石橋貴明58歳に 野猿“復活”「45歳引退を公言していた男がテレビに“しがみつく”理由」

石橋貴明58歳に 野猿“復活”「45歳引退を公言していた男がテレビに“しがみつく”理由」

58歳の誕生日を迎えたとんねるず石橋貴明

 きょう10月22日は、とんねるずの石橋貴明の誕生日である。1961年生まれの58歳。来年には相方の木梨憲武とともにデビュー40年を迎える。

 昨年3月、前身番組『とんねるずのみなさんのおかげです』とあわせると30年続いてきた『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)が終了、とんねるずのレギュラー番組がテレビから消えた。

 その後のとんねるずは個別の活動が目立つ。石橋は引き続きフジテレビでトークバラエティ『石橋貴明のたいむとんねる』をスタートさせたほか、ネットテレビAbemaTVでは『石橋貴明プレミアム』と題し、さまざまな企画を展開している。一方、木梨はラジオの生番組『土曜朝6時 木梨の会。』(TBS)をスタート、またアーティストとしてこれまでに制作した作品を集め、国内外の各地を巡回する個展を開催中だ。

 歌手としても活躍してきた2人だが、この9月には石橋が野猿の元メンバーであるTeru(平山晃哉)とKan(神波憲人)とともに3人組ユニット「B Pressure(ビープレッシャー)」を結成、11月の1stシングル「Freeze」リリースにあたり、10月末より大阪と東京で御披露目ライブの開催を控える。時期を同じくして木梨も、氣志團主催の野外フェスに出演、新曲「Laughing Days」のほかカバー曲を披露し、今秋、ソロアーティストとしてユニバーサルミュージックから音源をリリースすることも発表した。楽曲は10月24日から配信開始予定、11月には初のソロライブ開催も決定している。

■「自由奔放の木梨」と「冴えない石橋」?

『みなさんのおかげでした』が終了してからの2人を見ていると、木梨は、ラジオの生放送中に親しい芸能人に電話をかけたり、ハワイから放送したりと、あいかわらず自由奔放に振る舞っているのに対し、石橋は『たいむとんねる』の視聴率が振るわないせいもあってか、冴えない印象で見られがちだ。

『たいむとんねる』は番組開始以来、スタイルがたびたび変更されるなど試行錯誤が続いているが、ゲストを招いて石橋が自分の好きなこと、懐かしの話題について熱くトークを繰り広げるという基本コンセプトは変わっていない。石橋自身も、《この番組で、僕がやりたいことはたくさんある。すぐプロデューサーからお金がないって言われるけど(笑)。(中略)お散歩、クイズ、健康もいいけど、それだけじゃね。予定調和をぶっ壊していかないと。テレビが頑張らないと。壊しがいがないよ!(笑)》と、最近のインタビューで意気込みを語っていた(※1)。

 引用した発言からは、石橋がまだまだテレビに望みを捨てていないことがうかがえる。同時期の別のインタビューでも、《スマホで10秒、15秒の動画を見て楽しんでいる人たちに、1時間の番組にテレビのチャンネルを合わせさせるのって、相当考えないといけない。とりあえず打席に立ってヒット打ってたって、誰も見てくれない。でっかいホームラン打たなきゃ。もっと違うところに頭使って、汗かけば、まだあると思うんだよね、面白いことは。それを諦めた時は終わってしまう》と持論を述べた(※2)。

■「45歳でテレビの仕事をやめて、シェフになる」

 4年前にとんねるずの2人で応えたインタビューでは、コンビの今後を問われ、木梨が《ただ自分たちが面白いと思うことをね、やっていくだけだと思いますよ》と答えたのに対し、石橋は、《まあ、テレビに関してはもう少し遊べるスペースがあるのなら、そこでまだまだ遊びたいなとは思ってます。(中略)まだテレビというメディアは面白くなると思ってますからね。そのためにどんなことができるのかって、考えています。もっと違う形で面白いことがあるんじゃないかと僕は思ってます》と語った(※3)。自由な木梨に対し、石橋は自分でも認めているように、どこかプロデューサー的な見方をしていることが、この発言からもうかがえる。

 ちなみにとんねるずは、1994年にそれまで所属していた事務所から独立し、石橋が社長になって個人事務所・アライバルを設立している。とんねるずとは互いに駆け出しのころから仕事をしてきた秋元康は、石橋は経営者に向いていると当人との対談で評した。これに対し、石橋は次のように自分のなかでの葛藤を吐露している。

《でも俺が会社の経営に向いているタイプというのも、自分の中ではもどかしいところもあるんですよ。自分はタレントをやってるのに見なくてもいいところまで見えてしまうこともあるわけ。テレビを作っている時でも何でも、そんなとこに気を使わなくていいというところに気を使って、その部分で疲れたり、注意力が散漫になって自分がちゃんとできなかったりするから。だから憲武を見ていると、タレントとしての資質が上だなと思う。本当に能力の高いヤツでズバッと突き抜けている。俺はそこまでいかない。だからあと五年で辞めたいと思うんだろうね》(※ 4)

「あと五年で辞めたい」というのは、当時(2000年)40歳目前だった石橋が、45歳でテレビの仕事をやめ、それから5年間シェフの修業をして、50歳で店を開こうと計画を立てていたことを指す。2000年頃といえば、テレビ番組の裏方を集めて結成した野猿で、とんねるずが再びブレイクを果たしていた時期だ。そんな時期にあって、石橋が本気で引退を考えていたという事実に驚かされる。そこまで考えていたのも、上記の発言にあるとおり「見なくてもいいところまで見えてしまう」性分ゆえなのだろう。

■なぜとんねるずは何度も「生き返る」のか

 野猿がヒットを飛ばしたころ、コラムニストで消しゴム版画家のナンシー関は、とんねるずは『みなさんのおかげです』が終了した時点(1997年)で「死んだ」と思っていたのが、ここへ来て再び全盛を迎え「蘇生」したと書いた。そしてその理由を次のように分析してみせた。

《私が、とんねるずは死んだと思ったのは、(中略)とんねるず自身が老いたから、というのとは少々違う。とんねるずがそれまで巻き込んできた「客」の層が老いてしまった、と言ったほうがいいかもしれない。(中略)客が中心から降りてしまったということは、取り囲んでいたオーディエンスの姿がなくなってしまったということであり、そうするとただただカラ回りしているようにしか見えなくなるのである。それが死因だ。/しかし、とんねるずは何も変えずに蘇生した。再び、人垣ができてきている。一度、オーディエンスの人垣を失ったタレントは、全く違う人垣をつくらなければ蘇生できないはずだ。(中略)が、蘇生とんねるずの新しい客というのが、これまた前と同じなのだ。(中略)まだ通用する、いや右肩上がりである。不思議だ》(※5)

 ナンシー関がいみじくも指摘したとおり、とんねるずを“延命”させたのは、昔から支持してきたファンだったはずだ。とんねるずの2人もそんなファンに対し、サービスを惜しまなかった。今回、石橋が野猿の元メンバーを招いて新ユニットを結成したのも、昔からのファンに対するサービス精神があってのことだろう。

 サービスといえば、石橋は先の秋元康との対談で、《もともとサービス業というのがものすごく自分に合ってると思っていて、俺はテレビの仕事もサービス業だと思ってるんですよ。サービスすることによって相手が気持ち良くなるというのは、レストランだとかホテルと同じだと思う。自分の中で(中略)唯一残されたセンスは人にサービスすることだという気がする》とも語っていた(※4)。

■石橋の逆襲が見たい

 最近の石橋が冴えないように見えるのは、ひょっとすると、昔からのファンを断ち切れない、彼のサービス精神に原因があるのではないだろうか。新たなファン層を開拓するよりも、昔からのファンを大事にし、その期待に応えるべく活動を展開する、そんな老舗のような域にとんねるずは入ったのかもしれない。しかしかつてのファン層はテレビをあまり見なくなっている。それが『たいむとんねる』の視聴率の低迷へつながっているのではないか。しかし志向としてはけっして悪いことではないし、いまはそのための方策を模索する過渡期ともいえる。プロデューサー気質の強い石橋のことだから、きっといまもさまざまな企みを巡らせているに違いない。

 先週末の『木梨の会。』では番組の終わりがけ、こんなリスナーからのメッセージが読まれていた。そのリスナーは、先日の台風19号で実家が川の氾濫で被災したが、今月末から来月にかけて石橋と木梨のそれぞれのライブに行く予定なので、それにまにあうように、いま復旧作業を進めているという。このときのリクエスト曲はとんねるずの「どうにかなるさ」であった。今回の石橋と木梨のアーティストとしての活動再開が、このリスナーだけでなく、現在それぞれの場所で頑張っている多くのオールドファンの励みになることを願いたい。

※1 『TVガイド』2019年8月16日号
※2 「Yahoo!ニュース」2019年5月24日配信
※3 『BIG tomorrow』2015年7月号
※4 『秋元康大全97%』(エイティーワン・エンタテインメント、2000年)
※5 『週刊朝日』1999年2月12日号

(近藤 正高)

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