“感謝”を忘れず”攻める気持ち”を貫く――中日・梅津晃大が1軍のマウンドで輝く日

“感謝”を忘れず”攻める気持ち”を貫く――中日・梅津晃大が1軍のマウンドで輝く日

ドラフト2位ルーキーの梅津晃大

「今まであまり喜びの余韻に浸ったことがありません」

 梅津晃大は神妙に口を開いた。禍福は糾える縄のごとし。幸不幸は交互にやってくる。突然、平和な日常が奪われることを中学2年生で体験した。2011年3月11日。東日本大震災。梅津は仙台市内にある仙台育英秀光中学校で被災した。

「ちょうど部活が始まる時間でした。部室でユニフォームに着替えていると、激しく揺れたんです。慌ててグランドの中央に移動しました。それから校舎の一番高い所へ避難。電気も消えました。保護者が迎えに来るまでは帰宅させられないということで、ずっと待っていた記憶があります。父が来たのは夜中の2時頃でした」

 野球ができるようになったのは2か月後。

「当たり前のことが当たり前でなくなる。震災を経験して、感謝の気持ちはより大きくなりました」

 梅津は仙台育英高校から東洋大学へ進学。怪我も重なり、頭角を現すまで時間がかかったが、チームメイトの上茶谷大河(DeNA)や甲斐野央(ソフトバンク)とともにドラフト上位候補に成長した。

 しかし、スカウトへのアピールとなる4年秋の東都リーグの真っただ中、母がくも膜下出血と脳出血で倒れた。1週間後、梅津は国学院大学戦で初勝利。ただ、喜ぶ間もなく、翌日に仙台へ向かった。集中治療室には変わり果てた母の姿があった。

「全身に管が繋がれていて、髪も剃って帽子を被っていました。初勝利のボールを渡しましたが、全く意識はありませんでした」

 梅津はドラフト会議で中日から2位指名を受ける。幼い頃からの夢が叶ったが、母の容体は変わらず、心の底からは喜べなかった。

「元気な姿を見せるのが恩返し」

 梅津は名古屋の地でプロとしての第一歩を踏み出した。しかし、1月の自主トレ中に右肩インピンジメント症候群と診断され、キャンプは別メニュー。3月にようやくブルペンの球数が増え、遠投の距離も伸びた。

「正直、キャンプではもっと投げたいと思いましたが、そこはきっちり管理して頂いたお陰で再発もなく、痛みは完全に取れました」

■ピッチャーにとって一番大切なことは攻めること

 梅津の理想は大谷翔平だ。「まだ、抜ける球は多いですが、投げ方や雰囲気は似ていますよ」と小笠原孝2軍投手コーチ。首脳陣も素材の良さを評価している。4月29日の阪神戦で2軍デビュー。その後、着実にステップを踏んだが、5月22日のソフトバンク戦でプロの壁にぶち当たった。

「中村晃さんです。どこに何を投げても、左右にいい当たりをされる。たまたまファウルで済みましたが、初めて『この人は抑えられない』と思いました。結局、フォアボール。あの打席は強烈に印象に残っています」

 右腕にはすぐリベンジの機会が与えられた。5月28日。中村晃と再戦。梅津は意を決した。

「絶対、攻める。そう思ってマウンドに上がりました。前回はコースを狙いすぎ。やはりピッチャーにとって一番大切なことは攻めること」

 腕を振ったストレートは唸りを上げた。2球でセカンドゴロ。梅津は大きな収穫を得た。

「気持ちでこんなに結果が違うんだなと。決して変化球が逃げではありません。ただ、相手を攻める気持ちがないと、何を投げてもだめだと思いました」

 6月上旬、ナゴヤ球場のロッカールームで大野奨太と会話をした時、その思いを一層強くした。梅津は投球フォームの画像を見せ、東洋大学の先輩にアドバイスを求めていた。

「どんなピッチャーになりたい?」

 不意を突かれた梅津に大野奨は続けた。

「色々な球種をバランスよく投げて制球で勝負するタイプ。8割が真っ直ぐでバッターを押し切るタイプ。例えば、この2つならどっちだ?」

「後者です」

 次に大野奨は大谷のエピソードを披露した。

「翔平はストレートでホームランを打たれたら、次の対戦ではストレートで空振りを取ろうとする。160キロでもバットに当てられると批判された時は球速を抑えてキレを求めるのではなく、160キロのまま回転数を上げる努力をしていた。あいつの目標に妥協はない」

 梅津の胸は高鳴り、心は決まった。どんな時も相手を攻めて力でねじ伏せると。

■全員から三振を奪いたいから、変化球も投げる

 7月11日。フレッシュオールスター。場所は楽天生命パーク宮城。梅津は前日、実家で家族と食事をした。6月上旬に母は退院しており、自宅療養中だ。

「まだ会話が文章にならないので、単語と単語で何とか話す感じです」

 母にとっては名古屋へ旅立つ息子を見届けた1月以来の再会。一回り大きくなった晃大は翌日、晴れ舞台で先発する。母は必死に口を動かし、笑顔で一言だけ伝えた。

「大丈夫だから」

 楽天球団は体が不自由な母を気遣い、エレベーターで移動できる個室の客席を用意。両親や親戚が見守った。

「試合前に石橋(康太)が『全部ストレートで行きますか?』と尋ねてきました。でも、『全員から三振を奪いたいから、変化球も投げる』と伝えたんです。お祭りではなく、120%の力で攻める真剣勝負のマウンドでしたから」

 梅津は2イニングパーフェクト。見事、優秀選手賞に輝いた。翌日、再び実家へ。母は満面の笑みで出迎えた。

「すごいね」

 やっと喜びに浸れた。

「ただ、やはり1軍で投げる姿を見せたいです。母にもそうですが、それと同じくらい父にも。兄弟と母を支え続けたのは父です。母の看病をしながら、大学に通う妹の弁当を今も毎朝作っています。父は野球が大好きな人。野球を始めたきっかけも父とのキャッチボールでした」

 梅津は気を引き締めた。野球の神様はきっと好むに違いない。感謝を忘れず、攻める姿勢を貫き、常に高みを目指す若者を。次はどんな舞台を用意するのか。その日を待ちたいし、その日は近いかもしれない。

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(若狭 敬一)

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