“初代優勝監督”広岡達朗が語る「2019年のスワローズ」

“初代優勝監督”広岡達朗が語る「2019年のスワローズ」

ヤクルトの初代優勝監督である広岡達朗氏 撮影/下城英悟

■名将・広岡達朗が語る2019年のスワローズ

 目の前にいるのはヤクルトの初代優勝監督である広岡達朗。すでに傘寿を過ぎ、87歳を迎えてもなお、舌鋒は鋭い。尋ねたのは「ヤクルト時代に取り組んだことは?」という質問だった。

「あの頃のヤクルトナインには拭い難い《巨人コンプレックス》があった。優勝するためにはそれを払拭しなければならない。そんな思いもあって、初めての海外キャンプをアメリカ・ユマで行ったんだね。“オレたちはメジャーチームとキャンプをしたんだ”という自信を持つことも、巨人へのコンプレックスを払拭するために有効だということでね」

 広岡監督就任3年目となる1978(昭和53)年にヤクルトは初めてユマキャンプを敢行。サンディエゴ・パドレスとの合同練習で「巨人コンプレックス」払拭の一助とした。そしてこの年、チームは創設29年目にしてセ・リーグを制覇。日本シリーズでも王者・阪急ブレーブスを倒して、初の日本一となった。まさに、「管理野球」と称された広岡野球の結実の瞬間だった。

 続いて、「今年のヤクルトをどう見ますか?」という質問を投げかけると、その本領を発揮する。広岡さんの口調が熱を帯びる。

「私なら、バレンティンを使いません。守れない選手がいることのデメリットを考えたら、いくらホームランを打とうと割に合わない。バレンティンも村上(宗隆)も確かにホームランはたくさん打った。でも、チームが最下位なら意味はないでしょう。彼らは自分が打つことばっかりで、真剣に勝とうと思っていないですよ。だって、チャンスでも平気で三振するじゃない。私だったら絶対に許さない。“(自分のために)頑張る”と、“チームのために頑張る”は全然違うんです」

 ……き、厳しい。厳しすぎる。しかし、これこそまさに「広岡イズム」なのだろう。「ミスタースワローズ」こと若松勉さんにお話を聞いても、「ミスターオープンスタンス」こと八重樫幸雄さんにインタビューをしても、異口同音に「そりゃ、広岡さんは厳しかった」とか、「今でも広岡さんの前では緊張する」と語っていたのもうなずける。ただ、その言葉は鋭いものの、常に表情は柔らかく温かかったことは意外だった。

 そして、さらに驚いたのは今季の指揮を執った小川淳司前監督に対しては、その口調は柔らかくなり、ねぎらいの言葉を口にしたことだった。

「小川さんは性格がいいんですよ。気が優しい。そんな性格でチームを率いることは大変だったと思いますよ」

 まさかの「さん付け」に、僕は驚いた。なぜなら、それまで同じく名将の誉れ高い野村克也さんについて、ボロクソに言っていたからだ。

■広岡達朗と野村克也――その共通点

 今年は「ヤクルト球団50周年」という節目の年だった。それまではサンケイとの共同経営だったが、70年にヤクルトの単独経営となってから、2019(平成31/令和元)年で50年目というわけである。50年に国鉄スワローズとしてスタートして以来、チームは現在に至るまで7回のリーグ優勝、5回の日本一に輝いている。

 78年は広岡達朗監督、92、93、95、97年は野村克也監督、21世紀を迎えた01年は若松勉監督、そして15年は真中満監督が、それぞれ歓喜の瞬間を迎え、神宮の宙を舞った。長い歴史の中で、わずか4人だけが、「スワローズ優勝監督」の称号を手にしたのだ。僕はこれまで、野村、若松、真中監督には何度もインタビューをして、それぞれの優勝体験を聞いてきたが、「初代優勝監督」である広岡監督だけは、お話を伺う機会がまったくなかった。しかし、このたび広岡さんとの対面が実現。これでようやく、歴代監督全員にお話を伺うことができたのだ。

 僕はこれまでずっと、「4名の優勝監督にお話を聞いて、《歴代優勝監督の系譜》を書きたい」と切望していた。かつて、極私的ヤクルトヒストリーとして、『いつも、気づけば神宮に』(集英社)という本を上梓した。この本の副題は『東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』とあり、僕が考える「○○の系譜」を九つほど収載した。この本を執筆以来、「いつか、《優勝監督の系譜》を書こう」と考えているので、ぜひ、いつかこの物語を完成させたい。

 さて、僕はかねてからヤクルト歴代優勝監督は「広岡・野村」の外部から招聘した厳しい監督と、「若松・真中」の生え抜きの優しい監督に大別できると考えていたのだが、その考えは間違いではなかったようだ。広岡さんの話を聞いていると、かつてノムさんから聞いたことと同じような考えであることにすぐに気がついた。それを確信したのは次の質問を投げかけたときだ。

――広岡さんは就任前までは弱小チームだったヤクルト、そして発足間もない西武を優勝に導きました。現役生活を送った巨人で監督をしたいと思ったことはないのですか?

 この質問に対して、広岡さんは「ない。あるわけがない」と即答した。それはまさに、ノムさんとまったく同じリアクションだった――。

■広岡達朗が語る高津新監督へのメッセージ

 元々、野村克也氏は大の巨人ファンだったことは有名な話だ。しかし、テスト生としてパ・リーグの南海ホークスに入団したことで、本人曰く、「常に日陰を歩み続けた」プロ野球人生を過ごすこととなった。長嶋茂雄に対する執拗なライバル心は、その怨念の表れなのだろう。一方の広岡さんも古巣・巨人に対しては愛憎相半ばする思いを抱いているのは有名な話だ。当時の川上哲治監督との不和について、本人が多くの書籍で赤裸々に語っている。

 つまり、ノムさんも広岡さんも、「打倒巨人」の思いは一緒なのである。僕は広岡さんに「巨人の監督になりたいとは思わない」理由を尋ねる。答えはシンプルだった。

「だって、巨人の監督だったらいつでも勝てる。ずーっと勝っていたって面白くないじゃない。弱いチームを強くするのが男というものでしょう」

 僕は内心でニヤリとする。なぜなら、これも野村さんとまったく同じ答えだからである。口ではいろいろ言いながらも、内心で抱いている熱い思いは両者共通なのだ。冒頭に掲げた「巨人コンプレックスの払拭」は、実は広岡さん自身が望んでいたことではなかったのか? だからこそ、オーナーに直訴してまで海外キャンプを実現させたのではないか? 僕はそんなことを考えていた。

 先に挙げた「歴代優勝監督の系譜」で言えば、来季からチームを率いることになった高津臣吾監督は、「若松・真中ライン」に相当するだろう。生え抜きの高津監督はどんな野球を見せてくれるのだろう? 以前、この文春野球でも書いたように「野村の奥深さ+若松のおおらかさ+ギーエンの自由さ」はどんな形となって結実するのだろう? 最後に広岡さんからの厳しくも温かく、そしてやはり厳しいメッセージを紹介したい。

「監督というものは、“オレに任せろ。言う通りにすれば必ず勝てる!”と言えなければ指導者失格でしょう。“選手の自主性に任せる”なんて指導をしていたら、その監督の値打ちはありませんよ」

 広岡さんの言葉を「古い」「時代は変わった」と切り捨てるのは簡単なことだ。しかし、歴戦の名将の言葉の重みをいま一度噛み締めることも大切なのではないか? 高津新監督がどんな野球を見せてくれるのか? その手腕に、僕は期待する。そして、これから書くつもりの「歴代優勝監督の系譜」に、「高津臣吾」という名前が連なることを、僕は切実に希望する。

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(長谷川 晶一)

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