ラグビー日本代表戦の裏の『いだてん』 “地雷の山”である近現代史を語る上で、なぜ「落語」が必要だったのか

ラグビー日本代表戦の裏の『いだてん』 “地雷の山”である近現代史を語る上で、なぜ「落語」が必要だったのか

(左から)『いだてん』主演の阿部サダヲさん、中村勘九郎さん、脚本の宮藤官九郎さん ©共同通信社

 JRが東京周辺ほぼすべての電車の運行を停止した歴史的な土曜日の翌日、2019年の10月13日の夜8時、あなたは台風19号の後始末に追われていたかもしれない。ようやく動き始めた電車に乗って、日曜日の職場で前日の後始末をして月曜に備えていたかもしれない。避難勧告で家を出たまま、避難所ですごしていたかもしれない。

 そしてもちろん、多くの視聴者と同じように、家で、あるいはスポーツバーで、視聴率39%を記録したラグビー日本代表のスコットランド戦に声援を送っていたかもしれない。

 色々な状況があり、いろいろな価値観がある。僕が今から書くのは、あの日、日本を覆った台風被害とスポーツの熱狂の裏で『いだてん』宮藤官九郎が何を語っていたかということについての話だ。夜に放送された第39回『懐かしの満州』は、第二章の最終幕であるだけでなく、『いだてん』という大河ドラマの本質、宮藤官九郎本人が「最も描きたかった」と語る核心に触れる45分間だった。

■日本の近代史は「バッドエンドが約束された」物語だ

 多くの人が言うように、『いだてん』は異質な大河ドラマだ。主人公は日本人初のオリンピック選手である金栗四三と、五輪招致に奔走した立役者、田畑政治。大河ドラマの歴史の中で、明治維新より後、近現代史をテーマにした作品は数えるほどしか存在しない。『いだてん』はその中でも、とりわけ作り手が触れたがらない「戦前史」というパンドラの箱を真正面から舞台にしている。

 戦前史を舞台にした大河ドラマが作りにくいのは、この時代がヒーローを描き得ない時代だからだ。この時代に坂本龍馬のように胸のすく活躍を見せ、日本を破滅から救った英雄がいなかったことは誰でも知っている。日本はなすすべもなく勝算のない戦争に突入し、そして敗れた。それはいわばバッドエンドが約束された物語だ。

 近現代史には人物の行動だけではなく、解釈に対しても厳しい制約がかかる。例えば戦国時代であれば織田信長という戦国武将を描く時、「信長様は天下統一による戦のない世を望んでおられたのです」とヒロインに言わせたところで「虐殺者を美化している」という批判はたいして起こらない。坂本龍馬や新撰組をヒロイックに脚色しても批判は少ない。日本において明治維新以前の歴史の人物たちというのはいわば神話やシェークスピアのように物語化された半虚構的存在だからだ。

 しかし近現代史、戦前史においてはそうではない。『いだてん』の第1部や第2部の主役である金栗四三や田畑政治は手を伸ばせばすぐに届くような、今の僕たちとほぼ連続した時代に生きている。そこに存在するのは切れば血の流れる、リアルな歴史である。

■『いだてん』への逆風が可視化された、関東大震災を描く回

『いだてん』を取り巻く状況の困難さを象徴したのが、関東大震災を描いた第23回『大地』の回であったと思う。震災で瓦礫の山と化した東京の夜を走る金栗四三は、燃える松明を持った男たちに地方訛りを聞き咎められ、こう詰問される。「なんだその言葉」「日本人じゃないな」。

 関東大震災における朝鮮人虐殺(及び中国人など、日本人も含めた多くの社会的弱者が流言飛語のもとで殺害された)を暗示したシーンであることは言うまでもない。しかしこの場面をめぐってSNSの意見は割れた。朝鮮人虐殺に「暗に触れた」ことを評価する意見と、明示的に触れなかった、つまりは朝鮮人が殺害されたということがドラマの中で明言されなかったことに失望する声と。

 宮藤官九郎は『いだてん』と同時代の記録について、司馬遼太郎もかくやというほどに資料を読み漁っている。関東大震災のその夜に群集が取り囲んで叫んだ言葉が、本当は「朝鮮人か、日本人か」「十五円五十銭と言ってみろ」であったことを知っている。それでも劇中のセリフを「日本人じゃないな」にとどめざるを得なかった背景がそこにはある。

 小池百合子東京都知事は就任以後、石原慎太郎都政時代にすら送っていた、関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文の送付を取りやめ、今に至るも再開していない。その背景にどんな思想があるのかは想像に難くないだろう。保守化する世論の風向きを含めて、NHKには政権や保守の側からプレッシャーがかかっていると見る向きもある。

 プレッシャーは保守の側からだけではない。2019年の10月6日の西日本新聞には特別論説委員による『まだ「いだてん」を見ていない』というコラムが掲載された。筆者は自らを宮藤官九郎の旧来のファンであるとしながら、『いだてん』を見る気になれない理由について、「基本的にはこのドラマが来年の東京五輪という『国策盛り上げ企画』であるからだ。『国策に足並みをそろえる芸術ってどうなのよ』と思ってしまい、気がなえるのである」と書く。

 SNSにおいてリベラルの側には2020年の東京五輪を安倍政権の「国策」とみなし、開催に反対する東京五輪返上論が存在する。現実の国政では日本共産党ですら五輪開催そのものには反対しておらず、その手続きや運営を問うスタンスなのだが、SNSでは『いだてん』と宮藤官九郎を五輪への加担とみなして批判する論調が西日本新聞のコラム以外にも多く見られる。

『いだてん』をめぐる状況は、右からは反日、売国と吊るし上げられ、左からは政権の手先と敵視され罵られるNHKの状況そのものに見える。

■併合と支配を象徴する“あの場面”をどう描いたか

 宮藤官九郎はこの状況、右からはナショナリズムの強風を受け、左からは「国策に魂を売った」となじられる中で、戦前史という地雷の山を走り抜けた。その葛藤はベルリン五輪を描いた第三十五話『民族の祭典』においても同様だった。朝鮮出身である孫基禎選手、南昇竜選手が表彰台に並び、目の前で自国の旗ではなく日の丸が上がる。

 併合と支配を象徴するその場面を映像として描いた場面は疑いなく大河ドラマにおいて画期的だった。しかしそのあと、いったいどんな言葉を日本人のキャストに言わせればその事実を物語に回収し、視聴者を納得させられるというのか。

 宮藤官九郎は「どういう気持ちだろうね」「二人とも朝鮮の人ですもんね」という主人公の周囲の言葉の後に、「俺は嬉しいよ。日本人だろうが朝鮮人だろうが(略)俺の作った足袋をはいた選手は応援するし、勝ったら嬉しい。それじゃダメかね金栗さん」とハリマヤ製作所の辛作に語らせ、金栗四三の「よかです。そっでよかです。ハリマヤの金メダルたい」という言葉でそのシークエンスの幕を引く。

 だがそれは「応援する日本人の気持ち」であって、自国の旗が上がらない2選手への「どういう気持ちだろうね」という問いの答えになってはいない。宮藤官九郎ほどの脚本家がそれに気が付かないわけがない。分かっていてもそれ以上は書きようがない。虚構の脚本として、金栗四三に日本の軍国主義への批判を語らせることはできても、それは別の意味で戦前の日本人を美化した歴史修正主義になってしまう。現実に、当時の日本人たちにそんな問題意識はほとんどなかったのだから。

 多くのドラマ通が激賞するように、宮藤官九郎が『いだてん』で見せた脚本技術は間違いなく日本最高峰のものだ。その手腕をもってしても、現実に存在した歴史の矛盾だけは覆い隠しようがない。脚本手腕でそれを覆い隠せば、覆い隠したこと自体が不誠実と非難される、それが近現代史を描くことの困難さである。だからこそ戦前史は大河ドラマのパンドラの箱なのだが、宮藤官九郎はあえてそれを開けることを選んだ。

■満州で迎える敗戦の場面に、映り込む殴り書きの意味

 そしてあの台風の翌日に放送された第39回、『懐かしの満州』で物語はひとつのクライマックスを迎えた。そこで描かれるのは、森山未來が演じる若き日の古今亭志ん生が満州で迎える敗戦によって崩壊する満州の日本人社会の姿である。

「日本が負けたとたん中国人があっという間に豹変して、日本人がやっていたところはどこもしっちゃかめっちゃかにされちまった」という志ん生の語りの中、路上で歓喜する中国人たち、追われるように逃げ惑う若き志ん生の姿が描かれる。「ここから仕返しが始まるとですね」という仲野太賀演じる小松勝の言葉通り、報復で破壊され「日本鬼子」「東洋鬼」と殴り書かれた演芸場で、それでも集まった日本人たちに森山未來演じる若き日の志ん生は「富久」を演じる。

 中国人たちの日本への恨みを書いた殴り書きの前で、打ちのめされた日本人たちが志ん生の落語に笑う姿を描くことは、肯定なのか否定なのか。日本の大衆を被害者としてのみ描きたいのなら、日本鬼子や東洋鬼という殴り書きを背景の壁に映す必要はない。加害者としてのみ描くのなら、その殴り書きを背景に志ん生の落語に見せる日本人たちの笑顔など論外だろう。それは被害者でもあり加害者でもある日本の大衆を描く象徴的なシーンになっていた。

■『いだてん』が落語の形式を取らねばならなかった理由

『東京オリムピック噺』というサブタイトルからもわかるように、『いだてん』は志ん生の語る創作落語の形式を取って語られる物語であり、森山未來の志ん生はいわば時代の目撃者であり語り手である。

『いだてん』の落語パートは、必ずしもすべての視聴者にウケが良かったわけではない。第一話で北野武演じる晩年の志ん生が自ら「どうもこの私と五輪ていうんですか、このやろうとは相性がよくなくて」と語るように、それはある時にはまるで物語の話の腰を折るように、ドラマツルギーの加速にブレーキをかけ、火に水をさすように挿入された。でもたぶん、宮藤官九郎が第39回を「最も描きたかった」と語るように、落語こそが『いだてん』の本質だったのだと思う。

 小劇場演劇出身の宮藤官九郎はおそらく、落語の話法と自分の脚本の話法を、同じサブカルチャーの文脈に重ねている。『いだてん』は、サブカルチャーの文体で書かれた戦前史、近現代史なのだ。

 宮藤官九郎は、ラジオで本人が語るところによれば、今年二度胃カメラを飲み、医者からインターネットのエゴサーチを禁じられるほどのストレスを抱えながら、風車に挑むドン・キホーテのように、血みどろの近現代史を自分の言葉で語り直すことに挑んだのだと思う。

 それは英雄譚的感動で描かれる歴史を避け、片手で山のようにそびえたつ歴史のカタルシスを築きながら、もう片方の手で落語によってそれを崩し、平坦にならすようなサブカルチャーの話法だった。それは政治的に保守からもリベラルからも、もしかしたら老若男女すべての視聴者にすら双手を挙げて肯定されるものにはなりえない。しかし、宮藤官九郎が『いだてん』で落語を用いて対決しようとしたものは、そうした『双手を上げて肯定される歴史』そのものだったのだと思う。

 『いだてん』と同時代、幻の東京五輪が開催されるはずだった1940年に死んだユダヤ人ヴァルター・ベンヤミンが書き残した『歴史哲学テーゼ』と題された文章の中で、彼は前衛画家パウル・クレーの絵を「歴史の天使」なるものになぞらえ、未来に背中を向けて過去を再構築しようと試みる天使像を描いた。宮藤官九郎が『いだてん』の中で描いた古今亭志ん生は、いわばこの歴史の天使のような目撃者であり、語り部なのだと思う。

「ソ連兵が来てからはひでえもんだったよ、女はみんな連れていかれた、逆らえば自動小銃でパンパンとくる、沖縄で米兵が、もっと言やあ中国で日本人がさんざっぱらやってきたことだが…」という志ん生の語りには、戦前と戦後、加害と被害、日本と他国の暴力が時系列や因果を越え並列に入り混じっている。人が死んで人が死んで、それからまた人が死んだと数えるかのような乾いた声で北野武が死者たちを語る時、僕等であれば事件の連鎖を眺めるところに、落語家はただカタストロフのみを見る。それは宮藤官九郎というサブカルチャーの申し子のような脚本家が近現代史という怪物に対して返した、ひとつの答えなのだと思う。

■80年前に覆った津波はスポーツも、サブカルチャーも飲み込んだ

 宮藤官九郎が『あまちゃん』の舞台に設定した岩手県三陸海岸沿いに、大津浪記念碑と呼ばれる石碑がある。それは1933年( 昭和 8年)の昭和三陸地震による津波の後に建てられた「津波はこの高さまで来る、ここより下に家を建ててはならない」という警告文が刻まれた石碑だ。それは2011年3月11日の東日本大震災において、80年の時を越えあと50mまで迫った津波から住民を守った。

『いだてん』で宮藤官九郎が描こうとしたものは、80年前に日本を覆った歴史の津波の高さなのだと思う。それは政治はもちろん、スポーツも、サブカルチャーも、すべてを飲み込んだ。『いだてん』の中で女性選手を通して描かれたフェミニズムの萌芽は最もSNSの支持を強く受けたシークエンスだったが、その後の歴史では婦人運動さえも婦人の政治的権利獲得のために戦争協力に飲みこまれていく。

 角川文庫の末尾には「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した」という有名な角川源義の文章が掲載されている。宮藤官九郎が『いだてん』で描いたのは、落語やスポーツやフェミニズムという、戦前に勃興した若い文化力が戦争という巨大な津波に飲まれる、その敗退のプロセスとシステムだったのだと思う。

『いだてん』のサブタイトルが第一回から映画文学音楽など過去の作品の引用で構成されているのは有名だが、宮藤官九郎が最も描きたかったと語った第39回のサブタイトルは『懐かしの満州』、これは国策に協力しいまだ評価分かれる満州映画協会、戦争に飲み込まれた映画人たちの記録映画を収録したDVD『満州アーカイブス』のタイトルである。スタッフたちは何をこのサブタイトルにこめたかは明らかだ。

■『いだてん』は歴史の繰り返しを警告する石碑だ

『いだてん』の放送は戦争という巨大な山をついに越え、戦後、1964年の東京五輪という最終章にさしかかる。そこで描かれるのがパンドラの箱の底に残ったような希望なのかどうかはまだわからない。たとえそうだとしても、1964年の東京五輪を肯定すること自体が2020年の東京五輪に加担するものだという賛否の渦に作品は巻き込まれるだろう。僕たちはもはや否応なく分断された大きな河の流れの中にいる。

『いだてん』が大河ドラマらしくないという批判の声に、こんなに歴史のダイナミズムを描いた大河らしい大河はない、という反論はたぶん正しい。でもその一方で、これは単なる大河『ドラマ』なのだろうかと思う。それは三陸の津波と同じように、歴史の中で繰り返し押し寄せる、多くの人を殺した現実の大河の氾濫について書かれた石碑ではないのだろうか。

 巨大な波に飲み込まれた80年前、古今亭志ん生の生きた時代に比較して、宮藤官九郎の描いた大河ドラマという現代のサブカルチャーが持っている武器がひとつある。それはデジタル時代においてはコンテンツがアーカイブされることだ。この先の時代、2020年の東京五輪で起きること、東京五輪を終えたあとに日本で起きる大きな河の氾濫の中で、僕たちは『いだてん』で宮藤官九郎が何を描いていたか、NHKオンデマンドをはじめとする配信サービスで見返すことができる。

 2019年の10月13日の夜8時、僕のツイッターのタイムラインには『いだてん』の感想とラグビー日本代表戦を応援が嵐のように入り混じって流れ続けた。

 強い日本代表と、満州で敗れ去る80年前のサブカルチャーの対比は、まるでそれ自体が宮藤官九郎が描くドラマの1シーンのように残酷で鮮明な対比だった。だが視聴率40%にも迫る国民的熱狂の裏側で、宮藤官九郎が数%の人々に向けて静かに語りかけたメッセージは、恐らくは2020年以降に急激に流れを早めるであろう現実の大河のうねりの中で、やがて全ての人々にとって重要な意味を持つのではないかと思う。

※読者からの指摘により一部内容を修正いたしました。

(CDB)

関連記事(外部サイト)