小松政夫「親父さん――植木等のことが、好きで好きでたまらなかった」

小松政夫「親父さん――植木等のことが、好きで好きでたまらなかった」

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「もともと俳優になりたくて、高校を卒業したあと福岡から上京してきたんです。でもお金もないしツテもない。どうすれば良いかもわからず、最初は仕事を転々としていました。これじゃダメだと思って、横浜で車を売る正社員の仕事に就いたんです。車の販売ではトップでしたけれども、やっぱり、芸能界への憧れの気持ちがありました。毎週末、ビアホールに出かけて、『シャボン玉ホリデー』を見ては、植木等の芝居に腹を抱えて笑っていました。植木等が好きで好きでたまりませんでした。そこに、植木等の付き人兼運転手募集の雑誌広告が目に入った。これだ! と思いましたね。いまのお金に換算すれば、月100万は稼いでいましたけど、そんなの全然惜しくなかったですね。ただ、自分は弟子になるつもりで応募したんですが、事務所の方はただの運転手を雇ったつもりでしたねぇ(笑)」

 先日来、NHK総合でご自身の半生を振り返るドラマ「植木等とのぼせもん」が絶賛放映中の小松政夫さん。その師匠、植木等さんとの心の交流を中心に描いた著書、『昭和と師弟愛 植木等と歩いた43年』が上梓された。没後10年になる植木等さんの人間的な魅力を、同書のなかで弟子の小松さんは熱く歌い上げている。植木等さんを、いまも「親父さん」と呼ぶ小松さんは、付き人時代には1日に最低1回は植木さんを喜ばせようと、自分にノルマを課していたのだという。

「全然苦ではなかったです。カーセールスマンの時代には、ノルマ未達の部長に懇願されて、つい先日買ってもらったお得意さんの家へ恥を忍んで夜10時に頼みにいったこともありました。寝ていたお客さんを起して、さらにもう1台新車のハンコを押してもらいにです。ノルマで車を6台売るのに比べたら、親父さんを喜ばすために一生懸命考えることは、むしろ楽しくて仕方なかった。1週間に10時間ぐらいしか寝られない日々でしたけれど、それでも幸せでした。こういう付き人の生活を、10年ぐらい続けることになるのかなぁと漠然と思っていたら、3年10ヶ月で、親父さんはわたしに事務所を紹介してくれて、俳優としてひとりだちのお膳立てまでしてくれた。いまどきそんな人いますか? たぶん、いないだろうなぁ」

 植木等さんにつけてもらった名前で、50年以上、コメディアン、俳優として活躍してきた小松政夫さん。いまでは日本喜劇人協会の会長もつとめる業界の重鎮、名実ともに「小松の親分さん」となった。

「わたしも今年で75歳になりました。でもあと10年は、いや身体が動かなくなるまでは一線でやっていきたいと思っているんですよ。歳をとっても、台本も小道具も要らないひとり芝居ならできる。それが、1つの芸をとことん極めていく生き方だと思うんです」

こまつまさお/1942年、福岡県生まれ。俳優・コメディアン。64年に植木等の付き人兼運転手になり、『シャボン玉ホリデー』でデビュー。その後も伊東四朗との掛け合いによるコントなどで活躍し、数多くのバラエティ、ドラマにも出演している。2011年、日本喜劇人協会10代目会長に就任。

(「週刊文春」編集部)

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