安室奈美恵が私たちに残してくれたもの

安室奈美恵が私たちに残してくれたもの

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  9月20日夜、歌手の安室奈美恵が1年後の2018年9月に芸能界を引退すると発表。1995年、中学生時代は「安室奈美恵になることしか考えていなかった」という作家の鈴木涼美さんが、安室奈美恵と歩んだ約20年を振り返りました。

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 中学校の卒業式、JR横浜駅の近くにある駅前でチラシを配っているような安い美容室で、生まれて初めて髪の毛にメッシュを入れた。いつもは鎌倉市内の母親も通っていた美容院で切ってもらっていたが、メッシュを入れるとなるとそこの店の料金は私には高すぎたからだ。メッシュを入れるときには、櫛の先で髪の毛を少量ずつすくってアルミホイルにのせ、そこにブリーチ剤をつけるのだというのもその時に初めて知った。

 1年ちょっと前に結婚記者会見の頃の安室奈美恵のショートヘアを真似て短くした髪は中途半端に伸びて、おかっぱの長さに白メッシュは似合わなかったし、紫色のトリートメント代をケチったためにメッシュは思ったよりずっと黄色くなってしまった。そもそも思春期で顔も腿もぱんぱんの私が短髪にしたところで小顔の安室とは全くの別もので、どちらかというとちょっと派手な化粧をした山田花子、好意的に見てもせいぜい矢口真里だったので、美容室を出て横浜駅のホームで横須賀線を待つ私は今見返したら目も当てられないほどダサかったと思う。

 それでもその日の午前中にあった卒業式典の後にスミスのルーズソックスに履き替えた私の足はスキップに近いほど弾んでいた。ショートヘアにしたところで、髪にメッシュを入れたところで、ミニスカにブーツを買い揃えたところで、私は全然安室ちゃんではなかったけれど、それでもメッシュを入れる前より1ミリだけ近づいていたはずで、1ミリだけでも近づけたことが嬉しかった。明日から下駄箱の前でこそこそルーズソックスを履いたり、下駄箱の中に1週間も洗濯していないダサい白のぴったりソックスを忍ばせておいたり、少しだけ茶色にした髪に気づかれないようにぎゅうぎゅうに結んだりしなくていいのだという解放感と、1週間後には渋谷の高橋医院でピアスを開けられるという希望も加わって、ニヤニヤしながら電車に乗った。

 小学校から通った女子校は服装の規則が厳しく、生徒が寄り道をしていないか見回る教諭もたくさんいた。仲良しで離れたくない友達は何人かいたが、一瞬休刊したeggはすぐにものすごくパワーアップして復刊していたし、ストニューも月刊誌になったし、スミスは1600円のスーパールーズソックスよりもさらに長いソックスを発売したという噂だったし、私は学校の校風なんかのためにそれらを諦めるわけにはいかなかった。校風より勉強より今まで親が支払ってくれていた学費より、優先すべき事項があり、それを手に入れられる青春を手放したくはなかった。

■「そんなんじゃないよ、楽しいだけ」

 私が小学校6年生だった1995年のMステ年末特番「スーパーライブ95」で、トップバッターを飾った安室奈美恵は、その頃まだバックダンサーとしてスーパーモンキーズ(MAX)を率いてTKプロデュースの最初の曲「Body Feels EXIT」と、最新曲「Chase The Chance」のスペシャルメドレーを披露した。すでに「TRY ME」や「太陽のSEASON」をダンスが完コピできるほど聞いていた私は、彼女たちが着ていたストライプのパンツスーツと、ややブーツカットの裾に合わせたピンヒールの厚底ブーツを目が痛くなるほど凝視して動けなくなった。

 その瞬間、私は何を優先して生きるかを完全に決意した。そして実際、その後何年も「それ」を優先し、「それ」を選び取るためにあらゆるものを犠牲にしたのである。重視すべきは、自分を幸せにしてくれる男でもその男のための媚びでもない。自分の将来を豊かなものにしてくれる文化でもない。未来のための計画性でも貯蓄でもないし、自分がどこに生まれて誰に育てられたかといったことでも勿論ない。

 今、輝くこと、それ以上に優先すべきことなどなくなった。「今」に比べれば、「他」は全てどうでもいいことだと思った。それぐらいに彼女のステージは神々しく、また、今、誰よりもカッコよく輝いていた。そして彼女はそのメッセージすら拒絶して、「そんなんじゃないよ、楽しいだけ」と声高に宣言した。私はその10センチ以上ある厚底ヒールの上に死ぬほど行きたくて、そこからの景色を見たいと本気で思ったのだった。

 そう思ったのは当然私だけではなかったようで、新学期は年末の各歌番組の安室奈美恵の衣装で沸き、私が爪を折って保存していたMステのビデオテープを、うちに遊びに来る友達は全員何回も見たがった。中学の近くにあった大船ルミネのソニープラザでは、彼女の口紅の色を当時安かったメイベリンやクレージュの棚で競って探し回り、マツキヨの整髪剤のコーナーでどうやったらあんなに長いシャギーヘアをツヤツヤに保てるのか議論した。眉毛の形は何百回も失敗しながら研究し、コンビニで安いマニキュアを買って、厚底は無理でもちょっとだけヒールのあるサンダルや月に5000円のお小遣いで買えるイミテーションのアクセサリーを探した。安室奈美恵とは6歳の年の差があって、私と彼女の差はその6年という時間差によるものだろうと、だから6年で埋められると、本気で思っていた。そのためには校則の厳しい学校から渋谷の近くの自由な学校に移ることなど容易かった。

 しかし実は私が高校に入るまさにその時、産休から復帰後2枚目のシングル発売日に、安室奈美恵の母親が殺されたらしい、というニュースが流れる。沖縄県の聞いたことのない街で起きたその事件は、15歳の私にはほとんど異国の地で起きた大事件のように思えたが、その時はそれが自分にどういう意味を持ったのかを考えるすべもなく、ひたすら新曲リリースに合わせてフジテレビの「HEY!HEY!HEY!」に登場した安室奈美恵の姿に見入ることしかできなかった。

 無事にルーズソックスを堂々と履いて茶髪の髪を結ばなくてもいい高校に入学し、年次を駆け上がるにつれ、15センチの厚底ヒールで歩くのにも慣れ、ストライプのパンツスーツや黒ニットとバーバリーのスカートはもうだいぶ古くなって、もう少し自分に似合うギャル服がわかって来た。そのうちに、彼女の思想を受け継ぎつつ、もっと身近な目標はいくらでも見つけられるようになる。109の店員さん、Popteenの表紙の読モ、パラパラサークルの代表、ブルセラショップにたむろする3年生。

 MACの黒人用ファンデが必要なほど日焼けした先輩や、援助交際の斡旋で何十万も儲けていたルイ・ヴィトン狂いの先輩は、もはや安室奈美恵からは独立した別の何かではあったが、私たちがそれを戸惑うことなく追いかけられたのは、根底にあるのが95年の年末に憧れたステージと同じだったからだ。厚底の上から世界を見下ろした私たちは、かつて95年のステージの上の彼女たちがそうであったように、男性のために存在はしていなかった。全ては女子のため、自分の楽しみと輝きのため、だからこその15センチヒールだった。彼女たちや私たちは男性にとっても十分魅力的であったのだが、そんなことも、結構どうでもいいことだった。

 引退の報道を受けてのぞいた安室奈美恵の公式ホームページでディスコグラフィを見ると、掲載されているTKプロデュース以降のCDジャケットが今見ても時代を感じるダサさがないことに驚くが(私が持っている「TRY ME」や「愛してマスカット」のジャケットはそこそこダサい)、それより、小室ファミリーを離れて活動を開始した2001年以降の曲は、私も順番がわからなくなっていたり忘れていたりするものも結構あることがわかってびっくりした。以前と変わらず彼女のCDは全て買い揃えていたのだが、特にSUITE CHICとしての活動の頃は、曲のタイトルも含めてかなり忘れている。それは彼女が産後早々に若い女の子のアイコン的性格を脱ぎ捨て、和製ディーバとして彼女自身の道を切り開いたからであろう。

 彼女の魅力はこの25年一度も衰えたことはない。むしろ95年より今現在の方がさらに洗練されて美しく、ダンスも歌も年々磨きがかかっているが、確かにいつのまにか私たちは彼女の口紅と似た色を必死で探すようにしては彼女の背中を追わなくなった。自分たちが年をとって身の程を知ったというだけではない。

 まるで海外のゲットーの事件のように思えたような形で母親を亡くし、海外アーティストに引けを取らないパフォーマンスをする彼女は、実は最初から私たちが想像していたよりもはるかに私たちとは遠い存在で、私は6年間かけて1ミリずつ彼女の背中を追いかけていたつもりが、実は6年かけようが60年かけようが彼女には1ミリほども近づいていないことに気づいた。

■私たちが夢見たあの厚底の上から見る世界

 彼女の背負うものの大きさや一般的な日本人では育めないような感覚は95年のステージとは違う意味で私たちを圧倒し、嫌でも自分は自分自身の現実の上に立たなくてはならないことを思い知らされた。私たちが夢見たあの厚底の上から見る世界は、おそらく彼女より極端に高い厚底を履いて、彼女より極端に日焼けしたところでたどり着くことのできない幻影だった。夢と現実の交差する崇高な場所だった109は、現実と現実が行き交うとてもリアルな場所になっていた。

 いつのまにか追いかける背中を失っていた私たちはそれぞれに色々と人生の優先事項を手に入れ、恋愛もセックスも覚えたし、親のありがたみもわかった。教養の本来的な必要性やお金の価値もなんとなく学び、いつしかなんとなく「今」以上の意味がある時間を過ごすようになる。魅力的な人にも度々出会ったし、真似したくなるファッションは今やスマホの画面にも浮かび上がる。

 それでも時々街のビジョンで、ある時はパトリシア・フィールドのスタイリングで、ある時はオリンピックの公式ソングを提げて、かつて私たちに限りなく現実に近い幻影を見せてくれた安室奈美恵が歌っている姿を見かけると、一瞬も衰えないその身体的な魅力にしばし魅せられ、かつて彼女がそうしたように私たちに追うべき姿を見せ、私たちを虜にするような存在にはその後出会っていない、と気づかされる。それは寂しく残念なことだが、アイコンとしての役割を脱ぎ捨てた後の彼女が変わらず魅力的であり続けたことはものすごく心強いことでもあり、その選択をし続けた彼女の新しい選択は、どんなに寂しくても信用して支持できる。

 現実しかなくなった109の服は安っぽくて壊れやすいが、それでも見ていて楽しいし、なんとなくあの頃の万能感を思い出せる場所として楽しめる。カラオケは今も盛り上がるし、30代になっても場所を選べば厚底くらい履ける。何度だって絶望したが、絶望を超える理由も超える技術も私たちにはある。私は今も私のくだらない人生やくだらない生活に誰かが意味を見つけようとすると、小声で「そんなんじゃないよ、楽しいだけ」と口ずさむくらいには逞しく生きている。

(鈴木 涼美)

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