「何かを得ようとするなら、何かを犠牲にしなければ」ラグビー日本代表の活躍で思い出す五郎丸の言葉

「何かを得ようとするなら、何かを犠牲にしなければ」ラグビー日本代表の活躍で思い出す五郎丸の言葉

「ブライトンの奇跡」を伝える翌日の現地紙

「緊急増刊やるぞ。任せたからな」

 2015年9月、スポーツ雑誌「Number」の編集長から指令を受け取ったのは、ジャパンがワールドカップで世界を震わせた 南アフリカ戦 の翌々日のことだった。

■ほぼ個人旅行だったラグビーW杯観戦

 私はイングランドにいて、南部の港町・ブライトンのスタジアムであの試合を目撃したばかりだった。2日後には、北西に約240km離れたグロスターで日本対スコットランドの試合が行われることになっていた。

 当時Number編集部に在籍していたにもかかわらず「目撃した」と他人事のように書いたのは、それが本来の意味での「取材」ではなかったからだ。4年前、「数字が取れない」ラグビーは、いかにワールドカップであっても誌面は保証されず、海外取材費も支給されなかった。

 私は仕事の日程を工面して休みを確保し、インターネットで試合のチケットを購入してイングランドに渡航した。半ば個人旅行である。2007年のフランスワールドカップ以降、3大会連続のことだった。そのたびに貯金はほぼ底をついたが、(独身の当時は)問題ではなかった。今や多くの日本国民の知るところとなったラグビーワールドカップの魅力に、すっかり取りつかれていたからである。

■“マグニチュード”の大きさを測りかねていた

 だからこそ、2015年9月、ジャパンが南アを破った後に編集長から受け取った「緊急増刊」という言葉に自分は奮い立った。スコットランド戦を見届け、帰国する飛行機の中で企画と構成を練る。

 数名のスタッフで取材編集にあたり、2週間後、戦いを終えたジャパンの一行が帰国すると、記者会見の直後に別室でエディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)のインタビューと写真撮影を行い、その数時間後には原稿の校正も終えて校了、という突貫作業だった。 『桜の凱歌』 と名付けたこの特集号は発売前からネット上で完売し、1980年のNumber創刊以来初となる3刷を記録した。

 しかしそれでも、今年のワールドカップ日本大会を迎えるまで、マスコミ関係者のほとんどが4年前にジャパンが成し遂げたことの“マグニチュード”の大きさを測りかねていたのではないか。

■ジャパンは白星に見放され続けたチームだった

「愛されるためには、勝たなければならない」

 これは2015年のワールドカップ直前に、エディー・ジョーンズHCが語った言葉だ。彼はこう言っていた。

「私は本当に、ラグビーは世界で最も素晴らしいスポーツだと思っています。チームスポーツであり、コンタクトスポーツであり、すべてを選手自身が判断して進めていかなければならない。この素晴らしいスポーツを、日本でもっと愛されるスポーツにしていきたい。そのためには、ワールドカップで勝たなければならないのです」(Number PLUS『桜の決闘』)

 それはその通りだった。ほんの4年前まで、ジャパンは過去ワールドカップ7大会で1勝21敗2分。故・宿沢広朗氏が率いた1991年大会のジンバブエ戦以降は、国際舞台で約四半世紀にもわたって白星に見放され続けたチームだった。

 1995年大会では、オールブラックスを相手に17―145の惨敗を喫している。野球やサッカーなど他競技ではMLBや欧州リーグといった「世界の舞台」がファンにとって身近になっていった一方で、「ラグビーは日本人には無理」といった諦念が社会に定着してしまうのも、無理からぬことだったと思う。

■他のチームの3倍もの練習量に耐えた

 4年前のワールドカップでジャパンの選手が口々に唱えていた「歴史を変える」とは、この状況をひっくり返すということだった。

 そのために時に家庭を犠牲にし、他のチームの3倍もの練習量に耐え、肉体と精神を極限まで追い込んできた(ただしその練習は「根性練」ではなく、あくまでもインターナショナルレベルのコーチングにもとづく、合理的なものだった)。

 当時、五郎丸歩選手はこう語っていた。

「1年前の北米遠征のときは、バンクーバーに滞在中に、下の子が生まれました。時差があるから、朝起きたら『生まれたよ』とメールが入っていた。実際に顔を見たのは、その1週間後くらいだった。ゼロ歳の1年間のうち、半分以上は合宿や遠征で留守にして、家族に負担をかけました。でも、人生で何かを得ようとするなら、何かを犠牲にしなければならない」(『桜の決闘』より)

■4年前の観戦時と根本的に違ったことがあるとすれば……

 そんなジャパンの4年間であり、この8年間だったのである。

 はたしてエディー・ジョーンズ氏の言葉の正しさは今年、これ以上ない形で立証された。「世界に勝つ」ジャパンは、もはや日本のみならず世界の人々さえも魅了してしまったことは周知の通りだ。

 10月20日の夜、東京スタジアムの観客席で南アフリカ戦を観た。4年前にブライトンに集った何十倍だろうか、スタジアムの大半を埋め尽くした日本人が、試合前の国歌斉唱の荘厳な響きに立ったまま武者震いし、スクリーンに映し出された流大選手の涙にもらい泣きしていた。

 相手は同じ南アフリカである。しかし4年前の観戦時と根本的に違ったことがあるとすれば、それは大げさに言えば、自分が「誇り」という感情を他者と共有しているという感覚だったかもしれない。「誇り」という言葉の意味が生まれて初めて理解できた、そんな大人すらいるかもしれない。白状すれば、私はそうだった。私はこの日ほど大きく高らかに歌われる「君が代」を、今まで聞いたことがなかった。

■次は私たちの番だ

「不可能なんてない。信じれば必ず結果が出ることを目の当たりにしてきました」

 試合後、エディー・ジョーンズ、ジェイミー・ジョセフと2代のHCの下で働いてきた日本代表通訳の佐藤秀典さんが話していた。

 これが漫画や映画ではなく、現実に起こったということの偉大さを、今改めて思う。

 同時に、これほど大きく人の心を揺さぶるスポーツというものの価値を考える。

「まだまだ人生、捨てたもんじゃないな」

 そうパスを受け取ったと捉える人がいるとすれば、それもまたラグビー日本代表が私たちにもたらしてくれた大きな社会的財産なのだろうと思う。

 次は私たちの番だ。

 ありがとう、ジャパン。

(釜谷 一平)

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