「麻原彰晃がただのモチーフになるとき」国際的アーティスト池田学が語る“法廷画家時代”

「麻原彰晃がただのモチーフになるとき」国際的アーティスト池田学が語る“法廷画家時代”

(c)佐藤亘/文藝春秋

?  国内外で注目を集める画家・池田学さん。構想2年、制作に3年3ヶ月をかけた大作『誕生』を中心とした 「池田学展 The Pen―凝縮の宇宙―」 が日本を巡回、9月27日からは東京・日本橋高島屋にて開催される。インタビュー後編は、池田さんの知られざる「法廷画家」時代のお話を中心にお伺いした。

■「キャプテン翼」をノートに描いていた少年時代

――池田さんはもともとサッカー少年だったそうですね。

池田 そうなんです、自分が絵描きになるなんて全然思ってなかった。子どもの頃は外に出て体を動かすことが大好きで、小学校からサッカーに夢中でした。絵を描くのはもともと好きだったので、「キャプテン翼」をノートに描いてましたね。で、中学と大学はサッカー部です。

――高校はサッカー部じゃないんですか?

池田 高校は中学校の美術の先生に薦められて、佐賀県立佐賀北高校の芸術コースに推薦入学したんです。芸術コースは部活も美術部と決められていて、他の部に入っちゃいけないんですよ。だから、明けても暮れても美術の毎日でした。

――芸術コースは1学年何人くらいいたんですか?

池田 50人くらいで、そのうち半分が美術、もう半分が音楽と書道でした。そこから美大に行く人もいれば、美術教師を目指して教育大に行く人もいましたね。僕は2浪して藝大に入りましたけど、同級生でアーティストになったのは何人いるかな……。日本画を描いている同級生はいますね。あとはホンダで車のデザインをする仕事をしていたり、さまざまです。

――展覧会では高校時代の恩師、金子剛先生に宛てた年賀状や絵手紙も展示されますが、池田さん、字が上手ですよね。

池田 え、そうですか? 特に習字を習っていたわけでもないんですけど……、でもよく言われたのが「画がうまい人は字もうまい」って。それは何となくわかる気がしていて、画も字も四角の中にどういう大きさで、どういう位置に形を並べるか、というバランスの問題なんですよね。あと、父が書く字は上手だったんです。そういう影響もあるのかもしれない。

■初めて描いた法廷画は「松本智津夫」

――池田さんは2000年から朝日新聞で、裁判の様子をスケッチする「法廷画家」の仕事をされていましたよね。珍しいお仕事だと思うのですが、きっかけは何だったんですか?

池田 1995年に地下鉄サリン事件が起き、オウム真理教の麻原彰晃が逮捕されてから、一連の「オウム裁判」に向けて各メディアが藝大に法廷画家アルバイトを探しによく来ていたんです。とにかく人手が必要だった。そこで、藝大生だと時間もあるし、テクニックもあって描けるし、重宝されたんですよ。で、最初は同級生がやっていたんですけど、その子らが就職することになって僕に引き継いでくれたんです。

――けっこう長いこと法廷画の仕事を続けますよね。

池田 裁判は毎日やっていても、画が必要とされるものはほとんどないですからね。1ヶ月にいっぺん、3ヶ月にいっぺんという感じだから続けるというか、辞めるタイミングも特になかったんです。

――初めて描いた法廷画は何の裁判だったんですか?

池田 松本智津夫が出廷するオウム裁判です。

――いきなり大きな裁判だったんですね。

池田 確かに「あの麻原彰晃か……」という思いはありました。でも、そういう思いは「起立」と号令がかかって法廷内の全員が礼をして、法廷に松本智津夫が入ってきて被告席に座る、そこまでで終わる感じでした。変な喩えかもしれませんが、ヌードデッサンと同じなんです。女の人が入ってくるときはドキドキするんですけど、実際に脱いでポーズをとっちゃうと、絵を描くほうにとっては「ただのモチーフ」になってしまう。オウム裁判に限らず、殺人事件の公判などでもそうでしたが、被告の入廷までは「凶悪な事件を起こした人間というのはどんな人なんだろう」という思いを持ちます。でも、いざスケッチを始めたら、そんなことを考える余裕がないんです。事件の内容がどんなものだったとかは頭から消えて、ただ即物的に、描くことに専念しなければならない。

■ホリエモン、のりピー、秋葉原事件…… 裁判を描きながら考えたこと

――法廷でスケッチできる時間は限られているんですか?

池田 僕のときはだいたい5分から10分でした。オウム裁判の時は各メディアが雇った法廷画家が20人くらいいたんです。それを1つ、あるいは2つの席で回す。タイムキーパーがいて、時間が来たら次の人と交代。それで上の階に行って清書して、記者さんに渡す。記者も忙しいので、渡したそばから目も合わせないで「お疲れさま」って持って帰っちゃう感じのときもありましたね。もう、ドタバタなんですよ、法廷画の現場って。

――スケッチする場所は、傍聴席と同じ側なんですよね?

池田 そうです。なので、そこから見える表情や情報をできる限りスケッチして、清書の時には「裁判官の側から見たらこうだろうな」と想像したり、傍聴を続けていた記者から「こんな仕草をしていたよ」という話を聞いて、イメージを付け足しながら描いていくんです。特に朝日新聞は他紙と差別化したい思いもあってか、もっといろんな角度で描いてとリクエストがあったので、よりドラマチックになるように上からの俯瞰図にしたり、アップにしてみたり、けっこうデッサン力が試されましたね。

――ちょうど裁判員制度が始まる時期にも法廷画を描いていますね。

池田 裁判員の方々にも、いろんな思いが錯綜しているとは思うんですが、心の内を描くことはできないですよね。緊張もあるかもしれませんが、みなさん感情を表に出さないように努めているような雰囲気を感じました。

――それにしても、いろんな裁判を描かれています。マンションの耐震強度偽装事件の姉歯秀次被告、西武鉄道株事件の被告となった堤義明元会長、大相撲八百長裁判で東京地裁の証言台に立った現役横綱時代の朝青龍とジャーナリストの武田頼政氏、秋葉原事件の加藤智大被告、ライブドア事件の堀江貴文被告、覚せい剤取締法違反の酒井法子被告、保護責任者遺棄致死などの罪に問われた押尾学被告……。

池田 そういった大事件の裁判は、ほんの一瞬傍聴席にいただけという感じで、ほとんど裁判のことは覚えていません。ただ、新聞社からゆっくり傍聴して描いて欲しいと言われた裁判もありましたし、自分からすすんで聞いた裁判もありました。

――たとえばどんな裁判ですか?

池田 少年が母親を殺してしまった事件の裁判とか、新潟少女監禁事件とか、オウム裁判ではVXガスを使った襲撃事件の裁判ですね。ただ、法廷画家の経験や裁判を傍聴した経験が、自分の作品にどう影響しているか、と聞かれると難しいんです。法廷の世界と、僕が描いている世界はお互い関与しないというか、違うんです。法廷が法と社会の人間世界であるなら、僕の作品は無秩序と混沌がある自然界をテーマにしていると思っているので。

■陸前高田で聞いた「津波で海がきれいになった」という言葉

――池田さんの作品にある「自然」には、生い茂る自然とともに、朽ちていく自然もあるように感じます。たとえば、『再生』という作品は、伊豆を訪れた際に見た座礁したタンカーが波に洗われている様子に着想を得たそうですが、朽ちていく船体の表面に、サンゴなどの新しい生が付着している姿をモチーフにしています。

池田 そうですね、生と死は背中合わせであるというのは、僕の中で変わらないテーマなのかもしれません。『予兆』という作品を描いている時には父方の祖母が亡くなり、祖母が仏さんに連れられて上へ昇っていく様子を描き込みましたし、『興亡史』は母方の祖母のお葬式の様子を描いたものです。新作の『誕生』も制作期間の間に亡くなった人のことを思いつつ描いた部分もあるし、逆に自分に子供が生まれたこともあって、「生」という意味合いも込めているところがあります。

 そういう意味で、僕、震災後の陸前高田で乗ったタクシーの運転手さんに言われた言葉が忘れられないんですよ。

――どんな言葉なんですか?

池田 「津波で海がきれいになった」って。海底が全部きれいにさらわれて、海が新しく生まれ変わったということですよね……。多くの人が亡くなった、言葉にできないほどの震災ですが、大災害を経てなお生まれる命や再生というものが確かに存在するということを、あのタクシーの運転手さんに教えてもらったような気がしています。 

■作品をよく観ると見えてくる「日本的モチーフ」

――池田さんは波をよく描かれている気がしますが、海は近しい環境にあったんですか?

池田 生まれたのは佐賀の内陸ですし、父とよく行った釣りももっぱら川釣りでしたから、それほど身近ではないです。ただ、バンクーバーに住んでいた時は海辺の町だったので、生活の中に海があったし、震災があってからは波を意識せずにはいられなくなった。それから、2012年のことなんですが、オレゴンに行った時に見た、断崖絶壁からの波の表情が面白かったんです。魅せられた、というやつですね。岩に当たってできる波模様とか、泡の飛沫とか、海面に映る模様とか、ほの暗い水底の色とかが、きれいだったり、怖かったり。波というものをじっくり見たのは、それが初めてのことだったのですが、海や波というものに意識的に取り組むきっかけの一つにはなっていると思います。

――池田さんの作品でよく見受けるモチーフとしては鳥の群れも指摘できる気がしています。『誕生』や『Gate』にはそうした構図が登場しているんですが、何となく日本っぽいというか、日本画っぽい感じがしました。これは意識的に描いているんですか?

池田 日本的なテイストとして意図的に入れています。バンクーバーから拠点を移して、いま3年ほどアメリカ住まいをしていますが、どうしても日本人アーティストとしての期待をされるところはあるんですよ。作品を観てくれる人も、日本的モチーフを探しながら愉しんでくれているというか。そうした思いに応じている感じかな。

――作品に日本画の画材を使ったことはないんですか?

池田 ないですね。ただ、墨絵には関心があって、自分でも何か展開できないかなとは思ったりします。藝大で教わった日本画家の中島千波先生に、機会があったら考えを伺ってみたいと思ってます。

――次回作の構想は、もう頭の中にはあるんですか?

池田 そうですね、なんとなくはあるんですが、本格的にはアメリカに帰ってから考えようと思っています。一つだけ言えることは、『誕生』みたいな3メートル×4メートル級の大きさにはならないだろう、ということですね(笑)。

写真=佐藤亘/文藝春秋

いけだ・まなぶ/1973年、佐賀県多久市生まれ。2000年、東京藝術大学大学院美術研究科デザイン専攻修了。04年からミヅマアートギャラリー所属。13年よりアメリカ・ウィスコンシン州マディソンに滞在。作品に『再生』(01年)、『興亡史』(06年)、『予兆』(08年)、『Gate』(10年)、『誕生』(13-16年)など。

INFORMATION

池田学展 The Pen―凝縮の宇宙―
9月27日〜10月9日
日本橋高島屋8Fホール
入場時間:10時半〜19時まで(19時半閉場、ただし最終日は17時半まで入場、18時閉場)
入場料(税込):一般800円、大学・高校生600円、中学生以下無料

(「文春オンライン」編集部)

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