると、それぞれの地元や身の回りで祝賀会や報告会などが行われた。内田の代理人である秋山祐輔も契約する大迫勇也と乾貴士のメンバー入りを祝うささやかな会を催した。内田もその会で2人を祝福した。

「サコ、タカシおめでとう」秋山は、短い一言に思いを込めた。

「アツト、やめんなよ!」

 ロシアを本気で目指していた分だけ、反動はあるだろう。だが、歩みを止めるにはまだ早い。まだまだ現役選手として戦ってもらわなくてはならない。その思いだけは口にして言う必要があると秋山は思っていた。

「アッキーはいいとこ突いてきたよね。やめようとは全く思ってないけど、やめてもいいよね、的な状況だったからさ」

 内田は治療とリハビリの日々を再開させた。

■「ロシアでこの戦い方が出来れば……」でも必要だった”これまで”

 W杯は日本で、テレビで観戦した。最後まで粘り、走り、がんばるかつての仲間たちの姿を見て、言いたい事もふつふつと湧き出てきた。

「どうして、14年の時にこういう戦い方ができなかったんだろう。みんなこれをやるべきは14年だったのに。相手もあの時のほうが格段にラクだったのに。勝つチャンスは当時のほうがもっともっとあったはずなのに。なんであの時がんばってくれなかったんだよって思いながら見てた」

 ただ、内田だって、14年当時に仲間たちにそんな思いを伝えられたわけではない。ブラジルから4年の月日が経ち、互いに成熟することでようやくロシアでのがんばりに?がるわけだ。代表主力選手たちのキャリアは後半に差し掛かっているかもしれない。衰える部分もあれば、経験を積み重ねることで成長していく面もある。全ての要素が同じスピードで成長したり衰えたりするわけではない。ロシアW杯で見せた精神性が、身体的にはもっと良い状態だったかもしれない14年にあればと思うこと自体は自然だが、18年の戦いぶりに至るまでには時間が必要だったのだ。

「でも、これがもう少し経ってさ、引退する頃に振り返ってみた時に、あれだけ少ししか試合に出てないのによくW杯出たいとか言って、よく代表チームに文句言いながら試合見てたなって思うんだろうね」

 今はそんな風に思っている。

(了戒 美子)

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