愛する人を殺めた絶望の僧侶……ある彫刻家が表現した“闇と光”の「恋の三部作」

愛する人を殺めた絶望の僧侶……ある彫刻家が表現した“闇と光”の「恋の三部作」

荻原守衛《文覚》1908年 フ?ロンス? 公益社団法人碌山美術館蔵(部分)

 JR新宿駅のすぐそばなのに、一歩足を踏み入れれば、喧騒がすっと遠のいて快いのが中村屋サロン美術館だ。いまここで観られるのは、日本の彫刻表現のひとつのピークを成す作品群。「荻原守衛展 彫刻家への道」が開催中なのである。

■ロダンからも直接に教えを受けた

 仏像など宗教関連の像を含めれば、日本の彫刻史には運慶や快慶をはじめ、傑出した人物が数多い。一方で、明治時代以降の近代彫刻に視野を絞ってみると、名の挙がる表現者は限られてくる。30歳で生涯を閉じた夭折のアーティスト荻原守衛は、その代表格として真っ先に名前を挙げたい存在となる。

 明治時代の長野に生まれた荻原守衛は、18歳で初めて油彩画というものを目にして大いに感化される。上京して画塾へ通ううち、海外留学のチャンスを得て渡航。最初は米国へ、のちにはフランス・パリでも学んだ。

 パリ滞在時、彫刻の大家オーギュスト・ロダンの代表作《考える人》と相対する機会を得て、大きな衝撃を受ける。それまでは画家としての修練を積んできたが、これより先は彫刻を志すことを決意した。

 故郷から遠く離れた地で彫刻制作に邁進した荻原は、すぐに頭角をあらわす。数度にわたりロダンとも面会を果たし、「自然を師とせよ」などロダンが発した貴重なアドバイスを胸に帰国。それから吐血し亡くなるまでは2年ほどしかないが、その短いあいだにいくつもの彫刻を残したのだった。

■荻原守衛作品の白眉がずらり

 同展には荻原守衛の彫刻作品ができるかぎり集めてあって、短くとも濃密だった彫刻家としての足取りと達成を一堂に観ることができる。デッサンや絵画、スケッチ帖に書簡とゆかりのモノも多数並んでいて、彼の人となりを想像できるのもいい。心の師だったロダンの作品もあり、荻原の彫刻との異同を推し量れて興味深い。

 荻原の彫刻作品でとりわけ目を奪われるのは、1908年作の《文覚》、09年作の《デスペア》、そして10年《女》だ。

《文覚》は、愛する女性を誤って殺めてしまった僧侶の姿をかたどったもの。《デスペア》は絶望に打ちひしがれる女性の様子を表している。《女》は、不自然で苦しげなポーズをとる女性の像だが、それでも顔面は上方を向いて光を見出しているかのよう。静と動、抑圧と解放など両極端なものをひとつの像に同居してあるのが、観る側をなんとも不思議な気分にさせる。

「恋の三部作」と呼ばれることもあるこれらの彫像をはじめとして、荻原作品はいずれも単にもののかたちをかたどったに留まらず、その内に蠢く何かがあると感じさせる。彫刻という像の中に荻原が埋め込んだ強烈な感情を、会場でじっくり読み取ってみたい。

(山内 宏泰)

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