とあるWEB将の一日「お風呂入る時間、ありますか?」

とあるWEB将の一日「お風呂入る時間、ありますか?」

©iStock.com

※こちらは公募企画「第1期“書く将棋”新人王戦」に届いた56本の原稿のなかから「松本渚賞」を受賞して入選したコラムです。おもしろいと思ったら文末の「歩兵ボタン」を押して投票してください!

 松本渚さんの推薦コメント「観る将の生態標本として博物館に飾りたい。それほどに WEBで楽しむ 『観る将棋ファン』の1日を鮮やかに且つ愉快に描いていると感じました。思わず『フフフ』と笑ってしまうような、まるで自分のことを書かれているかのような錯覚に陥るほどの描写力、そして将棋界への愛の深さに感動しました」

 ◆ ◆ ◆

《観る将》はどうやら《イベント参加型観る将》と《ネット中心系観る将》に分かれているようである。

 両方を兼ねる猛者もいるが、今回は私――とある《WEB将》の観戦スタイルをお伝えしたい。

■すぐにおやつの10時がやってくる

 朝、《放映開始前》の画面を見ながらリロードを繰り返す。対局開始時に《定刻》または《帝国》とコメントを入力するためである。

 解説の先生方の挨拶と、両対局者の紹介が始まり、初日の振り返りが盤上で再現される。

 知ってる。会社でこっそり昨日観てた。

 先生がたのお姿チェック。お召し物似合う。小物もチェック。髪が跳ねてる。最近お痩せになった? お飲み物チェック。

 午前。解説の先生方のやわらかトークを聞きつつゆるゆる笑い、アンケートのボタンを押す。次の一手なんか当たるわけないので、先生の一押しを信用する。

 すぐにおやつの10時がやってくる。

 内容の発表を待って甘味を買いに行く。その点叡王戦は優れていて、ローソンからおやつが提供されるのがわかっているので、あらかじめそれらしいスイーツを買いそろえておくのである。バスチーおいしい。

 おやつを堪能しながら、2日目ともなるとやや変調気味な盤面の解説を聞きながら、午前中を終わる。

■君らの目はX線か

 昼が来てもWEB将は簡単には食事をしない。まずは休憩中の詰将棋を確認する。三手詰めは解けるが、五手詰めはだいたい2割くらいが解けない。

 なおも考えつつ待っていると、お昼の速報が流れてくる。それを確認し、スーパーにお寿司を買いにいく。

 待っている間も詰将棋を考えている。解けたら送る。ちなみに何度か正解しているはずだが、当選したことはない。

 午後、先生方が扇子を開き始める。ハゲタカのような目で書かれている文字を読み取ろうとする。最近は筆跡で書かれた方の名前がわかるようになってきた。コメント上で情報の出し合い、分析、推測が行なわれる。君らの目はX線か、ってくらい読む人がいる。

 15時。おやつも発表を待ってから動く。

 ふう、この日2個目のケーキか。

 脳を酷使して、糖分などほとんど蒸発するに等しい先生方と違い、1日2個のケーキのカロリーは私の体重を直撃する。実は、昨日の昼も先生の食事をまねてうな重を食べた。700キロカロリーの激痛。しかし、この2日目午後からのハラハラ具合と心配具合。私の場合は脳ではなく心臓が消費している。私の心が。つまり実質0キロカロリー。

■ここからWEB将の悩ましい時間が始まる

 16時。先生方の和服が乱れてくる。盤面ももう素人には意味不明の奇っ怪な盤面になっている。

 17時半。このあたりで初めて日常的な夕食を取る。頭の中は盤面で一杯。コロッケにドレッシングをかけて頓死する。

 19時。先生方に疲労の色が見え始める。ここからWEB将の悩ましい時間が始まる。

 解説の先生からの「そろそろ終盤ですね」という宣告に我々WEB将は戦慄を覚える。

 ――お風呂入る時間、ありますか――。

 AIの評価は2000に近く、「こっち行っちゃうと終わるかも」「いやこうすると詰みですね」などと解説の先生が、今にも終りそうな見解を述べる。

 そうこうしているうちに22時を大きく回る。

 ――もう終わるんじゃなかったんかい――。自分が風呂に入り損ねた状況を自覚する。

 コメントがざわめき始める。風呂に入る時間はありますか? 今風呂行っていいですか? みんな異常にお風呂が大好きだ。

 これに対し、最近有効な返答が用意された。

「スマホ防水袋に入れて風呂入れ」

 その合理的な集合知で我々の観戦QOLは進化している。だがそうしたが最後、終局まで風呂の中で観るだろう私の命が危ないから却下だ。

■深浦先生が「大丈夫」と言えば……

 そんな私の救世主は深浦先生だった。

 TOP中のTOP棋士、深浦先生が「もうそんなにかからないと思います」と言えばお風呂は待つし、「大丈夫」と言えば髪だって洗ってきちゃう。

 その信頼は厚く、多くの視聴者が先生のお言葉を信じてお風呂に入ったところ、予期できないほど急に試合が終わってしまい、お風呂チームは終局をバスルームで迎えるという事故が起こった。

 だがこれが将棋であり、これが将棋の面白さだ。

 頓死などは想定外のドラマで、疲弊が、読みヌケが、うっかりが、二歩が、私の風呂を後悔させる。

 これには例外がある。深浦先生ご本人だ。

 時刻は20時、とっくに終盤が宣告され、ご本人の評価値は−2000。

 普通なら、風呂に入るか、いや上がったら終わってるかも、シャワーならどうか。嵐の中の柳のような逡巡に嬲られるところだが、深浦先生のときに限り、余裕でおやつの残りを食べてお風呂にも入ります。何ならアイスを持ってモニターの前に戻ってきますよ。

 地球代表泥沼流。これから一局。そんな趣。

 ほらね、まだ終わってないでしょ?(濡れ髪を拭きながら) それほど深浦先生ご本人の終盤の粘り強さには、私からの圧倒的な信頼がある。

 最近、お弟子さんの佐々木大地五段にもこの兆候があり、深夜に及んだ泥沼を見事に泳ぎ渡り、藤井七段に大金星を挙げたのは2019年6月3日の記憶に新しい。お風呂に入れる先生として、私の中で鮮烈デビューなさったのであった。

■なんでそんなに不安を煽るのが上手いんだ

 最終盤。時間を使い果たし、互いに1分将棋。形勢は不明と言いながら、ゆるい手を指したほうが負けですね、1分だから間違うかもですね、などとなんでそんなに不安を煽るのが上手いんだと恨めしくなる解説を聞きながら、前のめりで画面を見る私に新たな試練が発生する。トイレである。

 秒読みで戦う先生方が、そして知る限り何時間も席を立っていない記録係が感じていると同じくらいの尿意がある。

 何という一体感。私たち、対局に参加してる!?

 もう次は指さない。ここで投げるだろう、もう一手指しますかね。いや形作りです。そんな解説やコメントを信じて……信じて……信じて、おや、こんなところに指しますね。まだ粘りますね。

 終わらないじゃない!!(訳:トイレもう無理)

 しかし私には席を立てない理由がある。

 私の視聴時間はすでに、20時間を越えている。

「負けました」そう発声なさるのはほんの2秒足らず。丸一日以上もモニターの前にいるというのに、その一言を聞き逃すのは積み上げた視聴時間という塔を横殴りにする愚行、まさしく台無し。そして痛恨の極みである。

■次回も頼むよ。愛しているよ、運営

 私の膀胱が限界を迎える前に、辛うじて投了が宣言され、辛そうな棋士の様子に涙ぐみ、立ち上がりながら指先を伸ばして888888888を押してトイレに駆け込む。

 個室の中で1人きり、「……そっか」とつぶやいて勝ち負けを受け入れ、手を洗いながら冷静さを取り戻して、いる場合ではない。

 私はアンケート(今日の放送の満足度)のボタンを押さなければならない。画面が揺れようとブラックアウトしようと、音声がダブろうと途切れようと、私は放送が行なわれることの貴重さを知っている。よくやってくれた。次回も頼むよ。愛しているよ、運営。

 この後感想戦である。我々にとっても心の整理の時間である。

 推し棋士が負けたら、静かに泣く。椅子に膝を抱えて、誰とも悲しみを分かち合えずに1人で泣く。それでいいよ。全力だったことを知ってるよ。これからもずっと大好き。推し棋士だもん。信じてる。勝ち負けよりも先生の指し手と構想が好き。

 勝ったときは「よっしゃー」と叫んでお風呂に入る。真夜中の脱衣所で部屋着を脱ぎ散らかし、バブ2個入れちゃうぞー。くらい喜んでいる。

 これがWEB将のとある一日である。

 どっぷり一日将棋漬け。楽しいですよ?

(尾上 与一)

関連記事(外部サイト)