『キャプテン翼』通巻100巻! 高橋陽一が語る「三杉くんが日本にオフサイドトラップを浸透させた」

『キャプテン翼』通巻100巻! 高橋陽一が語る「三杉くんが日本にオフサイドトラップを浸透させた」

©文藝春秋

 1981年に「週刊少年ジャンプ」で連載を始めた『キャプテン翼』のコミックスが、今年6月にシリーズ通巻100巻の節目を迎えました。

 連載を始めて36年、苦しくて描き続けるのがしんどい時期もありましたが、ちょっと休むと「また翼たちを描きたいな」と思えた。そんなキャラクターを生み出せたからこそ、ずっと描き続けられているのかもしれません。

 今ではサッカーが盛んな欧州や南米を中心に、世界中の国で『翼』のアニメが放映されており、漫画も約20の国と地域で出版されています。現役の世界各国の選手たちが「子どもの頃にアニメを見ていた」と思い出を語ってくれるようにもなりました。

 実は僕は高校までは野球部に所属しており、サッカーは体育の時間にやったことがある程度。ただ、見るのは好きでした。1978年のサッカーワールドカップの中継を見てその魅力に初めて気づいたのですが、アルゼンチンのケンペスら世界的スターのプレーは華やかで……。当時の日本の国内リーグ、三菱対ヤンマーといった試合とはまったく別物でした。

 スポーツ漫画の世界ではそれまで野球が絶対的な王道でしたが、すでに描き尽くされている感もあった。逆にサッカー漫画はほとんどなかったので、チャンスだと思っていたのを憶えています。また打順やベンチからのサインなど様々な制約がある野球にくらべ、サッカーは選手の自由度が大きく、スポ魂的な大人に“やらされる”という雰囲気もなかった。だから双子選手によるツインシュートなど、「ぎりぎりアリかな」と思えるプレーを作中に登場させられたのかもしれません。

 読者からの反響で印象に残っているのが、「『翼』ではじめてオフサイドトラップが理解できた」というものです。日本代表戦をお茶の間で見るようになった今ではメジャーになっていますが、当時はマイナーなわかりづらいルールでした。作中の南葛と武蔵の試合で三杉くんがトラップをしかけたことで、サッカーフリーク以外の少年たちにも浸透したと言ってもらっています。また、甲子園のような負けたら終わりのトーナメント方式が一般的だった時代に、予選リーグ&決勝トーナメントという大会形式を描いたのも『翼』が始めてだったのではないかと思います。その意味でも、多少なりとも日本でサッカー文化の普及に貢献できたかもしれません。

 連載開始時、日本にはプロリーグが存在せず、子どもたちがプロサッカー選手になるという夢を描けない時代でした。現実の世界で奥寺康彦選手や三浦知良選手が海外に渡ってプロになったように、主人公の大空翼を海外移籍させることは当時から自分の中での自然な展開でした。実際に作中でブラジルやスペインのクラブに移籍させました。

 翼をスペインのFCバルセロナに移籍させた時は、ライバルであるレアル・マドリードの関係者から「なぜオリベル(翼のスペイン語名)をうちに入れてくれないんだ」と抗議がきました。世界的な強豪からの率直な反応に驚きましたが、実は九八年にバルセロナの本拠地「カンプノウ」に実際に足を運び、すり鉢型の劇場のようなスタジアムでプレーする選手を見て、「ここで翼をプレーさせたい」と思っていたんです。こんな理由ではレアルは納得してくれないと思いますが(笑)、現実の試合やスタジアムから影響を受けることも多いです。

 今年は漫画のアラビア語版が刊行され、大使館やNPOを通じてドイツなどで暮らすシリア難民の方々にも配ってもらいました。また、過去には自衛隊から「地元の子どもに安心して使ってもらえるように」と、給水車に翼の絵を貼らせて欲しいという依頼があったり、スーダン政府から作業員が仕事に誇りを持てるように、ゴミ収集車に絵を描いてと頼まれたこともあります。

 僕は日々漫画を書くことに精一杯で、いい作品を残すことしか考えていません。ですから国際問題に特に詳しいわけではありませんが、翼というキャラクターが世界に知られるようになり、作者の手を離れて平和に貢献してくれるのは素直に嬉しいです。

『キャプテン翼』は、翼が加わった日本代表がワールドカップで優勝するまで描き続けたいと思っています。現実の日本代表には作中より早く優勝をして欲しいのですが、最近はチームの成長がやや足踏み状態。日本代表は強くあって欲しい、というのが連載開始当初からの思いなので、翼たちより早く夢を実現して欲しいです。

(高橋 陽一)

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