島耕作は経営者として本当に評価できるのか?

島耕作は経営者として本当に評価できるのか?

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「島耕作シリーズ」の弘兼憲史氏と「金田一少年の事件簿」の樹林伸氏がタッグを組んだ新連載「島耕作の事件簿」が「モーニング」でスタートして話題を呼んでいるが、同誌には「会長?島耕作」の連載も継続中だ。覆面コラムニストの小石輝氏が「週刊文春」誌上で“老害”と一刀両断した「島耕作会長」論を再録する。(出典:「週刊文春」2014年2月13日号)

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「課長?島耕作」の連載開始から約30年。シリーズは部長、取締役、社長などと続き、先月には「会長〜」の1巻が刊行。コミック累計約4000万部という国民的漫画だが、現在の彼は決して敏腕経営者として描かれていない。なぜか。新鋭論客が名作のタブーに斬り込む!

 経済界の人材払底(ふってい)は深刻だ。かつては「財界総理」と呼ばれるほどの影響力を誇った経団連の新会長は、現役の副会長が18人もいるのにその中から選ぶことができず、一度は退任した東レ会長の榊原定征氏が再登板せざるを得なくなった。元三井物産副社長の籾井勝人氏はNHK会長に就任早々、耳を疑うような問題発言を連発。早くも辞任論が吹き出す有り様だ。

 そんな中、数少ない「できる経営者」として、島耕作の存在感は増すばかりだ。島耕作は1947年生まれの団塊世代。同い年の弘兼憲史氏が描く伝記漫画によれば昨年、島は2008年から5年間務めた大手電機メーカー「テコット」(元の名称は初芝電器。松下電器、パナソニックがモデルとされる)社長の職を退き、代表権を持つ会長に就任した。

 NHKの衛星放送では「島耕作のアジア立志伝」というレギュラー番組を持ち、CMにも引っ張りだこ。「トヨタ・カムリ」とタイ・アップして、本物のジェントルマンを育てるための「CLUB GENT」なるプロジェクトまで発足させている。

 だが、社長時代の島はどこか生気に欠けていた。目につくのは、海外のさまざまな国々を漫遊し、国際政治経済について部下や交渉相手らと雑談するシーンだが、そんな時の島は、たいてい無表情で傍観者的だ。活躍する場面があっても、インドネシア政府の役人から賄賂をたかられるのを阻止するなど、せいぜい部課長レベルの仕事。しかも、例によって神がかり的な強運と女性たちのサポートに支えられてのことだ。社長としての本来の仕事である、大所高所からの経営の舵取りについては、なぜか作中ではあまり触れられない。数少ない材料を元にそれを検証すると、島耕作の本当の力量が露わになる。

 初芝電器の専務だった2008年、島耕作は電機業界中堅メーカー「五洋電機」(三洋電機?)の株式を、市場価格の四割増しという破格の条件で公開買い付けし、買収するという経営判断を主導した。当時、初芝の万亀会長をして「3年以内に韓国のライバル家電メーカー、ソムサン(サムスン?)に勝ったという結果を出さなければ、役員総辞職だ」と言わしめたほど、巨額の費用を要する重い決断だった。島が社長に就任したのも、万亀会長から「今回の経営統合は君が主導した。君が責任をもって後のケアをすることが妥当だろう」と説得されたからだ。

 だが、社長に就任した島は、五洋電機との経営統合を軌道に乗せるどころか、元五洋経営陣も加わったクーデターを起こされそうになる始末。業績はソムサンに水をあけられる一方で、社長に就任した2008年度から社の決算は赤字続き。2011年には「3期連続の赤字を解消するため」(作中での島のセリフ)、グループ全従業員35万人の一割を削減するという大リストラを決断せざるを得なかった。それでも2011年度、2012年度決算はまたもや大幅赤字を計上した。

 作中では、島が2012年度限りで社長を辞任したのは「2期連続の大幅赤字が理由」と繰り返し述べられている。だが、全編のデータや島自身の言葉から判断する限り、島が社長に在任していた2008〜2012年度の決算は五期連続赤字だったと結論づけざるを得ない。買収決断の決め手となった五洋の持つ先端技術も、製品化は韓国メーカーに先行され、最終的には国内のライバル企業と共同開発することになってしまった。

 要するに、社長としての島耕作は、自ら主導した五洋電機の買収を、何ら経営面でのプラスに結びつけられなかった。任期中にリーマンショックや東日本大震災などの逆風があったとはいえ、5期連続の赤字は言い訳できない。目立った仕事は、社名を「初芝五洋」から「テコット」へと変更したぐらい。島がまともな神経の持ち主であれば、5期も社長を務めることなく早々と辞任し、完全引退していたはずだ。

 だが、島は万亀会長の「君以外が社長ならば乗り越えられたレベルの危機ではない」との言葉に励まされ、ずるずると社長職を続けた。赤字続きでついに社長を辞任せざるを得なくなった時も、万亀の「君は次のテコット会長にふさわしい」「その気があれば院政だってしける」という言葉にあっさりうなずき、「まあ、流れだよな。固辞するような理由もないし」という消極的な言葉と共に会長に就任。経済連(経団連?)にも加入し、現在も雑誌「モーニング」誌上で活躍中だ。島耕作、66歳にして早くも老害の仲間入りか、と思わざるを得ない。

■役員報酬返上で責任をとる鈍感

 島はリストラをする際、どこかの都知事が辞任間際、苦し紛れにやろうとしたように、自分と万亀会長の役員報酬の大半を返上した。それで責任をとったつもりの島にもあきれるが、それを聞いた中国のライバル会社社長・孫鋭が「ナイスです! 島さん」と感嘆したのには、読んでいてひっくり返りそうになった。

 言うまでもないことだが、既にこれまでの長い役員生活で十分な報酬を得た人物が、今さら報酬を返上したところで生活にいささかの影響も出るはずはなく、その痛みは現実にリストラされる社員たちの比ではない。実際、この直後のエピソードで、島は平然と時価数万円のドン・ペリニヨン・ロゼを自腹で開けている。島だけではなく、作品世界の登場人物たちがいかに現実感覚、他者を思いやる感覚を喪失しているか、ということの現れだろう。

 だが、島耕作らのこうした無責任ぶり、鈍感さ、無能さは現実の「団塊の世代」の一面をリアルに反映しているように見える。

 団塊世代は70年安保闘争の主役となったが、大学卒業後は大多数が180度転向して企業戦士となった。こうした変わり身の早さは、課長時代の島が「どこの派閥にも属さない一匹狼を貫く」と繰り返し宣言していたのが、出世の道が開けるにつれ、大泉社長、中沢社長、万亀会長ら時の権力者にべったりと寄り添い、事実上派閥の一員と化していったことと重なり合う。

 団塊の世代はバブル景気時代には40代前半。島耕作と同様に、課長レベルの中間管理職として散々いい思いをしたはずだが、さらに長じて社会の中核を担う責任世代となってからは、日本経済の凋落に何ら有効な手立てを打てなかった。だが、部長や取締役に昇進してからの島が、作中で自分自身や同世代を批判する場面はほとんどない。

 島は社長に就任した翌年の2009年、政権交代を目の当たりにして、「現政権にこびなくても我々の仕事は十分にやっていける」「日本経済を立て直すのは決して政治家ではない。我々企業側の知恵と努力だ」とうそぶいた。

 だが、自社の経営立て直しが行き詰まるや、島を取り巻くテコットの経営陣は、ことあるごとに「ソムサンという一企業を国を挙げてバックアップする韓国がうらやましい」「韓国の法人税率は日本の半分近くです」「日本の政府にも考えてもらわないといかんな」などと、政府への不満や愚痴を口にするようになった。企業の業績が伸びるのは自分たちのおかげ、うまくいかないのは政治家のせい、と言わんばかりだ。

 現実の世界でも、団塊の世代はカリスマ的なリーダーをほとんど出していない。経済界ではファーストリテイリングの柳井正会長兼社長ぐらいだが、そのブラック企業ぶりは週刊文春や週刊東洋経済に暴かれた。柳井氏は、島耕作の会長就任を機に、週刊朝日誌上で作者の弘兼氏と対談しているが、新人採用の注目ポイントとして「英語ができる人」の他に挙げたのは、「約束を守れる」「人の足を引っ張らない」だった。「小学校の道徳か!」と突っ込みたくなるほどの知的水準の低さだ。

 ついでに言うと、団塊世代の首相経験者は、鳩山由紀夫と菅直人。二人とも、大半の日本人にとっては思い出したくもない名前だろう。現実世界で、団塊の世代にまともなヒーローが存在しないからこそ、漫画の主人公に過ぎない島耕作が、こうももてはやされるのだ。

 課長時代の島耕作に目をかけていた初芝電器の故大泉社長は、作中で団塊の世代について「彼らは競争にめっぽう強い。資本主義社会ではもっとも重要な要素だ」「敗戦による断絶のせいで、上の世代には何のプレッシャーも感じていない。そのくせ、下の世代に対しては完璧に頭を押さえつけている」と評している。

 この評価は半分だけ当たっている。確かに彼らは競争が得意だ。だが、それは受験戦争や会社組織内での出世競争、派閥抗争という極めて同質的な集団の中でだけ当てはまることだった。冷戦が終結し、経済のグローバル化が進むという新しい状況下では、海外の異質な人々や集団との容赦なき戦いに、なすすべもなく敗れ去った。そして「上にプレッシャーを感じず、下を完璧に押さえつけている」ことは、自らの力量不足を省みない傲慢さに直結する。

 弘兼氏自身が言うとおり、「島耕作」は現実世界の政治・経済状況とのリンクを強く意識した漫画だ。だが、現実をそのまま描くと、団塊世代の経営者たちの無能さが浮き彫りになってしまう。それゆえ、経営者としての島の判断の是非はいつの間にかうやむやにされ、社長としての優雅な海外漫遊や小さな成功だけがクローズアップされる。敵対する派閥の面々や永田町の政治家たちを徹底的に無能に描くことで、島があたかも有能であるかのように読者に印象づける。一方で、島と同世代の人物が自営業に行き詰まって自殺するなど厳しい現実も一応示し、物語全体のリアルな印象を保とうとする。

 やはり弘兼氏は島耕作、いや団塊の世代にとって、極めて有能な伝記作家と言わざるを得ない。団塊の世代が見たい自分だけを巧みに美化し、誇張し、ナルシシズムに浸る素材を提供する。かつての王や独裁者たちが、お抱えの画家に描かせた肖像画のようだ。だが、島自身はこうした空しい役回りにすでにうんざりしているように見える。時折見せる、漫画のキャラクターとは思えない虚ろな表情が何よりの証拠だ。今からでも会長の職を辞し、20歳年下の妻と優雅な隠退生活を楽しんではどうか。

(小石 輝)

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