“グリコ・森永事件”をテーマにした『罪の声』は元新聞記者だから書けた──「作家と90分」塩田武士(後篇)

“グリコ・森永事件”をテーマにした『罪の声』は元新聞記者だから書けた──「作家と90分」塩田武士(後篇)

©佐藤亘/文藝春秋

(前篇より続く)

■犯罪者にも会ったし、怖い体験もした。取材を通して人間を知ることが出来た

――さきほど19歳の時から小説を書いているとのことでしたが、きっかけは藤原伊織さんの『テロリストのパラソル』(1995年刊/のち講談社文庫、角川文庫、文春文庫)だったんですよね? 

塩田 そうですね。それまでは漫才とか演劇という形で、エンターテインメントを作って生きていくことを考えていて、小説がそれにあたるという発想がなかったんですよね。でも、教習所に通っている時にたまたま待ち時間に『テロリストのパラソル』を読んで、時間を忘れてしまって。時間を奪ったということのすごさと、持ち運びがしやすいことを考えたら、もう無敵やないかと思いました。そこでもうその日から小説を書き始めたという。

――ただ、卒業後は神戸新聞社に入って記者になられたんですよね。

塩田 もう詐欺師みたいなもんですよ。19歳の時から小説家になりたくて、それを隠して入社していますからね。小説のために、記者として経験したことを全部ノートにつけていました。それはいまだに使っています。この前、神戸新聞の、めちゃくちゃお世話になった人に講演せえと言われたので講演して、その後で一緒に飲んだんです。もうめっちゃくちゃ怖くて、返事しても怒られるような人だったんですけれど、「よう頑張ってんな」と言ってもらえました。でもお酒が深くなったら「お前なんかまだまだじゃ」みたいなこと言っていました(笑)。ありがたかったです。

――新聞記者8年目に、『盤上のアルファ』(11年刊/のち講談社文庫)で小説現代長編新人賞を受賞してデビューが決まりますが、将棋の三段リーグの編入試験を題材にしたのは、将棋担当になった経験があったからですし、その後も記者の主人公も書かれています。記者の経験は大きかったですね。

塩田 新聞記者になっていなかったら作家になれていなかったかもしれないというくらい、本当に貴重な勉強の場でした。取材を通して、人間を知ることが出来たんですよね。いろんな人に会いましたから。犯罪者にも会いましたし、怖い体験もいっぱいしました。インタビューしてみて、この人立派やなと思えることもたくさんあったし。事件やったり、裁判やったり、テレビやったり、クラシックやったり、将棋やったりと、本当に広い世界を見せてもらえました。最高の学校でした。

■最初は自分の頭にあるイメージに原稿が追いつかなくて苦しかった

――10年で辞めるというのは決めていたのでしょうか。何年までに何をして、などと目標を立てていたのですか。

塩田 もちろん逆算しています。記者生活10年までに賞を獲るというのもそのひとつでした。落選している時期は苦しくて仕方なかったですね。本当に書けなかった。自分の頭にあるイメージに原稿が追いつかないんです。こんなに面白いことを思いついているのに、自分の書いたものはなんでこんなにしょうもない物語になるんやろう、みたいな。その差がなかなか埋まらなくて、19歳から書いて31歳で賞を獲るまで、12年かかりました。でも、『盤上のアルファ』を書いている時はプロットを超えてどんどん会話が出てきて、登場人物が活き活きして、何よりも将棋というものを通して人間の面白さを書くという軸ができたんですよ。

――それまでお笑いとか、楽しいものを追求されていたわけですよね。『女神のタクト』(11年刊/のち講談社文庫)のようなコミカルなものもありますが、文庫化したばかりの『雪の香り』(14年刊/のち文春文庫)など、切ないものも多いですよね。小説となるとまた追求するものが違うのかな、と。

塩田 人間に興味があるというのが一番大きいと思いますね。人間は多面的な生き物なので。笑わせるとなると一企画の相当面白いアイデアがあればそれで引っ張れると思うんですけれど、それは滅多にないですし。基本的に、まず人間を書くことを目指したというのが、『罪の声』までの第一段階の目標だったんです。

■21歳の時、グリコ森永事件の犯行に使われた声の子どもが自分とほぼ同い年だと知った

――『罪の声』は昨年刊行されて山田風太郎賞を受賞し、本屋大賞でも3位となった作品ですが、実はデビューする前からアイデアがあったそうですね。

塩田 構想15年ですから。21歳の時に大学の食堂で一橋文哉さんのグリコ・森永事件の本を読んで、犯行に子どもの声が使われたと知って。その子が自分とほぼ同い年で、今も生きているかもしれない。これは小説にしたらすごいことになる、今はまだ無理だけれどいつか書こう、と思いました。これはどこまでほんまでどこまで嘘か分からへんみたいなところまで分解して書きました。かい人21面相の犯人像も、ちょっと違うんだということも書きたかったし、子どもの未来を奪うということは、社会の未来を奪うことであるという強く伝えたいメッセージもありました。それで書き切ることができましたね。社会派を書く第1弾はこれしかないと思っていました。それがうまくいったので、この『騙し絵の牙』にも繋がりました。

――デビューしてすぐに『罪の声』を書くことはしなかったわけですよね。

塩田 デビュー当時、講談社の初代編集者にアイデアを話したら、「まだ実力が足りない」と言われたんです。楽観的なので、もっと早く売れる作家になって、もっと早く書くつもりでした。でも全然売れなくて、どんどん条件が悪くなっていって。まずいぞというのがだんだん出てきました。やっぱり『氷の仮面』(14年新潮社刊)が一番痛かったですね。

――男の子に生まれた子が、性同一性障害に悩む話ですよね。

塩田 きっちり取材もしましたし、小説として面白いから絶対に売れると思ったんですよ。でも箸にも棒にもかからずに、まったく話題にならないまま消えてしまった。もうゼロに何をかけてもゼロじゃないか、みたいな感覚になりました。

 でも、その次の『拳に聞け!』(15年双葉社刊)まで読んだ、先ほどの講談社の初代担当と今の担当編集者が京都に来てくれて、「もういけると踏んだ」、と。部長も含めて、今ならこのチームでグリ森事件をやれるぞ、って。自分たちは人事異動があるから、バックアップできるとしたら今しかないと言われました。全員週刊誌出身のやんちゃな人間なんです。グリ森事件をやるなら、そういう無茶苦茶な編集者やないと無理だというのがありました。現担当とはプレッシャーのかけあいをしていたんですよね。「塩田さん、いつの間にか仕事なくなるよ」「今は何年か先まで連載が決まっているかもしれないけれど、そんな口約束は何の意味もないよ」って。頭では分かっていたけれど、『氷の仮面』の失敗で、それがだんだん現実のものとして考えられるようになって、もう今ここに乗るしかない、となりました。

■デビューしたときに「まだ今は書くな」と言った編集者の才能

――編集者の方が、デビュー後からずーっと時機をうかがっていたというのがすごいですよね。

塩田 この前、初代担当とご飯食べていて「このラインを読んでいたのはさすがだと思います」と言ったら、「分かんねえよそんなの」って言ってました。「勘だよ」って。なんやこのおっさんって思って(笑)。でも彼が才能のある編集者なのは、デビューした当時「書くな」と言ったことなんです。普通「書け」なんですよ、絶対。書くまでの間に他の誰かに同じネタで書かれたら、責任を負わないといけませんから。でもここまで溜めて、ここというタイミングで書けたのは、やっぱりすごいことだなと思います。

■僕から小説抜いたら何もない。小説があるからこうして立っていられる

――正直、長年周到に準備して書き上げた『罪の声』が評価されたら、燃え尽きちゃうんじゃないかとも思ったんです。でも『騙し絵の牙』が2013年から準備を始めていたと知って、次の一歩もすでに考えていらしたんだな、と。

塩田 そうですね。僕には常に書きたいものがあります。本当に、小説抜いたら何もないんですよ。特技も趣味もなくて、人間的に駄目になってしまうので。小説があるからこうして立っていられるんです。

 もちろん『騙し絵の牙』も全力を出しましたけれど、それで燃え尽きるかと言ったらまったくそのつもりはなくて、より困難なものに挑戦しようとしています。そのための環境を整えているところです。と言っても今38歳なので、小説家としてはまだまだなんですね。40代、50代の小説家としてのピークを迎える前なので、もっともっと背伸びをして最高のものを書いていきたいんです。書くのはひとつひとつしんどくなっているけれど、返ってくるものは大きくなっているという感覚があります。そのためには思考を続けることかな、と思っていて。今は一回でも面白くないと思われたら読者は戻ってきてくれないという危機感があります。作品を書きながら成長を期待するという状況にはないですね。それに、今後書くものはデビュー当時とまったく違うものになりますね。

――どう違うんですか。

塩田 自分の経験だけでは書かないですね。昔は面白いと思ったらバーッと書けたんですね。それはエンタメというところに心を奪われていたからというのもある。今は自分の興味自体が社会的なものに惹かれるようになってきています。そうなるとやっぱり、短篇でも時間がかかるんですよね。今、「小説現代」で「後報」シリーズというのを始めたんです。誤報ののち、真実が分かるというテーマです。誤報って、お詫び訂正が載ったとしても、その先がどうなったから分からないでしょう。新聞記者としてはそこがすごく気になるところでした。誤報の後に人間ドラマがあるということを書いています。これも材料を集めてきてプロットを作って書くので、短篇ですけれども時間はかかります。

■記事は“書いていないところ”に人間臭さがある

――事実をベースにして、そこからフィクションを作るやり方なんですね。

塩田 そこも新聞記者をしていたからだと思いますね。記事になる部分って表面的なことが多いんです。雛型も決まっているし。本当は、書いていないところに人間臭さがあるんです。被害者が100%被害者なのか、加害者は100%加害者なのかを考えると、白黒ではなく、グレーの濃淡だったりする。そこは意識しています。

――では、「後報」シリーズ以外のご予定は。

塩田 講談社で書き下ろしの長篇をやるんですけれど、取材がむちゃくちゃ難しくて、今チームで動いています。他にもいくつか長篇のネタがありますが、それはもう少し練ります。今はそれぞれの資料を集めてノートやファイルを作っていくのが楽しいですね。

■読者からの質問

●小説のために取材をする時、どのように申し込むのでしょうか。また、聞いたことを小説に落とし込むために、どのようなことに気を付けていますか。(40代・男性)

塩田 取材に関しては、出版社を通したほうが早いと思えば出版社から依頼してもらい、こっちで動いたほうが早いと思ったらこっちで動く。たとえば『拳に聞け!』のラウンドガールズコンテストなんかは、自分で電話をしました。ジムで記者クラブの縛りのない取材の場があると聞いてパーッと行って、僕は肩書のない怪しい名刺を出して、デイリー、報知、僕と並んで水着の女の人の写真を撮ったんですよ。ジムの会長が「明日デイリーに載ります、報知に載ります、彼はただのカメラ小僧の2ちゃんねらーです」って言った瞬間に、女の子がわっとドン引きして、まったく僕のカメラに反応してくれなくなって。僕もよく考えたら、小説にこの水着の写真要らんやないかと思って。それで僕はこのことは墓場に持っていこうと思ってたんですけれど、そのジムの会長のブログに「塩田武士」という記事タイトルがあって、クリックしたら、僕がにやけてる写真がバーッと載ってて「ほんまに作家?」って書いてあったんですよ。許してくれよ、と思いました。

 取材を小説に落とし込むというのは、まず取材したことをテープ起こしする時に完璧にカテゴライズしておきます。人間の話はあちこち四方に飛ぶものなので、そのまま原稿に起こしておくのではなく、分類しておくんです。すると執筆する時に整理されたものを見ればいいので、ストレスがないんです。

●自分で取材された事件や、新聞や雑誌で読まれた事件・事故で忘れられないものはありますか?(30代・男性)

塩田 グリコ・森永事件ですね。あとは、自分が担当した殺人事件で、未解決なものがやっぱり気になっています。どうやって犯人はあそこに入ったんだろうかとか、なんであんな死に方をしていたんやろう、とか、考えます。それは今でも時々思い出しますね。

●小説家を志しながら新聞社に就職したと聞きましたが、なぜ新聞記者だったのでしょうか。編集者やテレビ局など、他にもマスコミはあると思うのですが。記者を選んだ理由を教えてください。また、それは思った通りでしたか。(20代・女性)

塩田 そうですね、やっぱり文章を鍛えてもらいたいというのはひとつありました。僕は基本的には読みやすいことを前提に書いているんです。読みやすく、リズムよく運んでいくことを意識しているんです。新聞の何がいいかというと、記事が逆三角形なんです。最も重要なことを一番最初に書く。何が重要かということの優先順位をつける訓練を毎日することになるんです。銀行強盗が起きて5分で夕刊にツッコめと言われた時に、一瞬で逆三角形が浮かぶっていう。それがものを書くうえにおいて非常に大事であるし、勉強になりました。思った以上の人生経験ができたと思います。

■難波のカプセルホテルでバイトしていたときの度肝を抜かれるエピソードの数々

●今一番気になるお笑いは。(20代・男性)

塩田 この前『雪の香り』という文春の文庫で、ザ・ギースの尾関高文さんに解説を書いていただいたんです。もともとザ・ギースのシュールなコントが好きで、尾関さんの『芸人と娘』という本を読んだらすごく面白かったんですよ。あの人の上品な笑いというのは、こういうところから生まれているのかもしれないなと思って。たまたま大学の友人に紹介してもらって一緒にお酒も飲みましたが、ザ・ギースは本当に期待しています。

●『盤上のアルファ』面白かったです。塩田さんは将棋は強いのですか? 好きな棋士はいますか?(40代・女性)

塩田 将棋に関してはむちゃくちゃ弱いですね。もう本当に弱くて、才能がないというのを痛感しています。好きな棋士は羽生善治さんですね。実際にお会いして、いろいろ感じるところがありました。本当に理路整然としていて頭がいい方だし、比喩も的確でうまいし、なにより礼儀正しい。実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな、というのはあの人のことを言うんやという。尊敬しています。

●影響を受けた作家を教えてください。(30代・女性)

塩田 山崎豊子、松本清張ですね。

●『雪の香り』を実写化するとしたら、雪乃は誰のイメージですか。(30代・男性)

塩田 僕、小説の中の人でそういうイメージしたことがないんですよ。今回『騙し絵の牙』の大泉洋さんがはじめてで。書かれている通りの、小顔で……といったパーツで考えています。誰のイメージかは読者の方々に決めていただけると、楽しいかなと思います。

●2001年、大学時代に塩田君と難波のカプセルホテルでバイトの同僚だった者です。朝になると警察がきて逮捕者が出るような、かなりヤバめの客も多かったカプセルホテルのフロント経験が書くことにおいてプラスになったことはありますか?(30代・男性 中溝康隆)

塩田 ああ、中溝康隆君って、ノンフィクションライターですよ。『プロ野球死亡遊戯』というのを書いています。面白い男でしたね。連絡をもらえて嬉しいです。カプセルホテルのバイトは難波のど真ん中のガラの悪いところでやってたので、フロントにいるとワーッとおっさんが入ってきて、チェックインするのかなと思ったら、脇にあるユニセフの募金箱を盗もうとするんですよ。でも募金箱は鎖で繋がれていて盗めないので、ガチャッ、ガチャッとやっていて、僕はそれをずーっと見ていて。その後何事もなかったようにチェックインの手続きをするというね。「いったん盗もうとしてたよな」と思うんだけど、証拠もないし、証明できないんで。そんな話がいっぱいあります。全然サイズが小さいのに自分のよりいい靴履いて帰ったおっさんがいて。それで電話して「靴間違えていませんか」って言うたら「あっ、痛−っ。靴、小さいわ!」とか言って。そんなん電話してはじめて気づくなんてめちゃくちゃやなって。いろんなアウトローを見られたということで役に立ってます。

塩田武士(しおた・たけし)
1979年兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒。神戸新聞社在職中の2010年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞し、デビュー。2016年『罪の声』で第7回山田風太郎賞を受賞、“「週刊文春」ミステリーベスト10”で国内部門第1位となる。2017年本屋大賞では3位に。他の著作に『女神のタクト』『ともにがんばりましょう』『崩壊』『盤上に散る』『雪の香り』『氷の仮面』『拳に聞け!』がある。

(瀧井 朝世)

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