松尾諭「拾われた男」 #26「全米公開された出演作がきっかけで飛んできた突然の報せ」

松尾諭「拾われた男」 #26「全米公開された出演作がきっかけで飛んできた突然の報せ」

TBS 日曜劇場『ノーサイド・ゲーム』 毎週日曜よる9時放送中。松尾さんは強豪「サイクロンズ」のゼネラルマネージャー・鍵原誠役。©TBS

 初めて映画館で観た映画は塚口サンサン劇場で観た「男はつらいよ」と「スーパーマンU」の同時上映だった。今になって考えると、初めての映画としては申し分ない作品だったと言えるが、それ自体はあまりいい思い出ではない。

 その夏は母方の祖母が、どこか遠くへ旅行へ行くのに、兄だけを連れて行くと言い

「あんたはもうちょっと大きなってからな」

 と言うのに駄々をコネにコネた末

「映画館連れてったるから」

 と言う母親の言葉に渋々折り合いをつけたものの、兄だけがどこか遠いところへ行って旨いものを食っておもちゃを買ってもらったりする事を思うと、悔しくて悔しくて涙が出た。特に自由に遠くへ行ける寅さんを観ていると余計に気持ちが逆撫でされて、映画を楽しむどころではなかった。

 それから大きなってからも旅行には連れて行ってもらえなかったが、祖母には小さい頃からよく小遣いをもらった。大きなってからも金に困ると祖母の家に行き、いつも小遣いと言うには少々多目の金の入ったポチ袋をもらった。役者を志し、上京を決意したことを告げた時も、心から応援しているようには見えなかったが、「足しにし」と言って五万もくれた。さすがに少し申し訳ない気分になったので、祖母が大ファンである杉様といつか共演してサインもらってくるからと言うと、祖母は「楽しみにしてるわ」と苦々と笑った。それから数年経ち、東京でアルバイトに追われる日々を過ごしていた頃、祖母が長く入院していて、先が長くないと母から報せがあった。

 日をおかず、尼崎の国道沿いの真新しい病院に祖母を見舞った。当然ながら祖母は昔からずっとおばあちゃんだったが、思い返せばかつては髪は黒かったし、旅行が好きで、タバコを吸いながら麻雀している姿は威風堂々とすらしていた。上京する前に会った時には歳をとったとは言えそんな面影を残してはいたが、病室のベッドに横たわる祖母は、全体的に真っ白で、話すことも表情を動かすこともままならない様子だったが、どうやら喜んでくれているようだった。祖母は絞り出すように

「元気にしてんの?」

 と聞くので、東京での事や、彼女が出来たこと、その彼女を実家に連れて帰ったら、それまでに見たことがないほど父が陽気で気持ち悪かったことなどをベラベラと話したが、祖母からは特に反応はなかった。

「お兄ちゃんは来えへんの?」

 話が尽きて、沈黙ができたところで祖母がそう尋ねた。

■三つ年上の兄はアメリカに留学していた

 三つ年上の兄は、大学を出た後、アルバイトで金を貯め、アメリカに留学していた。それからすでに七年以上が経っていたが、帰国した様子もなく、ほとんど連絡を取ることもなかったので、どこでどうしているのかも分からなかったし、そもそも仲の良い兄弟というわけでもなかったので、正直言うとあまり興味がなかったが、祖母が「連れてきて」と掠れた声で何度も頼むものだから、必ず連れてくると約束した。すると祖母はベッド脇に置いてあるポーチを取るように言った。それを手渡すと、あまり自由の利かない手で中からポチ袋を取り出した。喉から手の出るほど欲しかったが、さすがに受け取れないと断ると、祖母は何も言わずポチ袋を突き出してくるので、結局喉から手が出てしまった。彼女はさらに小銭を寄越して言った。

「キャラメル」

 グルメで甘いものが好きな祖母が、病院食以外を口にすることができないと言うことは母から聞いていて、それが祖母にとっていかに辛いことかは容易に想像ができたので、駄目な事とは承知の上で、小銭を受け取り売店へと向かった。

 病室を出てポチ袋の中を見ると一万円が入っていた。その途端、祖母の優しさと己の浅ましさが込み上げてきて、トイレに駆け込んで声を殺して泣いた。

 キャラメルを買って病室に戻ると祖母はその日一番の笑顔を見せた。これまでの恩をほんの少しだけ返せたような気がした。

 キャラメルの箱を開けると祖母は待ちきれないかのように口をあんと開けるので、包みをむいて「いっこだけやで」とその小さく開いた口にキャラメルを一つ落としてやった。その瞬間、祖母は目を見開いてもがもがと言いながらどんどん顔を紅潮させてもがきだした。キャラメルが喉に詰まったのだと理解するのに少し時間がかかったが、それとわかるやナースコールを押して廊下に飛び出して大声で看護師を呼んだ。

 かけつけた看護師に事情を説明すると、手早く祖母の口に指を突っ込んでキャラメルを取り出してくれた。看護師に怒られて泣きそうになりながら謝り、咳き込み苦しそうな祖母にも何度も謝った。咳が少し落ち着いた祖母は、苦しそうに

「殺す気か」

 と絞り出した。

 もう休ませるからと看護士に半ば強制的に帰らされた。駅までの道はあまりにも情けなくて泣くに泣けなかった。

■兄から一通のメールが届いた

 その夜、新宿行きの深夜バスを待つ間、父に電話をし、兄のことを聞くと、大学を中退し、寮からも出て長い間連絡が取れず、心配ではあるが父も母も英語が全くできないので、どうして良いのか分からないと言う。

「お前英語できるんか?」

 そう聞かれて、どちらかと言えばできなかったが「多少は」と答えると、メールで兄の大学や前の住所などを送るから、それを元に探して欲しいと頼まれた。面倒ではあったが、祖母のためにも探す事にした。

 それから数日して一通のメールが届いた。それは父からではなく兄からだった。

 《永く連絡がなくてごめんなさい。こっちは忙しい日々を過ごしていますが、風邪をひくこともなく元気にしています。

 お父さんから僕を探して欲しいと言う旨のメールが僕に届きましたが、こっちは何も心配いらないので探さないでください。》

 父からのメールがなかなか届かないと思っていたら、間違って兄に送ってしまったようだった。それはさておき、兄からのメールの文面には少し憤りを感じ、すぐに返事を書いた。

 ビザも切れているだろうに未だにアメリカでブラブラとしているあなたを特に心配はしておらず、両親共に元気にしているからこちらの心配もする事はないが、兄弟そろってお世話になりっぱなしだった祖母が病床に伏して、弱った体で兄に会いたいと願っているから帰ってきてやってほしい。金はないけど飛行機代くらいならなんとかする、と言った内容を少し強めの語調で書いて送った。

 兄の返事はいつまで経っても来ず、半年を待たずして祖母は帰らぬ人となった。杉様のサインも、兄を連れてくると言う約束も、なにひとつ果たせず、何も恩返しできないままにおばあちゃんは逝ってしまった。

 生まれ故郷の尼崎と似た空気のある横浜の鶴見に家族三人で居を移し、どれだけ返しても減らないように感じられた借金をようやく完済し、今まで通ることのなかったクレジットカードの審査にも通り、そろそろ生活に「余裕」の二文字が見えるような見えないような状況で、冬は外よりも寒くなる家賃八万円の一軒家で迎える冬も三度目となり、どれだけ暖をとっても夜明けに目を覚ませば室内でも吐く息は凍り、手足がかじかむほどの厳しい冬を過ごすのはこれっきりにしようと、引越しを決意して人生でほとんど経験したことのない貯金を妻の主導のもとにはじめた上京十五年目の秋の終わり頃、事務所から一本の電話があった。電話主は事務所に勤め始めてさほど経っていないデスクを担当する女性だったのだが、彼女の言葉は思いもよらぬものだった。

「お兄さんっていますか?」

■アメリカで日本人男性が倒れて入院

 彼女によると、アメリカのミシガン州に住むジョンと名乗る男性から国際電話があったと言う。そのジョンさんによると、ジョンさんの奥さんのかつての同僚の日本人男性が倒れて入院していて、重体なので家族に連絡を取りたいが、本人の口から家族の連絡先を聞き出すことができなかったそうだ。だが、その男性が倒れる前に弟が日本で俳優をしていて、アメリカでも公開された邦画に出演していると言っていたのを思い出しその映画のクレジットから同じファミリーネームの出演者を探し、その俳優の所属する事務所に電話してきたのだと言う。

 名前や年齢、その他の話を聞くかぎり、その日本人男性は二十年前にミシガンに留学した兄に間違いなさそうだったが、その兄が倒れた理由が脳卒中だと聞いて耳を疑った。テレビや新聞などで見聞きはしても、周りに罹患した人もなく、なんとなく高齢者のかかる病気だと思っていたし、高校・大学と七年間ラグビーを続けた屈強な兄が、四十代半ばでそんな大病にかかるなど信じられなかった。そもそもそのデスクの女性が英語が堪能だとは聞いた事もなかったので、ジョンさんは病気の事を英語でなんと言っていたのかを尋ねると「ストローク」と答えたので、それは恐らくstrike(打つ・殴る)の過去形か何かだから、事故か何かで頭を強く打ったのではないかと勝手に解釈した。デスクの女性は納得しかねる様子だったが、ジョンさんの連絡先をメールで送りますと言って電話を切った。電話を切るとすぐにジョンさんの電話番号とメールアドレスが記されたメールが届いた。いきなり国際電話をかける勇気はなかったので、メールを送る事にして、連絡をくれた事への謝意と彼の弟である事、そして兄の容態とこちらはどうすべきなのかと、翻訳サイトの力を借りて手短に記し連絡先と共に送信した。

 あまりにも突然すぎる報せだったが、妙に落ち着いていて不安な気持ちでもなく、強いて言うならば、煩わしかった。二十年間どこで何をしているのかもわからず、世話になった祖母の今際にも姿を見せなかった兄に怒りにまかせて

「兄でもなければ家族でもない」

 といったメールを送ったきりで、以降兄の事を考える事もなかったので、ここにきて去来するのは兄との思い出よりも、遠く離れた土地で、どうせロクでもない事でもやって人様に迷惑をかけているのであろう兄に対する非難と失望だった。そのような事を考えるでもなく考えていると、パソコンの通知音がメールの返信を報せた。

 一万キロも離れた場所へ送ったメールはわずか十分足らずで返って来た。そこには簡単な挨拶の後に、連絡先を兄の入院する病院に転送したのですぐに看護師から連絡があるだろうと言う旨に、その病院の名前と住所と連絡先が記されており、それに続いて兄の病状についてこう書かれていた。

 Your brother had a stroke and has bleeding on the brain.

 ネットで調べてみるとstrokeはstrikeの過去形ではなく、脳卒中という日本語に訳されていたし、ジョンさんはご丁寧に脳から出血していると説明してくれていた。改めて脳卒中について調べてみて、ようやく事態は思ったよりも深刻だと理解し、大きく溜息をついて目を閉じた。

 ほどなくして携帯電話が着信を告げた。画面に映る見慣れない電話番号の下にはミシガン州・アメリカ合衆国と表示されていた。

つづく

(松尾 諭)

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