30年前『いいとも』で初バラエティ “非難の嵐”でも田嶋陽子がテレビに出続けてきた理由

30年前『いいとも』で初バラエティ “非難の嵐”でも田嶋陽子がテレビに出続けてきた理由

英文学者、女性学研究家の田嶋陽子さん

「母にいじめられたことが原点」田嶋陽子78歳が明かす“私がフェミニストになった日” から続く

 フェミニズムの“パイオニア”田嶋陽子さん。1990年『いいとも』の1コーナーがきっかけでテレビに出始めました。当時、“非難の嵐”だったといいますが、なぜ30年近く、テレビ出演を続けてきたのでしょうか? 聞き手は演劇史研究者の笹山敬輔さんです。(全3回の2回目/ #1 、 #3 へ)

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■1990年、初めて『いいとも』に出た日

―― 先生がテレビでご活躍されるのは、お母さまと和解した後なんですね。きっかけは、1990年7月、『笑っていいとも!』の1コーナー「花婿アカデミー」。

田嶋 そのころ、一般男性を対象にした「花婿学校」というのがあって、雑誌や新聞で評判になってたんですよ。校長が樋口恵子さん、副校長が斎藤茂男さんで、私も講師をしてました。『笑っていいとも』のスタッフがそれに目をつけて、私が出ることになった。忙しくてテレビを見てなかったから、『笑っていいとも』を知りませんでした。それで、初めて出た日、私のコーナーがずっと続いて、他にあった3つのコーナーを全部飛ばしたんです。

―― よっぽど盛り上がったんですね。

田嶋 盛り上がったもヘチマもない(笑)。私がすごく真面目に話そうとしたら、みんなで邪魔してくるんです。なんて失礼なんだと思いましたよ。頭にきて、目の前にあった水差しの水をかけてやろうと構えたところで番組が終わったんです。

■「田嶋先生!」アルタを出ると手を振られた

―― 先生が出演したのは、笑福亭鶴瓶さんやウッチャンナンチャンが出てた曜日ですよね。

田嶋 私に攻撃を仕掛けてきたのは、ウッチャンナンチャンです(笑)。でも、あの人たちの攻撃はそんなに悪意がなくて、常識の範囲内でしたけどね。みんな、吹っかけ方が見事でしたよ。だから1時間もったんでしょう。最後に、鶴瓶さんが「新しいタレントが誕生しました」と言ったんだよ。そのときは意味が分からなかったけど。

―― さすが鶴瓶さんです。フェミニストがバラエティ番組に出たのは、きっと初めてですよね。反響も大きかったんじゃないですか?

田嶋 番組が終わってアルタから新宿駅に向かったら、エスカレーターの上から「ワーッ」という声がして、女の人たちが手を振ってるんです。誰にだろうと思って後ろを振り返っても誰もいない。そしたら「田嶋先生!」って言うんですよ。アルタに来てた女性たちが私を見つけて、手を振ってくれたんですね。

 その日の夜にパチンコ屋の前を通ったときも、いきなり「キャーッ」って声がして、見たら中学生の女の子。その子が、「先生、今度は何言うの? 面白かったー」って言ってくれました。帰りの電車の中でも、子ども連れのお母さんが、「先生、よく言ってくれました」って涙を流すんです。ほんとにびっくりしました。でも、そんなのは最初の日ぐらいで、あとは非難ごうごう。

■「大学教授が笑いものになってどうするんだ」

―― どんな非難が多かったですか?

田嶋 友達のフェミニストに「あれでよかったのかなあ」って相談したんですよ。そしたら、「人は誰でも間違いってものがあるんだから」と言われて、「エーッ」となった。すごく悩んだのは、自分が一番尊敬している論文の指導教官から絶縁されたことです。私が卒業論文を書けなかったとき、下宿にまで来てくれた先生。番組に出て1週間くらいしてから、「大学教授があんな番組に出て、笑いものになってどうするんだ。俺は恥ずかしい」と言われて、破門されました。そんなのが続いて、しばらくは胃を痛めておかゆばかり食べてました。

―― 『笑っていいとも』のコーナーは10回で終わりますが、その後『ビートたけしのTVタックル』などテレビへの出演が続きます。そのときも、他のフェミニストからの批判が多かったんですよね。

■「フェミニストたちは、私のことを嫌いました」

田嶋 フェミニストたちは、ほんとに私のことを嫌いましたね。あのころのフェミニストは左翼系の人が多くて、反近代主義が盛んだったから、テレビを超軽蔑してました。面と向かって「フェミニズムのことをもっとちゃんと言わなきゃダメじゃない」と言われたこともあります。だから、「あなたを紹介するから、代わりに出てよ」と言ったら、「私はダメよ」だって。その後、実際に出た人もいるけど、ワッと言われると何も反論できなかったですね。NHKならいいけど、お笑い番組に対応できる人はいなかったですよ。

―― 90年代以降、フェミニズムに関して、テレビの世界では田嶋先生が一人で戦っていたように思います。そのことに孤独を感じたことは?

田嶋 それはないです。私は自分が正しいと思ってたし、批判してくるフェミニストたちには「じゃあ、あんたたち、私のように身銭を切ってみなさいよ」と思ってました。でも、寂しかったのは、テレビ局の廊下で女性タレントとすれ違うとき、みんな下を向いて知らん顔するんですよ。テレビ局の中で、田嶋陽子の考えに共感してると思われたら、男たちに嫌われると思ったんでしょう。仕方ないなとは思ったんだけど、それはすごく寂しかったです。

■それでもバラエティ番組に出続けたのはなぜ?

―― どれだけ批判されてもバラエティ番組に出続けたのは、どんな思いがあったんですか?

田嶋 それはやっぱり、フェミニズムの考え方を広めたかったからです。ライフアーティストの駒尺喜美さんから「テレビは拡声器だよ」って言われたの。『TVタックル』だと、視聴率が20%を超えたこともあります。NHKで真面目にフェミニズムを語っても、誰も見ないですよ。当時は出演者も原稿を読むだけだから、言葉も自分の言葉になってなくて、既成の言葉でしょ。私でさえ退屈しちゃう。

―― バラエティ番組はたくさんの人が見てますから、賛否があっても考えが広く届きますよね。その一方で、演出上、あえて対立をあおるようなこともあります。

田嶋 今から思えば、視聴率を取るために、私を邪魔して怒らせたのかもね(笑)。相手に変なおじさんばっかり連れてくるし、でも、その頃、女の人が人前で怒るなんて、考えられなかったんだよね、「女らしくない」って。だから、私が怒ったり、きつくなったりしてると、ほんとに女の評判が下がるわけです。誰も私のことを女と思ってなかったかもしれないけど、それはすごくイヤでしたね。

―― 私が記憶に残ってるのは、『TVタックル』で「女の敵は女」というテーマで女同士を討論させようとした回です。はじまってすぐに先生が「こういうのはやりたくない」と言って、その構図を拒否したのを覚えています。

田嶋 ほんと? そうね、女の人はほとんどがフェミニストになりたくなかったんですよ。男社会に嫌われたら、女の人は生きていけないから。心の中に不満を抱えていても、構造としての女性差別があるなんて思えないし、思いたくもない。だから、私が言いたい放題言うと、不安になるんでしょうね。男たちは、そこに目をつけて、女同士を戦わせようとする。あれは闘犬と同じよねえ。すごく卑怯だと思う。

■たけしさんは、私の言うことを一番わかってた

―― 『TVタックル』で長く共演されているビートたけしさんについては、どんな印象ですか?

田嶋 たけしさんは、私の言うことを一番わかってた人だと思う。とくにアフリカから来たゾマホンさんと仲良くしてから変わったね。あるとき、「先生が女に下駄をはかせなきゃいけないと言ってたのが、よくわかったよ。アフリカ見てると、抜け出そうと思っても抜け出せないもんな。ある程度、下駄をはかせないとダメだよ」って言ってくれたね。うん、それはすごくうれしかった。

―― 2003年からは『たかじんのそこまで言って委員会』にも数多く出演しています。亡くなったやしきたかじんさんや三宅久之さんとの思い出はありますか?

田嶋 たかじんさんは、すごくシャイな人で、お酒を飲んでもなかなか打ち解けない人でした。亡くなる数年前に『ラスト・ショー』という歌を贈って下さったけど、難しい歌で生前には歌えなかった。亡くなってから3年間歌い続けました。

 三宅さんとはよくケンカしたんですけど、ほんとにいい人なんですよ。番組が終わって新幹線で一緒になると、「先ほどは失礼しました」って謝るの。でも毎回だから、そのうち謝るのがイヤになったんでしょうね、飛行機に乗るようになって。それまでは、いつも私に謝ってたんだよ。私が歌のコンサートを開くときには、大きな花と一緒に手紙をくださってね。手紙には、「みなさんの前でお読みください」と但し書きが入ってる。舞台上で読み上げると、いきなり「みなさん、こんなヘタな歌をよく聴きにきてくださいました」って書いてある(笑)。そして、「それでも頑張ってるから、どうぞ応援よろしくお願いします」って。本当に面白くて、優しい人でした。

―― 先生は、三宅さんのように思想の異なる方との交流も多いですよね。人づきあいで心がけていることはありますか?

田嶋 一つだけ決まり事があるんです。私は、すごく気が弱いんですよ。『TVタックル』に出た最初のころ、出演者のみんなと一緒に飲んだことがありました。でも、気持ちが通じちゃうと番組で立ち向かえなくなるんです。どうでもいいことは批判できても、根本を批判できない。それじゃあ、自分が何のためにテレビに出てるのか分からなくなる。それ以来、番組の出演者とは一緒に飲みに行かないと決めたの。それほど気が弱いのね(笑)。だから、それだけは守ってる。

■毎回1つでもいいから100回出ればいい

―― 『そこまで言って委員会』は「右傾化番組」の代表のように言われることもありますが、どんな思いで出演を続けてらっしゃいますか?

田嶋 私のファンの人は、『TVタックル』のころからいるんですよ。番組で私がいくら批判されても、見てくれてる人はいる。別に番組のことを考えてるわけじゃないんだけど、私が出なかったら私の立場でものを言う人がいなくなりますよね。世の中は、違う意見の人同士が一緒に暮らしてるわけだから、番組を右翼だけで固めるというのも不自然でしょう。私は、喧嘩しようがしまいが、自分の意見表明の場だと思ってます。上の人に私と同じ意見の人をもう1人増やしてくださいとお願いしたんだけど、「センセイ1人で十分ですよ」って聞いてもらえなかった(笑)。

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―― 先生がテレビに出続けることで、多くの人にとって田嶋先生がフェミニズムの入口になってきたと思います。

田嶋 最初のころは、毎回あれ言おうこれ言おうと思って出て、邪魔されて1つしか言わせてもらえなくて悔しくて。そのとき、毎回1つでもいいから100回出ればいいと思った。今考えると、テレビは自分が出たくて出られるわけじゃないんだから、傲慢だよねえ(笑)。結果的には100回以上出てるわけだけどね。

 でも、自分の考えが間違ってなかったと思うのは、このインタビューもそうだけど、最近になって30代、40代の人に取り上げてもらうことが増えてきたことです。きっと、あのとき怒ってた変なおばさんの言うことが、正しかったのかもと思ってくれてるんでしょう。たくさんケンカして、批判されて、足蹴にされてきたけど、そうやって種をまくことはできたのかなって。

たじま・ようこ/1941年4月、岡山県生まれ、静岡県育ち。津田塾大学学芸学部英文学科、同博士課程を経て津田塾大非常勤講師に。元法政大学教授。元参議院議員。英文学者、女性学研究家。
フェミニズム(女性学)の第一人者として、またオピニオンリーダーとして、マスコミなどで活躍。最近は歌手活動や「書アート」活動も。 『愛という名の支配』 (新潮文庫)など著書多数。

( #3 「『最近のフェミニズムどうですか?』田嶋陽子さんに聞いてみた」 に続く)

写真=白澤正/文藝春秋

「最近のフェミニズムどうですか?」#KuToo、上野千鶴子さん東大祝辞……田嶋陽子さんに聞いてみた へ続く

(笹山 敬輔)

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