松本人志56歳に 「ピークは40歳、そのあと引退」25年前『遺書』との不一致とは?

松本人志56歳に 「ピークは40歳、そのあと引退」25年前『遺書』との不一致とは?

1963年9月8日生まれのダウンタウン松本人志 ©文藝春秋

 ダウンタウンの松本人志は、きょう9月8日、56歳の誕生日を迎えた。

 今年7月、闇営業への関与により吉本興業から契約解除を通告された宮迫博之と田村亮が記者会見を行なった翌日、松本はレギュラー出演する『ワイドナショー』(フジテレビ)の生放送で、《吉本内に“松本興業”じゃないですけど僕の部署を作ってくれと。やらかした子たちやイエローカードの子たちを俺が引き取るから。保証人になるから、ちゃんと生かしたってくれと。お笑いを愛する人間を、自分から辞めるならともかく、上から言われてクビっていうのは僕は絶対に違うと思うから》と吉本の上層部に要望したと明かした(※1)。

 くだんの会見では宮迫が、闇営業問題について記者会見をしたいと申し出たところ岡本昭彦社長から圧力があったことを示唆し、波紋を呼んだ。吉本の所属芸人のあいだにも動揺が広がるなか、松本はツイッターに《後輩芸人達は不安よな。/松本 動きます。》と投稿する。前出の上層部への要望は、こうした動きの一環であった。

■25年前にも「松本 動きます」

 じつは松本はいまから25年ほど前にも、後輩の芸人がある事件で謹慎処分となった際、“動いた”ことがあった。当時、『週刊朝日』で連載していたコラムのなかで、このように訴えたのだ。

《芸能人がテレビに出られないというのは、死活問題であり、まさか最近までテレビに出ていた人間が、マクドナルドでアルバイトするわけにもいかない。死ねと言っているのと同じである。もし、それが罰ということなら、むしろテレビに出たおしてあやまりまくるほうが、ずっと罰になるのではないだろうか。/オレは、彼がデビューしたころから知っているが、実に才能のあるヤツで、タレントとしてはまだまだ半人前であるが、将来性はかなりあるヤツだと思う。このことで、彼の人生がメチャクチャになってしまうのは、あまりにも悲しすぎる。/近々オレは、吉本に彼の復帰をお願いしにいこうと思っている。半年かかるか、一年かかるかわからないが、もう一度、チャンスを与えてやってもらいたい》

 問題を起こした後輩芸人について、その才能に免じてもう一度チャンスを与えたいという思いから行動を起こしたのは、このときも今回も同じだ。

■「松本を抜くコメディアンは出てこない」

『週刊朝日』での松本の連載コラムは「オフオフ・ダウンタウン」というタイトルで1993年7月にスタートし、丸2年続いた。この間、1994年9月に『遺書』と題して単行本化され、200万部を超える大ベストセラーとなる。翌1995年の連載終了後には続編として『松本』も刊行。1997年には2冊を合わせて『「松本」の「遺書」』のタイトルで文庫化されている。

『遺書』の刊行からちょうど四半世紀が経つ。せっかくなので、この機会に読み返してみようと思い、文庫版を購入した。筆者が入手したのは古本ではなく新刊で、奥付には2017年12月30日に第18刷発行とあった。

 本を開けば、第1回からいきなり《ダウンタウンは、ほんとうにすごい二人なのである。とくに松本は今世紀最大の天才で、おそらくこの男を、笑いで抜くコメディアンは出てこないであろう》といった一文が出てくる。いまの若者が読めば、なぜこんなにエラそうなんだ? と思うかもしれないが、リアルタイムでこれを読んでいた者(たとえば筆者のような地方の高校生など)には、あのころの松本人志にそう言われたら納得せざるをえなかった。それほどまでに当時の松本の勢いはすさまじかった。

『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)や『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)といったコンビ名を冠したテレビ番組から次々と新たなコントや企画を生み出すとともに、1994年には入場料1万円のお笑いライブ「寸止め海峡(仮題)」を開催するなど、コンビ外でも活動するようになった。ただし、同じコンビ外での活動でも、相方の浜田雅功がドラマや司会などにも仕事を広げていったのに対し、松本はあくまで《笑い一本で勝負していきたいものである》と、連載コラムの第1回にも書いていた。

■「結婚はありえない」

 松本のコラムには、いま読むと予見めいた記述もある。たとえば、第一線で活躍するコメディアンを集めて、それぞれのネタで正々堂々と勝負してみてはどうかという提案は、まさにその後、M-1グランプリやキングオブコントなどの大会という形で実現している。また漫才やコントなどスタイルの違いを考慮して、《大喜利という手もある》としているのは、現在、松本がチェアマンを務める『IPPONグランプリ』(フジテレビ)につながってくる。

 一方でコラムに書かれたなかには、その後の松本の言動と一致しないものもある。たとえば、コメディアンにとって家族は百害あって一利なしだと、自分にとって結婚はありえないとしながら、のちに彼は結婚し、子供も儲けている(ただし、当該コラムの終わりがけには、あとで心変わりする可能性もほのめかしていた)。さらに『遺書』のあとがき(文庫版にも収録)では、次のように引退を示唆していた。

■「ピークは40じゃないですか、そのあと……引退ですね」

《ぼくのピークといわれれば、わからないですけどね、まあいって四十じゃないですか。そのあと、俳優だとか司会だとか、とにかく形態を変えてまで芸能界に残りたくないですからね。最初の姿勢のままでいきたい》、《お笑いがいかんようになったんやったら、やめたらいい。取り繕って、つぎはぎだらけで残るほど、そない芸能界ってええかなって、ぼくなんかは思いますね。/引退ですね。引退したいことはないけど、まあ、せなあかんでしょうね》

 もちろん松本が引退することはなかった。『遺書』のあとがきでは、《ぼくの言うところの勝ち負けは、全部発想ですね。発想さえ勝っていたら、もう勝っているんですよ。笑いは発想やと思うんです。それは一〇〇%といってもいいぐらい。それが負けていないんだから、絶対負けていない》とも書いていたが、引退しなかったのは、「発想」では負けていないという自信が40歳を超えてもなお持続したからだろうか。

 『遺書』で引退という言葉が出たのは、松本がこのころ限界ぎりぎりまで仕事に打ち込んでいたからでもある。あとがきでは、《「遺書」というタイトルをつけたのも、やっぱり寿命は短いと思いますから。こんなペースでというか、こんなやり方で、そんなに長くはもたないですよ》とも書いていた。『ごっつええ感じ』のコントは回を追うごとにつくり込みが増していった。1997年年明けには、ある企画について松本が再三ダメ出ししていたにもかかわらず、指示どおりに修正されなかったため、問題が根本的に解決されるまでダウンタウンの2人は収録参加を見合わせ、番組は4週間も総集編でしのぐはめになる(※2)。『ごっつええ感じ』は同年11月に放送が終了するが、これも放送がプロ野球中継のため急遽休止されたことに松本が局側に抗議し、話し合いの末にいたった結論だった。

■「漫才さえしてたら芸人の頂点みたいに思ってる、お笑いマニアが大嫌い」

 あれから20年あまりが経ち、近年の松本は、テレビでもコントや漫才を演じるよりは、プレゼンターやジャッジする側に回ることのほうが目立つ。これに対して昔からのファンには、松本自身がかつてのように徹底してつくりこんだネタを披露してくれることを期待する人も多いだろう。

 もっとも、本人は、芸人がネタをやることに過剰に価値を見出す最近の風潮に懐疑的だ。『文藝春秋』2019年1月号掲載の対談では、《最近、ネタをやらなくてもいいポジションになった人がネタをやるようになって、そのことがすごく偉いってなってしまっている。もちろんそれは一理あるけれども、でもそれ以外のところの大変さをおまえらわかってくれてないのかっていう寂しさもあって》と語り、これに対談相手の脚本家の宮藤官九郎が「ネタ以外のことだって、もともと漫才やってなければできないわけですもんね」と返すと、《そうなんです。だから、漫才さえしてたら芸人の頂点みたいに思ってる、最近の変なお笑いマニアが僕は大嫌いなんです》と断じている。

 一方で、同じ対談では、『ワイドナショー』でニュースなどについてコメントすることを《あれはまあ、大喜利ですからね》と話している。同番組にゲスト出演したビートたけしからは「コメントなんて芯食ったらだめ、チップしといたらいいんだよ」と野球のバッティングになぞらえて言われたが、松本は《それを聞いた時に、僕はたけしさんと同じことをやってはいけないので、だったらブン回しでいこうって。だからたまに、思いっきり当たってすごく炎上したりするんですけど》、《たけしさんはそれ許されても、僕がそれやったら「あいつ逃げてる」って言われるんですよ》と自らの信条を明かした。

「ブン回しでいく」という言葉に、『週刊朝日』の連載での《いい感じの手を抜く方法をオレは知らないのだ。速球しか投げられないのが、最大の悩みである》、《肩がつぶれるまで投げ続けるしか方法がないのだ》というくだりを思い出した。これは、連載中、担当編集者から「そんなに濃い内容ばかりでなくていいですよ」などと言われたことに対する返答だ。

■今年語った「僕はやめたいって何年も前から、ずっと思ってる」

 考えてみると、松本が嫌う「漫才さえしてたら芸人の頂点みたいに思ってる」お笑いマニアが増えたのも、彼がコメントをはぐらかしたりすると「逃げてる」と言われてしまうのも、元はといえば、松本がお笑いにおいて常に攻めのスタイルを貫いてきたからこそではないか。もちろん、『ワイドナショー』のコメントを大喜利ととらえているあたり、本人はその姿勢を崩しているつもりはないのだが、何も知らない人からすれば、松本が後退したように見えてしまうのだろう。

 そうした世間との齟齬のせいなのかどうか、松本は最近になって再び引退を口にするようになった。『文藝春秋』2019年3月号で笑福亭鶴瓶と対談した際には、鶴瓶に《いつやめますか?》と訊ねたうえで、《若い頃は上が邪魔でしょうがなかったけど、僕らぐらいになってくると、上が頑張ってくれてることが目標になるから。特に僕は、やめたいって何年も前から、ずっと思ってるし》と語っていた。

 ひょっとすると、松本には、お笑い界に入るきっかけをつくった吉本の先輩の島田紳助が2011年に引退したことも、意識するところがあるのかもしれない。しかし紳助は引退時、すでに漫才から退いて久しかった(そもそも彼が漫才をやめたのはダウンタウンの存在もあった)。これに対し、松本はまだネタをやることから撤退したわけではない。先の対談で鶴瓶から、いずれ一緒に何かしないかと持ちかけられたときも、《やりたいとは思ってます》と答えていた。この言葉に期待をふくらませるファンはきっと日本中にたくさんいるはずだ。

※1 「ザテレビジョン」2019年7月21日配信
※2 伊藤愛子『ダウンタウンの理由。』(集英社、1997年)

(近藤 正高)

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