安室奈美恵、小松政夫、田代まさし 3人の「オヤジ」

安室奈美恵、小松政夫、田代まさし 3人の「オヤジ」

(c)getty

 今でも小松政夫は植木等を「親父さん」と呼ぶ。「親父さん―――植木等のことが、好きで好きでたまらなかった」と題する、小松のインタビューが文春最新号に掲載されている。

 植木の付き人兼運転手だった下積み時代、週に10時間くらいしか寝られない日々を過ごした。それでも幸せだったと小松は言う。時が経って、植木はそんな小松に事務所を紹介し、「俳優としてひとりだちのお膳立てまでしてくれた」。身を立てられるように、取り持ってくれたのだ。

■安室奈美恵の「オヤジ」

 同じように身を立てられるようにしてくれた者を「オヤジ」と呼んだ歌姫がいた。それほどの関係であったのが、いつしか嫌で嫌でたまらなくなり、骨肉の争いを繰り広げるまでになる。

 今週の左トップ記事「安室奈美恵電撃引退 本誌だけが書ける全真相」は、そんな裏事情などを明かす。

 安室奈美恵の引退声明が発表されたのは、デビュー25周年ライブを終えてすぐの9月20日のこと。その日、40歳になった安室は、公式HPに「わたくし安室奈美恵は、/ 2018年9月16日をもって引退することを決意致しました」と綴った。

「安室奈美恵ってトップスターなのにいつも転校生みたいな暗さがあったなって思う」。作家・岡映里は引退騒ぎのなか、そうツイートしている(注)。沖縄アクターズスクールの校長・マキノ正幸は、10歳の安室にそれを見ていた。

■二人三脚、トップスターへの物語

 マキノは安室が小学5年生のときに出会い、歌とダンスの稽古をつける。「その時から陰があった。明るい子じゃない。でも、あの陰が売り物なんだ」。10歳にして陰があり、それを魅力として見せた安室、そこを見抜いたマキノ、天才と名伯楽の邂逅である。

 そんな沖縄の少女を東京に呼び、デビューさせるのがライジングプロの平哲夫である。彼こそ、安室が「東京の父」とも「オヤジ」とも呼んだ人物だ。「奈美恵は平さんのことを、『オヤジ』と呼んでいた。奈美恵がここまで来られたのは平さんのおかげでもある」(義父・談) 

 若い女の子が“オヤジ”と呼ぶのは、嫌ってんじゃね? と思いもするが、ともあれ、安室は平と二人三脚で芸能界を歩み、トップスターへとのし上がっていく。

■安室は家族制というフィクションから覚めてしまったのか

 こうした蜜月の終わりは5年前に訪れる。「二十周年のライブが終わったら、歌手を続けるかどうかも含め、人生を見つめなおしたい」と思い、それを平にも伝えていた。ところがそのライブ後、平は「安室は二十一年目、二十二年目も活動を続けていく」と宣言。おまけに安室と事務所の契約は自動更新であった。こうして二人には溝ができ、激しく諍うようになって、結局、安室が事務所を移籍することになる。

 記事の最後、「私は歌手である前に、一人の子を持つ母親です」という安室の言葉が紹介される。すったもんだの最中に綴った言葉である。いつまでも、事務所の社長をオヤジと慕い、従う子供ではなかった。母親になることで、擬似的な家族制というフィクションから覚めてしまったであろう安室の機微に、オヤジは気付けなかったのかもしれない。

■田代まさしの「僕の大好きな叔父さん」

 オヤジに続いては叔父さんを。「田代まさし『ぼくの叔父さん』だった住吉会西口総裁」である。

 9月半ば、大物ヤクザ・西口茂男が亡くなった。その十数時間後、田代まさしがツイッターに「僕の大好きな叔父さんが昨夜亡くなられました。僕達兄妹を、おふくろが亡くなって以来自分の子供以上に面倒をみてくださった叔父さん!」と記す。そこには、“叔父さん”と並んだ写真が付けられていた。

 葬儀は家族葬であったこともあり、組関係者は少なかったという。その会場の親族席に田代の姿があった。

 警察関係者は「一度目の懲役に行く前、田代は毎年麻布十番祭りで『マーシーの焼きそば』の屋台をやっていたが、その場所は住吉会の関係先。西口総裁が執行猶予中の田代に仕事を与えていた」と語る。

 この暴排の時代にヤクザとのかかわりを明かして得することなど何もなかろうが、あえて自分から明かしたことで、騒がれることを気にすることなく、叔父さんの葬儀に出られる。苦しい時に手を差し伸べてくれた者への義理の堅さをみる。

注) https://twitter.com/okaimhome/status/910445957036130304

(urbansea)

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