「身体調査で激痛が……」 “UFOに誘拐された”トラビスの証言はウソか本当か?【生還編】

「身体調査で激痛が……」 “UFOに誘拐された”トラビスの証言はウソか本当か?【生還編】

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UFOに誘拐されたのか、少年たちに殺されたのか 人口600人の村で起こった奇妙すぎる事件【誘拐編】 から続く

 1975年11月、アメリカ合衆国アリゾナ州で森林作業員をしていたトラヴィス・ウォルトンが失踪した。 

 失踪現場に戻るのを拒むほど、恐怖に震えていた同僚の若者たちが話したのは「トラヴィスはUFOに誘拐された」という衝撃の証言だった。

 70年代の米国は、「アメリカ人の51%がUFOの実在を信じており、11%が目撃した経験がある」(73年、ギャラップ調査)という調査結果もあったくらいの“SF・オカルト大国”だった。当時の空気感をあますことなく伝える、前述のトラヴィス・ウォルトン事件”を追った記者のレポートを再掲載する。

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初出:文藝春秋デラックス『古代の遺跡とUFOの謎』1976年7月号

※本文中は当時の表記のまま「トラビス」に統一しています

(全3回の2回目/ #1 より続く)

◆◆◆

■「UFOで受けた身体調査のせいで……」トラビス、6日ぶりに発見

 テストの日の夜おそく、スノーフレークの南隣にあるテイラー村で、グランド・ネフ家の電話がなった。同家はトラビスの姉の嫁ぎ先であった。

 真夜中の電話をとったネフは、相手の声があまりにも弱々しく最初はそれがトラビスとはわからなかったという。

「今、ヒーバーのガソリン・スタンドの電話ボックスにいる。負傷しているからすぐに助けに来てくれ」

 電話のトラビスは、そう言って頼んだ。ネフはすぐに車を走らせ、スノーフレークのトラビスの家に急いだ。トラビスの母、ケレット夫人が電話をもっていなかったからである。そこには事故発生以来、弟の安否を気づかって、グレンデール市から兄デュエインもきていた。ネフは彼と共にガソリン・スタンドに急行した。

 電話ボックスの床に、トラビスがうずくまっていた。すごくヒゲが伸び、やつれ果てた彼は、頭と胸の激痛を訴えた。たぶんUFOの内部でうけた身体調査のせいだろうと言っていた。ひとまずネフの家に落ち着いたトラビスは、喉のかわきがひどいらしく多量の水を飲み、チーズを食べた。しかし、気持が悪くなって吐いてしまった。

 兄のデュエインは、大病院で診察をうけるべきだと考えた。そして夜明けを待たずに、車で4時間かかるグレンデール市の自宅に向けて出発した。

 ガレスピー保安官がデュエインからの電話を受けたのは、11日だった。

「トラビスが昨夜見つかった。現在はテューソン市の某病院で診断をうけているが、衰弱がひどく、混乱もしている。しばらくはそっとしておきたいので誰にも会わせない。回復したら会わせるし、ポリグラフ・テストもOKだ」

 デュエインはこう説明した。しかし保安官はことの真偽を確かめたいと思った。直ちに会わせないと捜査の妨害をしたものと見なす……、こう威嚇されたデュエインは折れた。カメラやテープを用いず、保安官1人だけで、という条件をつけたのだ。

 その日の夕刻、トラビスが隠れているというフェニックス市に向かった保安官は、約束通りトラビスの体験談を聴取した。その内容は、翌12日にナバホ郡副保安官ケン・ノーランの口から洩らされ、マスコミに大々的に報じられるところとなった。

■「この話がウソである確率は10%ほどか」が一転

 一方、事件そのものに疑いをもつ人も、数多く現われた。トラビスが住むスノーフレークの住人ばかりでなく、UFO専門家の口からも、信頼性を疑う発表がなされたのである。GSW(航空宇宙関係の技師)は、当初、現場を調査して、「10ガウスという異常に高い残留磁気」「この話がウソである確率は10%ほどか」などと発表していたが、この時期になって“疑念”を表明するようになった。「トラビスがなぜか逃げ回っていること」「テューソン市の私立病院にいた、というその頃、トラビスはフェニックス市の精神・心理医スチュアード博士のオフィスにいたこと」などなどが、スポールディングのあげた疑念であった。

 デュエインは、これに対して当然反撃に出たが、やはりトラビスの所在は明かさなかった。結局のところ、トラビスのポリグラフ・テストが待たれたのである。

 トラビス・ウォルトンのポリグラフ・テストは、11月14日の金曜日と決まった。マスコミ関係者、アリゾナ州の市民たちはかたずを飲んで、それを待った。

 ところが、期待に反してトラビスは現われなかったのである。彼に対する非難が、一時に高まったのは当然で、ガレスピー保安官は、「今後テストは行なわず、もし話がデッチアゲとわかれば追及する」と声明、スポールディングも、「すでに大金と時間を費やしているが、もう調査は打ち切る。科学的UFO研究に対する信頼が失われることを恐れるからだ」と発表した。

 マスコミは躍起になってウォルトン兄弟を追った。しかし行方はわからず、「トラビス現われず。事件はウソか?」と、腹いせのように報じただけだった。そしてその後しばらくは、アリゾナ州のマスコミのほとんどが、UFO関係の事件すべてを黙殺するようになってしまったのである。

■「トラビスの話は”本物”」調査を進めた空中現像研究機関

 この一連の成行きの間、APRO(空中現像研究機構)はどうしていたのだろうか。こちらは、じつはトラビスの話を“本物”とみて、別途の調査を進めていたのであった。

 11月11日朝、「トラビス、テューソン市内の病院に」というニュースを聞くやいなや、APROの会長夫人のコラル・ロレンゼンは市内の病院を片っぱしから調べ、どこにもいないと知った。そこで彼女は、兄のデュエインの家にいると推理し、10時45分頃に電話をかけてみた。APROが国際的に定評のある研究団体であると説明し、協力を申し出た。デュエインは「信頼のおける医師に診断させること」を頼んだ。ロレンゼン夫人は、すぐにフェニックス市在住のAPRO会員、ケンドール、ソルツ両博士と連絡をとり、3時半からトラビスの診察を行なうことを決めたのである。

 この10時45分という時間が問題になっている。前述したスチュアード博士(GSWコンサルタント)はトラビス兄弟が、「9時半から2時間、私のオフィスにいた」と語っている。同博士のオフィスとデュエインの家とは、車で30分かかり、時間的にツジツマが合わない。ところが、デュエインの主張は、「スポールディングに教えられたスチュアード博士は、行ってみると内科医ではなかったので、15分ぐらいで出てしまった」というもので、そうだとすると、彼がロレンゼン夫人の電話に応対できることは確かである。APROはこの点を重視し、スチュアード博士は信用できないものと見なしている。一方、博士の側はトラビスを「LSDによる幻覚症状」に似ているとし、「私が麻薬についてもエキスパートだと知って、逃げ出したのだろう」とも言っている。

■なぜトラビスはポリグラフテストから逃げたのか?

 さて、2人の医師と連絡し終わった頃、UFOの実在を科学的に証明した人に10万ドルの賞金を出す、と発表して話題を投げたアメリカの大衆新聞『ナショナル・エンクワイアラー』が、APROにコンタクトしてきた。「トラビスは真実を言っているものと思うが、一時どこかに隠れた方がいい」というロレンゼン夫人の言葉に、“ホテル代などの費用提供”を申し出た『ナショナル・エンクワイアラー』とAPROとの協力による“トラビス潜伏作戦”が成立したのであった(一説には、同紙は独占記者会見記と交換に兄弟に対し5万ドル提供を言い出したという。真偽は別として、12月16日紙面で、事件が独占的に大報道されたことは事実である)。

 デュエインは、ポリグラフ・テストをボイコットした理由をこう説明している。保安官との会見のさい、「ポリグラフ・テストを14日にうけることはいいが、マスコミを外して静かなところで頼む」と要請し、保安官は承諾した。ところが当日ホテルでテレビを見ていると「今日いよいよトラビスのテストが……」と報じられたので、約束違反だとしてボイコットしたのだ、と。

■トラビスは「性格は正常、幻覚性向は見られない」

 さて、11月13日の木曜日、ロレンゼン夫妻は、APROのコンサルタントでカリフォルニア大学教授のハーダー博士とフェニックス空港で落ち合い、トラビスが潜伏するシェラトン・ホテルに向かった。

 トラビスは極度に混乱し、緊張していたので、博士は彼に催眠療法を施した。

 さまざまな検査も行なわれた。フェニックス市内のあるクリニックでは、11日午後採取したトラビスの尿、13日午後採った血液の検査が進められ、各種の脳波テストも行なわれた。しかし、麻薬またはアルコールの服用を示す結果は、出てこなかった(のちに発行されたAPROの『会報』11月号では、スチュアード博士の医師としての資格まで疑問が呈された。どういうわけかAPROとGSWとは、“UFOの科学的研究”を謳いながら、仲が悪い)。

 心理学者のカーン博士は、トラビスをテストした結果、「好奇心は強いが暗示にはかかりにくく、正常な性格の持主だ」と診断し、マコーネル博士はミネソタ式多相性格テスト(MMPIテスト)を試みて、「性格は正常、幻覚性向は見られない」と結論を下した。

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「宇宙人には爪がなかった」 “UFOから生還した”青年が語った“あの6日間”【体験告白編】 へ続く

(冨山 正弘)

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