白石加代子×柄本明「小劇場で笑った思い出」

白石加代子×柄本明「小劇場で笑った思い出」

©橋本篤/文藝春秋

 1960年代、前衛劇を代表する劇団「早稲田小劇場」の看板女優だった白石さんとその芝居をきっかけに演劇を始めた柄本さん。演劇界を牽引してきた二人が語る、名演出家の思い出や演技の方法論。 司会・構成◎関容子

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関 今回は、強烈な個性をお持ちのお二方の、初顔合せとも言える対談です。

 柄本さんが演劇人生に入るきっかけを作ったのが、「早稲田小劇場」の白石さんの芝居だった、といつか伺って、これは是非存分に語り合っていただきたい、と思いました。

柄本 最初に僕がネタばらしというか、お断りしておきますが、僕は「早稲小」のときの白石さんしか、観てないんです。

白石 その後は観てない?

柄本 観てません(笑)。すいません。

白石 いいえ(笑)。

柄本 僕はサラリーマン2年間ぐらいやってて、そのときに、先輩に早稲小に連れてかれて、初めて芝居を観たんです。うちの両親が映画好きで、うちでは映画の話しかしないような親だったんで、映画を観るのは好きだったんですけどね。それでその早稲小は、12月25日あたりでしたかね。寒い日で、どっか裏手から入るでしょ。

白石 そうです。モンシェリという喫茶店の二階が劇場でしたから。

柄本 そこで焚火か何かして、人がずらずらっと並んで。『どん底における民俗学的分析』(1968年)というのを観ました。

白石 ああ、楽日だから並んでたのね。初日のころは、小さい舞台に25人くらい出演者がいるんだけど、お客様は3人とか4人とか(笑)。

柄本 そうですか。でも、楽日は満員で入れなくて、もう一回やってくれることになって、下のモンシェリでコーヒーを飲みながら大勢で待ってました。あの当時、学生運動が盛んなころで、周りを見るとみんな長髪で汚なっぽいアナーキーな、アングラな格好をしてました。でも自分は、髪の毛も七三で、会社の帰りですから鞄持って、ネクタイしめているんですよ。それがものすごく恥かしかったですね。

白石 芝居のほうはどうでした?

柄本 何だかおかしくっておかしくって。音楽に合わせて役者が意味もなく踊りながら出たり入ったりしてましたね。

白石 あそこは客席のうしろに楽屋兼事務所があって、狭い舞台に役者があふれちゃったらそれを客席の花道を通って事務所に退場させなきゃいけない。その時それぞれが音楽に合わせて楽しげに踊りながら移ったらどうか、ということで、やってるほうは別に笑わせるつもりはなかったんですよ。

柄本 観てるほうはおかしかったです。あの劇場、どのくらいの大きさでしたか。

白石 客席は、ぎゅうぎゅう詰めにして150人。それ以上入れたら床が抜ける、と言われてました。舞台は間口が2間半(約4.5メートル)、奥行が1間半(約2.7メートル)くらいでしたかね。それで『どん底における民俗学的分析』ですけど、全部ゴーリキーの原作『どん底』通りの役を振り当てられて、きちっと作りました。私はナースチャの役で。

柄本 女郎の?

白石 そうです。それをまたちょっとひとひねりしましたけどね。代表の鈴木忠志さんのほかに、あのころは創設メンバーでいらした劇作家の別役実さんも劇団員でしたし、関口瑛さんや、役者の創意工夫も加わって、どんどん崩していきましたから。

柄本 最初に台詞言ったのが、高橋辰夫さん。大家の役で。違うかな?

白石 そうそう。

柄本 男爵の小野碩(ひろし)さんが、ルイ・ジューヴェふうにやったりして。

白石 そう、よく憶えてらっしゃるね。

柄本 あれが一番面白かったから。自分の言い方で言うと、ものすごくくだらなくて。褒めてるんです、これ(笑)。

白石 わかるわかる(笑)。でも、呆れて、それっきり観てないんでしょ?

柄本 いえ、『アトリエNo.3 夜と時計』(75年)も観ました。あれはもうそのころ一緒に芝居してた岩松了と二人で行った。そしたら岩松が、芝居観て初めて面白いと思った、って。白石さんが、杉村五十鈴先生の役で。

白石 それは、杉村春子さんと山田五十鈴さんを一緒にした役(笑)。杉村さんも観にいらっしゃった。

柄本 すっごい、くだらないんですよ(笑)。

白石 お褒めにあずかって(笑)。

■生まれつき持つ演技の質

関 お二人とも東京生まれ東京育ちでいらっしゃいますが、私も下町育ちで、伯父たちはまともに褒めたりしませんでしたから、柄本さん流の褒め方も、よくわかります。お二人にも共通する感覚ですか?

柄本 東京の人って、どこかにある種の距離感みたいなものを置くでしょ。

白石 そうかもしれない。べたっとしてないのよね。

柄本 表参道あたりをかっこよく歩いてる人って、大体地方の人。やっぱり勝負に来てんだな。

白石 東京の人は勝負しなくていい。

柄本 最初からここにいるから、みたいな。

白石 東京タワーなんか行ったことないわ、って感じ。

柄本 われわれの仕事って、他人が書いたことを言う仕事ですよね。でも、どうしても自然に言えない気がするんですよ。その言葉を出すということは、自分の身体のある歴史を通っていくわけだから。ちょっと言えないことがある。

 すると演出家なり監督なりが、もっと自然にやってくれ、と言ったりする。これって、不条理ですよね。不自然なことを自然にやれ、なんて、失礼な話だと思う。ひねくれてるんですかね。

白石 何かそれ、生まれつき持ってる柄本さんの演技の質だな、って思う。他の人の演技ではこんなの見たことないな、っていつも思う。特に映像で、カメラがふわーっとあなたを追っていくから、よくわかるんだけど。

柄本 やっぱりそれ東京なんですよ。早稲小の芝居を僕が面白いと思ったのは、自然とか不自然を超越したものを見たからじゃないかな、と思う。

白石 そんなふうに感じる、ってすごい敏感なのよね、柄本さんが。『どん底における民俗学的分析』が一番面白かった、って言う人はあんまりいません(笑)。だから私はそれが誇りで、柄本さんのことをいろんな人に言いふらしてますから。

柄本 僕の中で一番の演出家は、鈴木忠志さんなんです。会ったことはないのですが、会わないほうがいいんじゃないか、という気もする。

白石 今さら劇団に入らないようにしてくださいね(笑)。

柄本 鈴木さんとは4年ほど前、静岡県の野外劇場へ芝居を観に行って、トイレですれ違って、向うから「柄本さん」って。

白石 あ、鈴木さん、偉いわ。そういう気さくなところのない人だったけど、気に入られてるんだわあなたを、きっと。

柄本 鈴木演出の『アトリエNo.3 夜と時計』、精神病院の話で、患者が先生に、「朝からうな丼とか天丼とか出すな」って抗議する。とにかくくだらない(笑)。

白石 いつもそういうの扱ってました。早稲小で『桜の園』(86年)のラネーフスカヤもやりましたけど、鈴木さんは、「白石はしゃべくり回って虚言癖のある役がぴったりだ」と思ってたらしいの。いでたちもへんちくりんで、ふわっとしたお帽子で、おしゃれな洋服着てるんだけど、下駄はいて出てくるんです(笑)。流行歌に合わせながら登場してきて一人語りで、昔こんなつらいことがあったのよ、って泣いたりなんかするんだけど、全部自分の中で素敵なドラマを作って得々とおしゃべりするような役にしてくれてたのね。

柄本 面白いですねぇ。あ、そうだ。僕は早稲小のあとも白石さんを観てるんだ。『常陸坊海尊』(97年)。寺島しのぶちゃんも出てた。あれ、秋元松代さんの脚本(ほん)がものすごくいいなぁ、と思ったけど、白石さんは怖いところがあるのに、でも何だかおかしくておかしくて(笑)。変ってないなぁ、と思いました。

白石 やっぱり怖いだけ、とか、狂気だけ、とかにはなるまいとして演(や)っていることは事実ですよね。すると、はけ口はどこかというと、笑っていただくことですよね。

柄本 悲しい話であればあるほど、笑うっていうのはありますよ。たとえばチェーホフの『ワーニャ伯父さん』にしても、ワーニャがみんなの犠牲になって黙々と働き続けるけど、それぞれ勝手なこと言って最後、みんないなくなる。幕切れ、ワーニャが玉ねぎ何キロ、人参何キロ、って収穫高の帳面つけ出すと、若い姪っ子のソーニャがやってきて、「伯父さん、生きて行きましょうね」って(笑)。

白石 それ、私は笑えます(笑)。

柄本 本当はものすごく悲しいんだけど。

白石 だってチェーホフ自身が、「喜劇」と断ってますものね。『桜の園』にしたって。

■少年の頃、川島雄三監督にエキストラで使われた!?

関 お二人は子どものころ、どんな遊びをしていらしたのか。白石さんが「鬼ばばごっこ」をなさってたとか。

白石 よくそんなことをご存知で(笑)。単なる鬼ごっこですよ。さらわれたお姫様を救い出す。本当はお姫様をやりたかったけど、私が鬼の役をやってから、鬼ばばごっこって名前がついたんで。

柄本 怖くて笑える話だなあ。

白石 私は麻布小学校って、三河台にあるんですけど、そこの屋上で鬼ごっこやったんですね。私が鬼をやったとき、何か思いついて怖いことやったんだと思う。みんなヒーヒー言いながら逃げて、次からは「鬼は白石さーん」ってことに。

柄本 当り役になった。それが『白石加代子ショウ』につながって行く。

白石 いやいや、白石加代子ショウはそんなことしてませんよ。

〈1970年初演の鈴木忠志演出『劇的なるものをめぐって II』に「白石加代子ショウ」という副題がつけられた。音楽と幻想の中、老女が鶴屋南北や泉鏡花の作品の登場人物に思い入れをし、その断片を演じていく。「雪之丞変化(ゆきのじょうへんげ)」の曲とともに美女のつもりになったり、一転、心の闇に堕ち入り体をけいれんさせたり、タクアンを丸かじりして吐き散らしたりする白石の演技が観客に衝撃を与えた。〉

白石 5、6歳のころ、ちょっと落ち着きのない子だからというので、母が踊りを習わせてくれたの。父が早く亡くなって経済的に長続きはしませんでしたけど、そのときに身体の中に何かがふっと入ったような気がする。身ぶりの中に情感をこめる、というのか、舞台での動き方が身についたような気がするの。

関 柄本さんは銀座のお生まれですね。

柄本 ええ、木挽町(こびきちょう)。うちのお袋は中野の新井出身ですけど、歌舞伎座の近くに嫁に行けるんで、嬉しかったと思うな。大の歌舞伎好きでしたから。そしたら親父が商売失敗しちゃって、僕が六つまでしか木挽町にいられなかったけど。

白石 そのころどんな遊びをしてたの?

柄本 東劇の近くが今は高速が走ってるけど、あそこは川でしたね。その辺の公園で遊んでたら、ある日映画の撮影隊が来て、「坊や、セミ捕ってごらん」と言われて、要するにエキストラに使われたんですね。

白石 すごい。何という映画?

柄本 親父が言うには『純潔革命』(53年)という川島雄三監督、三橋達也出演の映画だってことなんですが、何年か前、映画チャンネルでやったのを見たけど、その場面ないんですよ。

白石 え? ないんですか。

柄本 当時、みんなで観に行って、自分が映ってるのを見た記憶はあるんです。後ろ姿のロングでしたけどね。もし、川島さんの映画に出てたとしたら、これ、一番の自慢なんだけどな。

白石 ご両親はどんな映画を?

柄本 親父はアメリカ映画。ジョン・フォード監督の。他はハワード・ホークス監督とかゲーリー・クーパー、ジェームス・キャグニーですね。お袋はフレッド・アステア一辺倒。親父が亡くなってからは、部屋にアステアの写真飾って、アステアのビデオ全部揃えてました。何か、少しおかしいうちでね。

白石 ちょっと、特別ですね(笑)。

柄本 映画雑誌全部揃ってた。『映画ファン』『映画ストーリー』『近代映画』『映画の友』。僕は中村錦之助(のちの萬屋錦之介)ファンで、映画雑誌のファン投票で、錦ちゃんが石原裕次郎にトップを抜かれたときは、もう悔しくて悔しくてね。

白石 私も子どものころ、3本立ての時代劇映画はよく観てました。お姫様の真似ごとしたりしてね。森繁久弥さんの社長シリーズというのもよく観てて、それが面白くて面白くて。私、歌舞伎もよく見てましたよ。歌右衛門さんの『四谷怪談』とか。

■歌舞伎座に流れた声

関 1976年ごろ、武智鉄二演出の『東海道四谷怪談』で、白石さんがお岩をなさったのを岩波ホールで拝見してます。今の坂田藤十郎さんが扇雀(せんじゃく)時代、伊右衛門役で。

白石 あら、そう(笑)。あのときは楽屋が一つの大きな部屋で、当時の扇雀さんのところはちょっと幕が張ってあるんだけど、終演後にお客様がいらして、「扇雀さん以外はみんなひどいですな」って、つつぬけなのに大きな声で(笑)。

関 按摩(あんま)の宅悦役が、伊藤雄之助でしたね。

白石 そう、いろんな方が出てました。これも鈴木忠志さんとの関係で、岩波ホールが演劇シリーズを3回だけ、私の主役でやってくださったのね。最初が『トロイアの女』(74年)、次が『東海道四谷怪談』、もう一つ『ディオニュソス』(78年)。

柄本 お岩さん、さぞ怖かったでしょうね。

白石 今の扇雀さんが子どものころ、観に来て、怖くて眠れなくなった、って(笑)。

柄本 彼はコクーン歌舞伎で最近お岩やってますよね。串田和美さん演出で。

白石 そうね。拝見しました。あの時私はやっぱり歌舞伎の人たちとは演技の質が違うから、当り前だけど、もうどうしようもなかった。でも一門の中に親切に教えてくださる方がいて、それは今でも身体の中に残ってますよ。

柄本 たとえばどういうところですか。

白石 所作とか、たたずまいとか。間、とかね。演出の武智さんも、怖い場面の声はこう出すんだとか、口移しでいろいろ教えてくださいました。

関 柄本さんも『浅草パラダイス』シリーズ(97年〜)で勘三郎さんと共演なさったとき、途中で芸者の格好をするところがあって、ずいぶん中村屋のお弟子の女方さんにお世話になってましたね。

柄本 ええ、中村千彌(せんや)さんね、怖かった(笑)。年齢もだいぶ上で、もう女方の技術が身についてましたからね。

白石 柄本さんが女方なさったの?

柄本 ええ、途中でちょっと芸者をね。そのころ勘三郎さんがよく言ってました。「とにかく歌舞伎座って小屋はいいよ、役者が何倍もよく見えちゃうんだから」って。それでとうとう、僕は彼のおかげで歌舞伎座の舞台に立ったんです。「俳優祭」という一日だけのイベントですけどね。『浅草パラダイス』の、勘三郎さんと僕と藤山直美さんの3人が一列で、肩に手を置いて花道から登場して、ちょっとした寸劇みたいなのをやったんですが、やっぱりよかったですね。舞台が立派で、横に長くてシネスコサイズですよ。あ、これはいいなぁ、芝居がしやすい、って気がしました。

 歌舞伎座が大好きだったお袋が生前に、僕が歌舞伎座の舞台を踏んだなんて聞いたら、蹴殺されちゃいますよ(笑)。

白石 私、歌舞伎座に、これ出演、と言えるかどうかわからないけど、私の声が1か月間流れたことがあるんですよ。早稲小にいた小野碩が、先代の芝翫(しかん)さんの大ファンで、当時私もそう言われて拝見したら、なんて静謐(せいひつ)で美しい方だろう、と思って密かにお慕いしていました。

 そしたら芝翫さんが、2005年の大河ドラマ『義経』の、私のナレーションをとても好きで聞いてくださってた、ということなんです。それで、その年に上演された『平家蟹』(2005年)という妖しく不思議な芝居の導入部の説明を朗読してください、っておっしゃって、それで楽屋にお伺いして芝翫さんにお会いしました。

柄本 それ、歌舞伎座で?

白石 歌舞伎座よ。

柄本 わぁ、すごい。

関 たしかに歌舞伎座です。暗い幕あきで、怖さが際立っていました。

柄本 すごいな、やっぱり。

■自由劇場に入って

関 柄本さんは、どうして早稲小に入りたいと思わなかったのでしょう。

柄本 面白いなと思ったけど、入ろうとは思わなかった。僕の友達の角野卓造が、早稲小と文学座受けて両方受かったけど、文学座に行った。

白石 それ、正しい選択(笑)。

柄本 好きなのは早稲小だけど、って。

関 でも『割りばし仮面とスプーンマンの決闘』(1975年)というのは何となく早稲小ぽいですね。

白石 何それ(笑)。

柄本 昔、自由劇場にいたときに、新宿西口会館の屋上ビアガーデンでコントをやってたんですよ。僕とベンガルと綾田俊樹と。パンツ一丁で全身に割箸ぶらさげたり、スプーンぶらさげたりした男が対決する。まあ、アングラ的発想ですね。

白石 それ、早稲小の影響は、ないと思うよ。

柄本 いや、さっきの朝ご飯にうな丼はいやだ、の論争に通じるかもしれない。

白石 まあ、そうかもね。自由劇場に入ったのはどうしてなの?

柄本 僕は自由劇場に興味はなかったですね(笑)。それでまず、金子信雄さんと丹阿弥(たんあみ)谷津子さんの「マールイ」に入ったんです。でもそこはあんまり芝居してなかったから、大道具のバイトをずっとやってて、そのときに串田和美さんから声をかけられたんですよ。第一次の自由劇場は解散してて、また昔の仲間のデコ(吉田日出子)とかを集めて、そこに佐藤B作とか朝比奈尚之とかもいたんです。

白石 どんな芝居してたんですか。

柄本 たとえば『マクベス12』(75年)なんて、串田さんが即興で作らせるんですよね。それで笹野高史とよく組まされて、彼は自由劇場の先輩だけど、同い年で、仲悪いんですよ。

白石 仲悪いの(笑)。

柄本 ええ、だから相談も稽古もしない。ぶっつけでやる。すると、自分で言うのも何だけど、面白かったんですよ。それでこのときに、自分はもしかしたらずっとこの仕事続けるかな、って思った記憶がありますね。

白石 だから本当は仲いいんじゃないの?

柄本 そうですね。わざとそう言ったりするんですが、本当は違うと思います。妙な波長が合いますからね。

白石 ほらね(笑)。でも舞台って面白い。仲のいい人と芝居やっても、うまくいくってわけじゃないからね。さっき吉田日出子さんの名前が出たけど、柄本さんとの二人芝居を、私は観てますよ。

柄本 えっ、そうですか。

白石 ちょうど市川崑さんの映画で日出子さんとご一緒したんですね。そのときお互いにもう結構な年だったから近寄れたんだけど。

柄本 そうでしょうね。アングラ二大女優の対決だもの(笑)。

白石 お話しするのが楽しかったの。今度柄本さんと芝居するから、って。

柄本 『ジョンとジョー』(96年)ですね。アゴタ・クリストフの。僕が何か二人芝居ないかなと思って本探して。でも、あれ失敗でした。

白石 そうなの(笑)。

■つかこうへいと鈴木忠志

関 吉行和子さんが、白石さんによろしくとのことでした。彼女が民藝を退団して、唐十郎さんの『少女仮面』(69年)で初めて共演して、普段お会いすると白石さんは静かで、昔の女学生みたいな感じ、と思っていたら、舞台に上がると突然変貌なさって、もうびっくりしたそうです。

柄本 そうだ、吉行さんが出てたんだ。

白石 そう、民藝から移って、ほんの短い間だけど劇団員だったの、吉行さん。あの人はインテリっていうか日本語の読みが深いっていうか……。私より年上なのに少女の役で、私は自分を春日野八千代だと思いこんでる女で。

柄本 唐さんはその『少女仮面』で岸田國士戯曲賞を獲ったんでしたね。僕は最近、下北沢のスズナリで、李麗仙さんがその春日野八千代を演ったのを見ましたけど、李さんの存在そのものがその役になってましたね。

白石 ああ、ある程度の年齢になってから演る役なのかもね。

柄本 はぁ。しかし唐十郎さんにしても、つかこうへいさんにしても、鈴木忠志さんにあこがれて、影響を受けてますね。

白石 つかさん、年中、鈴木さんの演出ぶりを見にきてましたからね。

柄本 つかさんの『蒲田行進曲』(80年)は、鈴木さんからのコピーだって聞いてます。

白石 そうそう、そうだと思います。

柄本 実はあれ、僕で作ったんですよ。僕はそのころもう、東京乾電池だったんですが。

白石 あら、その話、もっと聞きたい。

柄本 うちの奥さんの角替和枝が「暫(しばらく)」という劇団にいて、ここにつかさんが関連してて、平田満や三浦洋一がいた。それで、僕のほうの乾電池は男ばっかりだったんで、角替や松金よね子に出てもらった。つかさんは、自分のとこの角替が出てるから芝居観にきて、僕のことを気に入ったんでしょうね。稽古場に来てくれ、根岸季衣の相手役がいないんでお前来てくれ、って言われて、結局それが『蒲田行進曲』だった。

 最初は映画も、僕と松田優作という話だったんだけど、記者発表の日に、それが飛んだんですね。多分、優作さんと深作欣二監督の間に何かあったのかもしれませんね。

白石 それで風間杜夫さんと平田満さんになった。二転三転してるんですね。

■いつか一緒に芝居を

関 お二人は舞台で共演なさったことはないんでしたね。

柄本 そうね。テレビドラマで一度一緒だったけど、からむところはなかったからね。

白石 からみがなきゃだめですよ。共演してない、って私、不思議でしょうがない。だって柄本さんは、私の後半の舞台観てないからね。くだらないと思って(笑)。

柄本 いやいや、そうじゃないけど。

白石 早稲小にいたころ、ものすごくエネルギッシュにやってたせいもあるけど、そのころからの熱心なファンの方が、後半の私は堕落した、って思ってるらしい。

柄本 それはいわゆる劇団としての力、鈴木さんの演出なんかも含めてのこと?

白石 それもあり得るかもしれないけど、ものすごい集中力で、笑いなんか絶対取らないで、魂の中心に降りてくような芝居が素晴しいと言ってた人たちは、笑わせるのが大好きになった私の芝居を観たら、堕落したと思うんじゃないの?

柄本 そもそも魂の中心に、と思うこと自体が間違いだと思う。そういう観客は『どん底における民俗学的分析』や『白石加代子ショウ』を見ても笑わなかったんですかね。

白石 えもっちゃん、それはね、あなたが観てくれた『どん底』と、そのあとに私が演じた、狂気に走っていく舞台とはちょっと違ってきてるのよ。あそこまでたどりついた女優が、なんで『百物語』(92年〜)なんかやるんだというような評価のくだし方じゃない?

〈「恐怖」をテーマに、小泉八雲や江戸川乱歩、宮部みゆき、大沢在昌など、江戸から現代の著名な作家の小説を朗読する『百物語』。この一人舞台は、演出に鴨下信一を迎え、衣裳や声色など身体全体を用いた演技で観客を魅了した。百話語り終えると魔物が現れるという言い伝えから、2014年99話で語り終えた。〉

柄本 『百物語』は白石さんのライフワークとして立派に評価されてるじゃないですか。早稲小当時の白石さんを目指してた女優さんて、かなりいたと思うし、熱狂的なファンというのは誤解して崇拝してることがある。だから僕は要するに、くだらない、って言葉使っちゃう。俺たちはこんな素晴しいことやってるんです、なんて言ってたら、逆に困っちゃうでしょ。

白石 そうですね。ありがとう(笑)。

柄本 何かご一緒に芝居できるといいですね。何かないかなぁ。

白石 柄本さんと共演する人は損だと思うよ。言葉と言葉のあわいをぬって、芝居なさるでしょう。まともにぶつかる人は多分だめだと思う。

柄本 そんなことないですよ。

白石 不条理劇がお好きでしょ? イヨネスコの『授業』の家政婦の役なんて、私にどうかしら。あれだとそんなにからまないで、あなたをただ叱り飛ばせばいいわけだから。

柄本 僕、ひっぱたかれて、眼鏡飛ばされたりして、怖いです(笑)。一番簡単なのは『ラヴ・レターズ』じゃないですか? 朗読するだけだから。

白石 いいかも。あ、面白そう(笑)。でも、お客さんが先にいろんな想像しちゃうかもしれない。もっと清純なのやりましょうよ。

柄本 それはちょっと、無理かも(笑)。

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司会・校正 関容子(せき・ようこ) 東京生まれ。2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞受賞。近著に『客席から見染めたひと』など。

写真 橋本篤/文藝春秋

※この対談は「オール読物 8月号」に掲載されました。

(「オール讀物」編集部)

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