YMO“幻のメンバー”横尾忠則が語る「僕が細野さんにテクノ・ミュージックを紹介した日」

YMO“幻のメンバー”横尾忠則が語る「僕が細野さんにテクノ・ミュージックを紹介した日」

【1979】8月、YMO初の海外公演のために渡米した(左から坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏)ロスアンジェルスにて

 コンピューターを駆使した斬新なサウンドで世界を沸かせて40年。YMOを追い続けた写真家・三浦憲治氏の作品集『 40 ymo 1979-2019 』が8月26日に発売された。同書からスペシャルカットを特別公開し、彼らをよく知る人物の言葉と共に輝き続ける3人の足跡を辿った。

 (取材・文=吉村栄一)

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 最初に細野晴臣さんと会ったのは1978年。いきなり訪ねてきたんだ。

 それからすぐに一緒にインドに行って、『コチンの月』というアルバムを作りました。

 このインド旅行中、僕が熱中していたジャーマン・ロックのテクノ・ミュージックを細野さんに紹介したんだけれど、それがYMO結成のヒントにもなったんだと思う。

 細野さんはそれで僕を音楽通だと思ったんでしょう。すぐにYMOに勧誘された。ぼくとしても乗り気で結成記者会見にも出る気でいたのだけど、締め切りに追われて出られなかった。それでもういいやと。そういえばあの締め切り、週刊文春の仕事だったのかもしれないね(笑)。 

 YMOでは、きっとジャケットや舞台セットを考える役になったのだろうけど、音楽バンドに音楽をやらないメンバーがいるというのは当時としては斬新な発想でしょ。

 しかも運命のいたずらで幻のメンバーになってしまったことで、いまもこうやって話題になる。存在しなかったことで逆に存在感が発揮される。これもまた斬新でおもしろい。

 YMOには入らなかったけれど、メンバーのみなさんとはいまも交流が続いてます。細野さんとはこれまで10回位対談して、そのうち本になりますけれど、対談と対談の間があくので、前回の内容を忘れていつも同じ話ばかり。同じ話がミニマルに繰り返される様はテクノですね。

 坂本さん、高橋さんにも、時々お目にかかりますが、まだ4人揃って会ったことがないので、4人で写真を撮ってもらいたいなあ。

撮影=三浦憲治

よこおただのり/1936年6月27日生まれ。兵庫県出身

(横尾 忠則/週刊文春 2019年8月29日号)

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