「ぼくは彼が怖い」 41歳になったオードリー若林の「一番つぶしたい男」とは?

「ぼくは彼が怖い」 41歳になったオードリー若林の「一番つぶしたい男」とは?

41歳になったオードリー若林正恭 ©文藝春秋

 お笑いコンビ・オードリーの若林正恭が、きょう9月20日、41歳の誕生日を迎えた。この1年は、若林にとってさまざまなことがあった。中学・高校の同級生である春日俊彰と組むオードリーとしては、ラジオのレギュラー番組『オードリーのオールナイトニッポン』の10周年を記念して、昨年より全国各地をまわるライブツアーを実施、今年3月には日本武道館で3時間半ものライブを行なった。武道館ライブのクライマックスでは、春日と二人きりでステージに立って漫才を披露する。終わって暗転した途端、会場中から拍手喝采が起こった。若林はこのときの感想を、《オードリーの物語があったとして、中学2年の出会いの場面から始まるとしたら、本当にここで終わっても全然良かった》と記した(※1)。

■「ぼくが一番潰したい男のこと」

 武道館ライブの翌月、春日がテレビ番組で11年交際してきた女性にプロポーズした際には、若林もその場に立ち会い、号泣した。さらに6月、若林とかつて「たりないふたり」というユニットを組んでテレビ番組や漫才ライブを一緒にやった仲である山里亮太(南海キャンディーズ)が女優の蒼井優と結婚する。若林は、結婚発表のあったその週の『オールナイトニッポン』で、非モテキャラで売っていた山里について、「きょうはうれしい。もう営業妨害にならないから、めちゃめちゃモテてたこととかも言っていいんだもんね」などと、ちょっとひねった形で祝福してみせた。

 昨年、若林は、山里が旧著に大幅加筆・修正して文庫化した自伝『天才はあきらめた』に、「ぼくが一番潰したい男のこと」と題して解説を寄せた。山里への嫉妬をあらわにしながらも、愛情に満ちたその解説文の終わりがけ、若林は《彼が、[引用者注:相方のしずちゃんやライブの観客などに対する]愛をさらに膨らまし伴侶を見つけでもして、人情系あったかMCになるのがぼくは怖い。/それだけは、阻止しなければならない。/みんなで監視しないといけない》と書いていた(※2)。山里が現実に伴侶を得たいま、若林はますますこの思いを強くしているのではないだろうか。

■30歳でようやく「社会人1年生」に

 この解説文からもうかがえるとおり、若林の文才はすでに知られるところである。2016年にキューバを一人で旅した体験をつづった『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(2017年)は、昨年、日本旅行作家協会主催の斎藤茂太賞を受賞した。本の情報誌『ダ・ヴィンチ』での連載をベースとしたコラム集『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』(2015年)および『ナナメの夕暮れ』(2018年)は、人見知りで自意識過剰だった若林が、自分と向き合いながら、30歳をすぎてやっと社会と折り合いをつけていくさまをつづった記録である。

 若林は2000年、春日と「ナイスミドル」(2005年にオードリーと改名)を結成し、お笑いの世界に飛び込む。だが、20代のときは、ほかの誰かの漫才の形をなぞるだけで、自分たちのスタイルをずっと見つけられずにいた。《だから、自分と春日の最大公約数的なものがちゃんとつくれて、それを一度でもテレビで披露できたら、お笑いはきっぱりやめようと思ってた》という(※3)。その目標は2008年正月に初めてテレビで漫才をして達成され、「やっとこれでやめられる」とすっきりした気持ちになった。しかし、そのあとすぐにネタ番組ブームが起きて、仕事が一挙に増え、やめるどころではなくなる。さらにその年のM-1グランプリに出場すると、暮れの決勝で準優勝して、たちまち脚光を浴びた。

 若林は30歳にしてブレイクを果たし、初めて自分が社会に参加しているという感覚を味わったという。彼はこのときを「社会人1年生」とカウントする。それでも『ダ・ヴィンチ』で連載を始めた「社会人2年生」の時点では、《スタバとかでコーヒーを頼む時に「トール」と言うのがなんか恥ずかしい。「グランデ」なんて絶対言えないから頼んだことがない》と、まだ自意識過剰がはなはだしかった(※4)。それも10年後、40歳を前にしたころには、《こういう気持ちはどこから来るかというと、まず自分が他人に「スターバックスでグランデとか言っちゃって気取ってんじゃねぇよ」と心の内で散々バカにしてきたのが原因なのである。/他者に向かって剥いた牙が、ブーメランのように弧を描いて自分に突き刺さっている状態なのである》と自己分析できるまでになる(※5)。

■「40代でやるべき表現を見つけた」

《他人への否定的な目線は、時間差で必ず自分に返ってきて、人生の楽しみを奪う》(※5)。そのことに気づいた若林は、「肯定ノート」なるものをつくり、自分でやっていて楽しいことを徹底的に書きこんでいった。最初は散歩と、高校時代に部活でやっていたアメフトを観ることぐらいだったのが、日に日に増えていく。そのうちに、若いときには「おっさんになってもそんなことやらねぇよ」と思っていたゴルフも始め、すっかりハマってしまった。彼は、自分が本質的にはネガティブな人間であると自覚している。しかし、肯定ノートをつけながら自分の好きなことをどんどんつくっていくうちに、《僕のようなネイティブ・ネガティブが人生を生き抜くには、没頭できる仕事や趣味は命綱と同等の価値がある》と発見したのである(※5)。

 ただ、若林が自意識過剰を克服できたのは、そうした努力ばかりでもないらしい。一方では、歳を重ねて自意識に悩む体力すらなくなってきたとも書いている。おかげで先述の『オールナイトニッポン』10周年記念のライブツアーでは、かつて抱いていた“ハイセンスだと思われたい”というような自意識を忘れて、春日とラジオでいつも話している感じのくだらない設定で漫才をすることができたという。同ツアーの最中には、《こないだなんて、「瞬間移動ができるかどうか」ってネタで20分もやりましたから。30歳の時なら絶対に耐えられなかった設定です(笑)》と語っていた(※6)。それでも彼はたしかな手応えを感じた。

《漫才を終えて、舞台袖に戻ってきた時、40代でやるべき表現の初心を?んだ手応えがあった。/エネルギーを“上”に向けられなくなったら終わりではない。/“正面”に向ける方が、全然奥が深いのかもしれないと思えたのだ。(中略)昨日より今日の方が感覚的に若くなるということが、実際にあるんだなと驚いた。/それは、何歳になっても“昨日より伸びしろが広がることがある”という新発見だった。/これが?めたなら、過剰な自意識を連れ去ってくれる体力の減退も悪くはない。/自意識過剰な人間は、歳を重ねると楽になって若返る》(※5)

 オードリーが活動を始めたのは、M-1をはじめとするコンテストが世間の注目を集め、またネタ番組がブームとなり、お笑いファンの求めるレベルも急上昇していった時期である。そのなかで芸人はいわばアスリートと化し、常にプレッシャーと戦いながら、ときには実力以上のことにも挑まねばならなかった。しかし、歳をとれば、どうしたって無理が出てくる。確実に体力が目減りしていくなかで、いかにネタを続けていくか。オードリーはその一つの答えを示したといえる。来年には結成20年を迎えるが、自意識を捨てて“若返った”若林が、春日とともにどこまで突き抜けていくのか、今後も見逃せない。

※1 『オードリーとオールナイトニッポン 最高にトゥースな武道館編』(ニッポン放送)
※2 若林正恭「解説 ぼくが一番潰したい男のこと」(山里亮太『天才はあきらめた』朝日文庫)
※3 『小説トリッパー』2018年秋季号
※4 若林正恭『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』(角川文庫)
※5 若林正恭『ナナメの夕暮れ』(文藝春秋)
※6 『週刊現代』2018年11月10日号

(近藤 正高)

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